徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

渡なき吉祥寺

2005-04-16 18:47:31 | Music
午前中、高田馬場へ向かう車中、スウィンギンバッパーズの牧さんから電話がかかってきた。
そして高田渡さんが亡くなられたことを伝えられた。
4月3日、釧路のライブ後に倒れて現地の病院に入院し、昨夜未明に亡くなられたのだと言う。

<本当に久しぶりに高田渡さんと会った。初めて特集でお会いしたのが7、8年前。ご縁があったのか、それからしばらく本誌で連載インタビューをする機会を得て、毎月渡さんとはお会いしていた(もちろん吉祥寺で)。その当時、近々に取り壊される予定だった、都心の同潤会アパートを一緒に訪ねたことがあった。その時に撮影した写真を、年末の大掃除で見つけ、「いせや、行ってみようかな」と思っていたところだった。何せ一時期雑誌(LB)を離れるとき(丁度同時期に渡さんとの連載インタビューも終了した)、次の行き先をぼかして、告げずにお別れしたことが自分なりに気になっていたのだ。久しぶりに会った渡さんはその当時よりも本当に元気なように見えた。僕もあの当時よりも元気になったと思う。(僕にとって)会っていなかった時間が無駄ではなかったと思った。>

昨年の4月号で映画『タカダワタル的』を取り上げたときに、本当に久しぶりに渡さんに会った。その時の編集後記にこんなことを書いた。昨年、映画『タカダワタル的』が全国で公開され、時局柄『自衛隊へ入ろう』のカヴァーで再び<高田渡>の名前が注目を集めた。そう、この一年は「タカダワタル」ブームのような状況が起こっていた。きっと昨年会った渡さんがとても元気そうに見えたのは、そんな充実した状況があったからだろう(もちろんお疲れ気味だったけれども)。映画のHPを見たり、映画の広報担当だったアルタミラピクチャーズのSさんの話を聞くたびに、渡さんにとって本当にいい一年だったのではないかと思う。
4月30日から吉祥寺で、その『タカダワタル的』の凱旋上映が予定されていた。
オレはどんな顔して映画を観るのだろう。
今、最後のアルバムになった『タカダワタル的』のサントラを聴いている。
ちょっとばかり寂しく、心細くなる。

今日、渡さんは釧路から吉祥寺へ戻ってくるそうだ。
渡さんのご冥福をお祈りします。

(追記 4月16日)
本日、近親者による密葬をすませ、お通夜・葬儀はない模様。
後日ファンも参加できる<お別れ会>が催されるそうです。

(さらに追記 4月17日)
密葬に行かれた方の話では「本当に“いつもの渡さんのように”眠っているいるようだった」とのこと。出棺は明日の模様。本当に明日、お別れです。

(さらにもっと追記 4月21日)
送る会が決定したようです。

「自転車にのって~ありがとう、渡~」
日時/4月28日(木)13時~20時
会場/小金井市公会堂
参加費/1000円

高田渡さんが死去 60年代フォークの中心(共同通信)
高田渡(ウィキペディア)
『タカダワタル的』公式HP

タム君取材

2005-04-16 17:50:13 | LB中洲通信2004~2010
午前中、高田馬場でテープライターさんに博多取材のテープを手渡し、事務所を経由して青山のSundriesで原画展を催しているタイ人漫画家、クリエーターのウィスット・ポンニミット君を取材。現在、神戸に在住し、漫画家、イラストレーターとしてだけでなく、音楽制作、アニメーション、PV制作と多岐に渡って活躍中。
とてもチャーミングないい男。

博多取材(5月15日)岸川さん、松本さん

2005-04-16 17:36:04 | LB中洲通信2004~2010
博多取材2日目は、チューリップ、海援隊、甲斐バンド、めんたいロック勢など福岡の音楽シーンを育ててきた元ラジオディレクターの岸川均さん。さらに急遽、福岡航空宇宙協会の松本成一さん、森實泰介さんに取材をお願いして話を聞く。

大濠公園前にある松本さんの事務所を出て、平和台球場跡地へ。今更ながらすごい場所にあったものである。あまりにもだだっ広い公園のまったりした空気に、東京へ帰るのが面倒になる……というわけにはいかないので、『龍熱大全』の進行確認、今回のLB取材のテープライター手配、電話連絡諸々。
今回の取材であまりにも疲れ切った湯川君は、推定5歳くらい年老いていた。もう口数は少なく、目も剥いていなかった。

PANTAの名曲『マラッカ』を口ずさみながら、東京へ戻る。
嗚呼、もう一泊したかった……。

博多取材(5月14日)黒田さん

2005-04-16 17:32:07 | LB中洲通信2004~2010
約半年振りに1泊2日の博多取材。この時点で決定している取材は2件。しかしこれで済むわけがない、済ますわけにはいかんのじゃ、ということを飛行機内で、今回同行してくれたカメラマン湯川君に長々と説明。
昼に福岡に到着、かろのうろんで腹ごしらえして(結局また行っちゃったよ……)、今日は春吉のイル・パラッツオで黒田征太郎さんと藤堂編集長の対談。取材の段取りを組んでいただいたグレパパ福岡事務所の中村さんに挨拶。こちらはテーマを振るだけで、ふたりは(おそらく)“いつも”の調子で語り続ける。それにしても黒征さんはやはりパワフルで、エネルギッシュで、話し始めて10分もしたら、最初に挨拶した時とは違う、会う前に想像していた「黒征節」で2時間以上聞かせていただいた。原稿チェックについても「あーチェックはいいから、わからないことあったら電話頂戴」ということでアーティスティックな漢っぷり。最高である。
今回一転二転した6月号特集も黒征さんで決定。

午後7時、翌日の取材用の資料を藤堂編集長へ届けるためにリンドバーグへ。さらに取材の段取り確認と追加取材のお願いで藤堂さんを待っていたつもりが、生、ターキーロック、ターキーロック、ターキーロック、ターキーロック、ターキーロック、ターキーロック……で、1ヶ月ぶりに本格的に飲んでしまった。しかも途中、球界復権が事実上決定したドーベルの池永正明さんに急遽コメント取材。この流れには普段でも目を剥きがちなカメラマン湯川君も、さらに目が剥けてたですよ。機内で説明したのに。
ちなみに湯川君が関わっている大道芸人脈で動きがありそう。レッズサポの皆さん、アフターレッズでは今後面白いものが見られるかもしれないです。
結局、カウンター内のおねーさん方に「ソフトバンクもいいけど、アビスパ応援しろ」と言い続けて、ラストまでお邪魔してしまった(く、5時間以上……)。

さらに流れで店の方と熊楠家でニラチャーシュー。普段、あまりラーメンは食べないのだけれど、ニラでさらに驚くほど旨くなっていた。これオススメ。午前3時終了~。