徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

時代に背を向ける

2010-03-26 13:43:58 | Music
<インクスティック芝浦でライブをすることが、物凄くキラキラした世界への入り口なんだみたいな幻想が充満してた。本気でそれを信じるにせよ、そんなのには背を向けるんだぜって思うにせよ、前提としてそういう空気感があったという点は、やっぱり今とは違うだろうなと思います。当然、俺は思いっきり背を向けた方だったんすけどね(笑)。>(エマーソン北村/ミュージシャンとしてのやり方 ototoy)

80年代末の数年間、もちろん毎週とは言わないまでも毎月行っていたような記憶がある。そしてオレもそこにいながらインクスティックの佇まいには背を向けてたような気がする。やはりバブルの時代にじゃがたらとミュートビートがそこにいたということは、時代への違和感と時代に背を向けるという意志表示、そして抵抗と救いとほんのちょっとの悪意だったと思うのだ。
それにしてもこのインタビュアーはちょっと甘いなあ…。

ところで…。

頂(いただき)~日本平大音楽祭2010

日本平にタイジ先生が来るのかあああああ!
スタジアムにも寄ってくれないかな。
しかもメイン扱いで渋さ知らズまで…大丈夫か、この音楽祭。

Baby何もかも

2010-03-26 04:56:09 | Music
「ライブのエンディングに相応しくない」という古い記事(というかコメント)を読んで気になったので。

オレは好きですよ。
ショウのエンディングにも相応しいし、多少ベタとはいえ清志郎の、それまでのエッセンスやスタンスが凝縮された楽曲とステージングだと思う。こんなシンプルなフレーズで高揚させるのは清志ならでは。
要するに復活RCですから。

後出しですみませんが。

人でなしの思い出

2010-03-26 04:05:05 | 素日記
珍しく思い出話。

サラリーマン時代に会社でいろんな意味で世話を焼いてもらった経理のAさんという女性がいた。
公私ともに物凄く世話になったのがSで、まあオレも世話になった。
会社を辞めたあと、Aさんは身体を壊した。ふたりでAさんが入院している病院にお見舞いに行ったことがあった。Sは自宅にも見舞いにも行ったという。いつも見舞いに行く度に何か貰って帰っていたような気がする(特にSは)。
ふたりとも若くて、貧乏だった。

その半年後だったか、一年後だったか、Aさんが亡くなった。
あんなに世話になったのに告別式にも行かなかった。
府中の東京競馬場にいた。
そこでSと顔を合わせた。確かオレは同僚だったYからの電話で聞いていたのでAさんの訃報を伝えた。
Sは遠くを見ながら言った。
「ああ…」
オレも遠くを見ながら答える。
「うん…」

今「遠く」とは書いたが、要するにターフか、ターフヴィジョンを見ていただけだろう。
後はいつも通りに言葉数少なく馬券を買うだけだった。その後、酒飲んだかな。たぶん飲んだだろう。飲まないわけがない。でも何を話したのかまったく記憶はない。
でも府中の競馬場のいつもの場所で、貧乏をこじらせて胃をキリキリさせながら交わした会話は忘れられない。
あの頃はいつもの場所にいるしかなかったから。

別に何を言いたいというわけではない。
思えば遠くへ来たもんだ、とか。