<ギンズバーグがケルアックの即興の詩学について語ったあと、フロアーから「フリー・ヴァース(自由詩)とはいったい何なのか?」という質問が飛び出してきた。ステージにいたパネリストは顔を見合わせ、互いに遠慮している様子。フロアーも静まり返っていた。そのとき、パネリストの一人であったゲーリー・スナイダーがマイクに向かってこう言った。
おしっこ
きょろきょろ
滝の音
数秒間の沈黙。それから場内からどよめきと拍手がおこった。(中略)この三行は、知覚の動きを記録したものだが、各行をつなぐ沈黙の長さが詩を創り出している。水の音がどこから聞こえてくるのか、その場所を発見するまでの間は、各人違ってよい。大事なのは、その過程を記録することである。まさに、「形式は内容の延長に他ならない」という、チャールズ・オルスンの「投射詩論」を思い出させるような答えだ。>
(野性の実践者、ゲーリー・スナイダー/原成吉 『現代詩手帖』1996年3月号特集「ゲーリー・スナイダー アンチ・ビートの詩人」)
おしっこ
きょろきょろ
滝の音
数秒間の沈黙。それから場内からどよめきと拍手がおこった。(中略)この三行は、知覚の動きを記録したものだが、各行をつなぐ沈黙の長さが詩を創り出している。水の音がどこから聞こえてくるのか、その場所を発見するまでの間は、各人違ってよい。大事なのは、その過程を記録することである。まさに、「形式は内容の延長に他ならない」という、チャールズ・オルスンの「投射詩論」を思い出させるような答えだ。>
(野性の実践者、ゲーリー・スナイダー/原成吉 『現代詩手帖』1996年3月号特集「ゲーリー・スナイダー アンチ・ビートの詩人」)