伸二「全員サッカーで誰が出ても自分たちのスタイルを変えずにやれるようにしている。それが勝点を積み重ねられている要因だと思います。誰とやってもやれています。自分も生かされながら、相手も生かす。このスタンスはこのまま続けていきます」(J'sGOAL 3月27日付)
等々力で川崎戦。ゴール裏1階は完全な日陰の上に強風ですっかり体温を奪われてしまった。声を出すぐらいしか身体を温める術はない。ゴール裏は久しぶりだったけれども2人分ぐらいは声が出た。
このゲームは大場健司に捧げられる。
プレーヤーは喪章をつけてゲームに臨み、ゴール裏も1分間の黙祷を捧げた。
惜しい場面も多かったし、信じられないようなミスもあったが、今日は勝ちたかったし、勝てるゲームだった。
健太「最後になりますが、エスパルスを非常に愛してくれ、エスパルスのために執筆活動をした大場健司にですね、この場を借りて心からお悔やみを申し上げたいと思います」(J'sGOAL 3月27日付)
テル「いつもだったらいるもんね。勝って何かしたかったなと思います。エスパルス長いですし、長くいたから付き合い長いところもありましたし、当たり前にいる人がいないのは何か変な感じですね」(J'sGOAL 3月27日付)
<明日のGO GO S-PULSEは先日、享年43歳の若さでお亡くなりになられた現番組の前身であるキックオフ サンデーのメインパーソナリティーを務められ、番組にも非常に縁のあるフリーライターの大場健司さんを偲んで、内容を少し変更し追悼番組を放送します。岩下敬輔選手も7時過ぎに駆けつけてくれる予定です。番組は当時のキックオフ音源から大場健司さんの声をお届けしながら進めていく予定です。>(GO GO S-PULSE/エフエムしみず 3月27日付)
エスキョク以前の話を書く。
在京サポであるオレにとっては正直浦和やFC東京、柏といったクラブとサポーターの関係、距離感の方が身近であり、共感できるものだった。彼らは文字通りの<共闘>していた。
さらに正直いってしまえば2002年以降の暗黒時代、清水の一部の選手コメントからは明らかなサッカーエリート臭が漂っていて、まったく<共に闘う>などというニュアンスが感じられないときがあった。逆にいえばそれが近所にJリーガーの実家が山ほどあるというサッカー王国のサッカー王国たる所以でもあるわけなのだけれども、オレは近所の、知り合いのニイちゃんを生暖かく応援しているわけではない。要するに観戦し、応援するという文化が希薄だったと思うのだ。
オレはクラブに生温さと距離を感じていた。
それが変わり始める契機となったのが、暗黒時代に生まれたゴール裏の新しい動きと大場氏のSの極みという情報サイトの誕生だったのではないかと思う。
オレが大場氏に一番感謝したいのは迷走していたフロントの問題を指摘しつつ、クラブ、チームとサポーターとの奇妙な距離感を、愛に溢れた精力的な取材と愚直ともいえるメディアリテラシーに基づく詳細な情報によって埋めていってくれたことだ。それはきっとフロントをも動かす遠因になっただろう。
彼の仕事によってフロントはもちろんチームも、そしてサポーターも変わったと思う。
エスパルスは<共闘>するクラブになった。
2005年、長谷川健太はプレーヤーに改めてクラブへの愛を求め、チームを組み立て直した。個人事業主に対してそんな要求はウェット過ぎるかもしれないけれども、健太のやり方は、実にオレの気持ちに響くものだった。
変わる瞬間、変わった瞬間が鮮烈すぎた。
Sの極みは、停滞していたとき、変わり始めたとき、変わり続けるとき、その動きを詳細に伝え続けた。もちろん大場氏は表も裏も知った上で、変わり続けるエスパルスを伝え続けたのだろうけれども。
「優勝候補になる」という“空気”をようやく本物にした健太が臨む新しいシーズン。大場健司はそれまでの仕事で大きな功績と影響を残した。しかし彼自身のライター、ジャーナリストとしての本当の仕事はこれからだったのに、と思う。
<デビール>であれほど情念的に、粘着質に指弾したキックオフサンデーの後継番組で追悼プログラムが組まれるというのも皮肉なものだが、それもまた、変わった、ということなのだろう。
今日の喪章はひとりのジャーナリスト、そして“サポーター”のためにプレーヤーたちから進んで申し出たものなのだという。
勝ちたかったし勝てるゲームだと思ったが、それもサッカー。ただしこの日のゲームはエスパルスの新しい歴史に残る、忘れられない素晴らしい共闘だったと思う。
29日には本当にお別れです。
そしてフットボールの日常は続く。
そんなタイトルのスカパーの番組あったよな。
等々力で川崎戦。ゴール裏1階は完全な日陰の上に強風ですっかり体温を奪われてしまった。声を出すぐらいしか身体を温める術はない。ゴール裏は久しぶりだったけれども2人分ぐらいは声が出た。
このゲームは大場健司に捧げられる。
プレーヤーは喪章をつけてゲームに臨み、ゴール裏も1分間の黙祷を捧げた。
惜しい場面も多かったし、信じられないようなミスもあったが、今日は勝ちたかったし、勝てるゲームだった。
健太「最後になりますが、エスパルスを非常に愛してくれ、エスパルスのために執筆活動をした大場健司にですね、この場を借りて心からお悔やみを申し上げたいと思います」(J'sGOAL 3月27日付)
テル「いつもだったらいるもんね。勝って何かしたかったなと思います。エスパルス長いですし、長くいたから付き合い長いところもありましたし、当たり前にいる人がいないのは何か変な感じですね」(J'sGOAL 3月27日付)
<明日のGO GO S-PULSEは先日、享年43歳の若さでお亡くなりになられた現番組の前身であるキックオフ サンデーのメインパーソナリティーを務められ、番組にも非常に縁のあるフリーライターの大場健司さんを偲んで、内容を少し変更し追悼番組を放送します。岩下敬輔選手も7時過ぎに駆けつけてくれる予定です。番組は当時のキックオフ音源から大場健司さんの声をお届けしながら進めていく予定です。>(GO GO S-PULSE/エフエムしみず 3月27日付)
エスキョク以前の話を書く。
在京サポであるオレにとっては正直浦和やFC東京、柏といったクラブとサポーターの関係、距離感の方が身近であり、共感できるものだった。彼らは文字通りの<共闘>していた。
さらに正直いってしまえば2002年以降の暗黒時代、清水の一部の選手コメントからは明らかなサッカーエリート臭が漂っていて、まったく<共に闘う>などというニュアンスが感じられないときがあった。逆にいえばそれが近所にJリーガーの実家が山ほどあるというサッカー王国のサッカー王国たる所以でもあるわけなのだけれども、オレは近所の、知り合いのニイちゃんを生暖かく応援しているわけではない。要するに観戦し、応援するという文化が希薄だったと思うのだ。
オレはクラブに生温さと距離を感じていた。
それが変わり始める契機となったのが、暗黒時代に生まれたゴール裏の新しい動きと大場氏のSの極みという情報サイトの誕生だったのではないかと思う。
オレが大場氏に一番感謝したいのは迷走していたフロントの問題を指摘しつつ、クラブ、チームとサポーターとの奇妙な距離感を、愛に溢れた精力的な取材と愚直ともいえるメディアリテラシーに基づく詳細な情報によって埋めていってくれたことだ。それはきっとフロントをも動かす遠因になっただろう。
彼の仕事によってフロントはもちろんチームも、そしてサポーターも変わったと思う。
エスパルスは<共闘>するクラブになった。
2005年、長谷川健太はプレーヤーに改めてクラブへの愛を求め、チームを組み立て直した。個人事業主に対してそんな要求はウェット過ぎるかもしれないけれども、健太のやり方は、実にオレの気持ちに響くものだった。
変わる瞬間、変わった瞬間が鮮烈すぎた。
Sの極みは、停滞していたとき、変わり始めたとき、変わり続けるとき、その動きを詳細に伝え続けた。もちろん大場氏は表も裏も知った上で、変わり続けるエスパルスを伝え続けたのだろうけれども。
「優勝候補になる」という“空気”をようやく本物にした健太が臨む新しいシーズン。大場健司はそれまでの仕事で大きな功績と影響を残した。しかし彼自身のライター、ジャーナリストとしての本当の仕事はこれからだったのに、と思う。
<デビール>であれほど情念的に、粘着質に指弾したキックオフサンデーの後継番組で追悼プログラムが組まれるというのも皮肉なものだが、それもまた、変わった、ということなのだろう。
今日の喪章はひとりのジャーナリスト、そして“サポーター”のためにプレーヤーたちから進んで申し出たものなのだという。
勝ちたかったし勝てるゲームだと思ったが、それもサッカー。ただしこの日のゲームはエスパルスの新しい歴史に残る、忘れられない素晴らしい共闘だったと思う。
29日には本当にお別れです。
そしてフットボールの日常は続く。
そんなタイトルのスカパーの番組あったよな。