横浜FCはなぜ「自分たちの戦い方」などという幻想に囚われてしまったのだろうか。開幕前から明らかに降格候補だった彼らには「残留するための戦い方」はあったかもしれないが、「自分たちの戦い方」は必要なかったのではないか。引いては、Jクラブに蔓延する「自分たちの戦い方」が、浦和の独走(または浦和以下の自滅)を招いてしまったのではないかと思うのだ。
イビチャ・オシムが千葉にやって来て、そして代表監督になったことはJクラブに素晴らしく、多大な影響を与えた。今のJリーグは、CLクラスは別として海外リーグと比較しても遜色のない、むしろ面白いリーグだ。そしてその面白いリーグを作った「オシム流」のひとつの評価が、かつての千葉のような「走るサッカー」だ。それに追随したのが大木さんの甲府であり、川崎、大分あたりもそうだろう。健太の清水もその潮流の中にある(今のJには浦和、横浜系統とガンバ、川崎系統の2つの流れがある)。
しかし物事にはどんなことでもよい面と悪い面がある。そしてこれが「自分たちのサッカー」幻想を生んでしまう。これまでオレ自身も健太と清水の取り組みを指して「自分たちのサッカー」を貫徹しようとする姿勢に最大限のシンパシーと賛辞を贈ってきたが、これが甲府や横浜FCのような立場であったら果たして支持できただろうか。2005年は危ないところまで追い詰められたわけだが、ディフェンスの構築から始めた健太の明確なチーム作りにそれほど不安はなかった。事実その年の天皇杯では決勝まで進出した。
しかし甲府の場合、この期に及んでガンバ相手に5-0はあり得ないのではないか。
そこで大宮の浦和戦である。あのゲームは大宮にとっては決して「自分たちの戦い方」ではなかったかもしれないが、90分間我慢し続け、焦れるような内容は、明らかに勝ち点を獲る戦い方ではあったと思う。ナイーブに「自分たちの戦い方」を貫くよりも、もっとリアリズムに撤した方がいいクラブが、やはりあると思うのだ。それは下位チームがチャンピオンチームと対戦するときの礼儀でもある。ベタ引きで勝ち点を拾う戦い方も「自分たちの戦い方」かもしれない。
まあ、Jリーグの半分ぐらいのクラブは面白くないサッカーになってしまうかもしれないけれども、無茶に「自分たちの戦い方」に固執するあまり、勝つか負けるか、自爆覚悟みたいなゲームをやられたら上位クラブの思う壺なのだ。それはあまりにもナイーブなベストメンバー規定にも通じるものがあるし、カタールで引き分けを選択できずに無茶攻めした挙句、逆転負けを喰らった五輪代表のさらにナイーブなメンタリティにも少なからず影響しているはずだ。
ま、もちろん清水の場合、土曜日のガンバ戦は自分たちの戦い方をすると思うが。