昼過ぎから『極道記者』『止まり木ブルース』の競馬記者・塩崎利雄さん取材。昨年秋に刊行した『実録極道記者 競馬無頼、7億賭けていまだ懲りず』が滅法面白く、丁度ダービーも終わったことだしお話を伺ったのである。
週末の夕刊紙はゲンダイと決めてからずいぶん経つ(ウィークデイは東スポと併読)。毎週土曜に掲載されている『止まり木ブルース』で健坊一家の物語を読み続けて20年、とまではいかないが、断続的に15年程度は経っている。そして、オグリの有馬記念でピークを迎えた競馬ブームの直後に、<日本のギャンブル小説・ピカレスク小説の傑作>と評価された『極道記者』が白夜書房から復刊され、間もなく当時役者として最高に脂の乗っていた時期の奥田瑛二と望月六郎監督によって映画化もされた。映画を観た一年後ぐらいに映画版の脇で出演していた役者さんを酒場で見つけ、一方的に熱く語ったのも懐かしい(名前は忘れちゃったけれど)。『極道記者』は70年代で、『止まり木ブルース』の連載がバブルを彷徨いながら加速していたのは80年代末から90年頃で、もうそれから15年以上経って、競馬の世界もいろいろと変わってしまったのだろうけれども、それでも健坊一家や留公たちは北品川の小さなバーの止まり木で生き続けている。
取材の最後に「止まり木ブルース」の生原稿も見せていただいたのだけれども、手書きで読みやすい<記者>の原稿だった。これだけで感動してしまうのである。だからこそ感動したのかもしれない。塩崎さんがこっち側に踏み止まっているのがちょっとだけわかったような気がした。
40年以上に及ぶ塩崎さんの記者人生はまだまだこれからも続く。その理由を2つほどお聞きした。書けるかどうかわからないけれども、これもまた非常に<漢>を感じさせるものだった。
8月号特集です。
週末の夕刊紙はゲンダイと決めてからずいぶん経つ(ウィークデイは東スポと併読)。毎週土曜に掲載されている『止まり木ブルース』で健坊一家の物語を読み続けて20年、とまではいかないが、断続的に15年程度は経っている。そして、オグリの有馬記念でピークを迎えた競馬ブームの直後に、<日本のギャンブル小説・ピカレスク小説の傑作>と評価された『極道記者』が白夜書房から復刊され、間もなく当時役者として最高に脂の乗っていた時期の奥田瑛二と望月六郎監督によって映画化もされた。映画を観た一年後ぐらいに映画版の脇で出演していた役者さんを酒場で見つけ、一方的に熱く語ったのも懐かしい(名前は忘れちゃったけれど)。『極道記者』は70年代で、『止まり木ブルース』の連載がバブルを彷徨いながら加速していたのは80年代末から90年頃で、もうそれから15年以上経って、競馬の世界もいろいろと変わってしまったのだろうけれども、それでも健坊一家や留公たちは北品川の小さなバーの止まり木で生き続けている。
取材の最後に「止まり木ブルース」の生原稿も見せていただいたのだけれども、手書きで読みやすい<記者>の原稿だった。これだけで感動してしまうのである。だからこそ感動したのかもしれない。塩崎さんがこっち側に踏み止まっているのがちょっとだけわかったような気がした。
40年以上に及ぶ塩崎さんの記者人生はまだまだこれからも続く。その理由を2つほどお聞きした。書けるかどうかわからないけれども、これもまた非常に<漢>を感じさせるものだった。
8月号特集です。