徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

感性/「リンダリンダリンダ」「どんてん生活」

2005-04-29 05:22:43 | Movie/Theater
今朝(28日)はCLを観た後、山下敦弘監督の『どんてん生活』DVD。妙に70年代ぽいのは監督の卒業制作のためか。エンディングらしいエンディングでもないので書いてもいいのだろうけれども、最後の「1億円あったら何でも屋の会社を興す」という言葉がよかった。1億円あっても「何でも屋」かよw その他、夢も希望もないとはいえ、「幸せになりたい」とか「いろいろ願う」とかざっくりと大雑把な願望を口にするところが所謂童貞っぽさを感じるわけだが、そんな等身大の諦念とバカっぽさが全編を占める怪作。

ということで、渡さんの会を経由して、京橋の試写場で山下監督最新作『リンダ リンダ リンダ』。物語は学園祭で軽音楽部の女子高生たちがブルーハーツを歌う、というとてもシンプルなもの。主演は4人。天真爛漫なペ・ドゥナ(政治的ヘヴィネス皆無)、どう斬ってもアイドル的魅力に溢れる前田亜季、美少女で可憐な香椎由宇。ここで異質なのが劇中ベースを弾く、実際にミュージシャンでもある関根史織(base ball bear)。山本浩司が出演しているとはいえ、ほとんどまともな男しか出てこない今作で、山下テイスト=女の童貞っぷりを感じさせる史織タン。本当の童貞はミもフタもない妄想に陥りがちだが、女の童貞(所謂処女?)は極めて現実的に振れる。つまり彼女は女子高生の姿をしたおばさんである(リアルな女子高生というのはかなりおばさんっぽいという認識)。
そんな彼女が珍しくロマンチックな言葉を口にするシーンがあるのだが、これがこっ恥かしくも、気持ちいい、イカニモ青春なシーンになっている。大島弓子の(作品名忘れちったが)死んだオバサンが女子高生のカラダを借りてフォークダンスを踊るという作品があったけれども、一瞬そんなねじれたロマンチックを感じた。
んー童貞的な見解かもしれんが。

<感性で必要なものって「オバサン」と「少年」だけのような気がする。「オバサンと少年だけでいい!」って言っちゃうのはね、それの反対を考えると分かるの。オジサンと少女だけになったらねェ、なんにもないんだよな。(改行)情念世界でエロチシズムしてるだけっていうところがあってね。それの対立概念ってことになると「オバサンと少年」だけのような気がするの。オバサンと少年になるとね、近親相姦にならないんだよね。「母と少年」になるとどうも近親相姦の匂いがするけど、オバサンと少年つうと、ミもフタもないものが二つあるっていう、そういう気がしてね。(中略)少年の感性を持ってる女がどうってことになると、大体少年っていうのは、エロチックなもんだからさ、それで全然かまやしないんだっていう風に思うの。オバサンっていうのはさ、性行為を回避するもんだけど、少年っていうのは性行為の中にいるようなもんだからね、(中略)俺の場合両方持ってるしね。性的になろうとすると少年みたいになっちゃうし、ドメスティックになろうとすると、オバサンになっちゃうしね。そういうバランスで、いいんじゃないかって思うの。日常生活ってドメスティックなもんだから、日常生活を少年の“観念的”でやり始めると大変なことになっちゃうんだよね。>(橋本治『ぼくたちの近代史』主婦の友社=河出文庫)

GW中にもうちょっと考えてみるべ。
LB、今月のテーマは『リンダ リンダ リンダ』と山下敦弘監督と童貞的青春映画とビルドウングス・ロマン。テーマ、でかっ……。

ちなみにパンフレットにロッキング・オンの山崎洋一郎氏がブルハについて談話を寄せているけれども、ブルハのインパクトというのは“ロック言語”“日本語”の問題以前に、当時の若僧に「スゲエ、オレもやりたい!」って思わせたことだと思うです。映画で描かれるパッションもそういうもんでないかな?(これは童貞的に反するが)

さらにちなみにこんなのも。ハラハラ時計……。