日曜日は静岡県総合福祉会館でカレーズの会主催の常岡浩介さんの講演会に参加した。
カレーズの会とは、現理事長であるカンダハール生まれで静岡県島田市在住のレシャード・カレッド医師を中心に<アフガニスタンの復興支援を「医療」と「教育」の分野を目的に2002年4月に発足>した団体で、アフガニスタン政府からNGO登録を受けた。レシャード氏は現在、島田市医師会会長。
すごいな、これ。尊敬するぐらいの地域密着。
今回はアフガニスタンで拘束、誘拐され先月解放されたジャーナリストの常岡浩介さんをゲストに迎え、講演会(基調報告)、そしてレシャード氏との対談が行われた。
前日のアウスタでの京都戦がナイトゲームということもあって、実家に一晩泊まらざるを得ないことになったので、Twitterで偶然目にした情報を頼りに急遽参加を決めた次第。すみません、動機が不純で。
まあ、もちろん興味がないわけではない。
常岡さんのアカウントもフォローしているし。
いつもの常岡さんのTwitterノリのトークにはならないとは思ったし。
ぶっちゃけ、あのノリはどうも好きになれんけどね。
まあ、ジャーナリストも音楽家と一緒で人間性(キャラ)よりも仕事(作品)が重要なので、そんなことはどうでもいいのだが。だから前から言ってるでしょ。政治的行動と作品は別だって。こういう原則論はわかんないだろうな、例の運動マニアのオヤジには…。
常岡さん自らが解説した誘拐から解放までの経緯、実行したヒズビ・イスラミという組織の実情はまさに魑魅魍魎というしかない。カルザイ政権は崩壊の過程にあるのだろうし、常岡さんの言う通り「まだ少しマシ」だったタリバンが再び彼の地を制圧する日も近いのだろう。実に生々しい解説だった。笑えるほどに。いや本当に。
「崩壊」というのは、まさにカレーズの会が復興支援の柱として掲げている「教育」に他ならない。
自らもイスラム教徒である常岡さんは「イスラムに関する常識も失われた」という。兵士たちは『ランボー』のスタローンを観て「中国人か?」と訊いたそうだ。闘っているはずのアメリカ人や中国人のイメージすらできていないという。
こんな当たり前のことを言いたくはないけれども、教育って大事だよね。
自分の主張を相手に伝える術を学び、自分の身を守ってくれるのが教育だ。
無益な戦争など起こさずに済ますのが教育だし、幻の領土問題で隣人に喧嘩を売りまくるような真似をせずに済ますのも教育なんだよ。
そして日本がアフガニスタンに果たす役割。
アナリストがよく言う言葉で、この日の常岡さんも言っていたけれども、中東・アジアの紛争地域で日本が「信頼」されている大きなアドバンテージがある。それは「日本は直接、戦争をしていない」ということだ。
「戦争をしない」という選択、そして「第三者(仲介者・支援者)」でい続けるというのは本当に重要な役割なんだよ。これは本当に、日本人だからこそ受けられる高度な「教育」に他ならないんだよね。
まあ、今の政権を見ていると下手したら木偶の坊の傍観者になりかねないんだけど。
講演、対談の後に質問してみた。
本当は以前、常岡さんがTwitterで池上彰のアフガン解説を批判していたことについてメディアの問題について訊いてみたかったのだけど、危険地帯へ赴くジャーナリスト、ボランティアに対する一部の日本人の冷淡な姿勢について。
2004年に「自己責任」ブームがあった。オレはあの時から首相を先頭に日本人に馬鹿が増加したと確信したんだけど、常岡さんは今回に関しては思ったほどバッシングは多くなかったと答えた(あの頃、「3バカ」だの「自己責任」だの連呼していた連中の興味が中国脅威論や尖閣諸島の方に行っちゃったんじゃないかなとも思うが…)。
当日の講演会会場にはアフガニスタンで復興支援を続け、2008年に殺害された「ペシャワール会」の伊藤和也さんのご両親もいらしていたという。
そこに求められているものがあるのならば、そこに伝えなければならないことがあるのならば、紛争地帯だろうが危険地帯だろうが行くボランティアやジャーナリストはいるんだよ。
まあ、それが人情ってもんじゃねえか。そう思う。
日本でアフガンのことを考えるのにはそれなりに高い壁があると思うのだが、日本という国が、日本人が紛争地帯の人々から求められているものがあるのならば、それを知ることも大事な教育だろう。
それが最少不幸という空寒いスローガンの国に住む国民に求められる。
言葉は適当ではないかもしれないけれども、面白い講演会でした。もっと来ればいいのに、静岡の衆。
で、ついさっきNスペの「貧者の兵器とロボット兵器」を観た。
昨日のリアルタイムの放送はちょうど帰路の途中だったので観られなかったのだ。
そして、これも教育の問題だと思った。
「貧者の兵器」の実行者たちは洗脳されているという。
洗脳って、要するに教育だもの。
そして20世紀という戦争の世紀に、完全に揺るぎのない戦争ビジネスを築き上げてしまったアメリカだって、絵に描いたような<ゲーム感覚>で人間を殺すことを厭わない兵士たちの笑顔のコメントも、そりゃモラルを失った教育の問題だもの。
モラル以前の問題か。
そんな酷いことしちゃいけない。
ナカスがうまい具合に復活したらレシャード氏に話を訊いてみたいな。
(追記)
よく考えたら<闘っているはずのアメリカ人のイメージすらできていない>アフガン人が日本を<直接戦争していないから信頼している>というのは矛盾したような書き方だな。
世界の認識というのは難しいですね…。
カレーズの会とは、現理事長であるカンダハール生まれで静岡県島田市在住のレシャード・カレッド医師を中心に<アフガニスタンの復興支援を「医療」と「教育」の分野を目的に2002年4月に発足>した団体で、アフガニスタン政府からNGO登録を受けた。レシャード氏は現在、島田市医師会会長。
すごいな、これ。尊敬するぐらいの地域密着。
今回はアフガニスタンで拘束、誘拐され先月解放されたジャーナリストの常岡浩介さんをゲストに迎え、講演会(基調報告)、そしてレシャード氏との対談が行われた。
前日のアウスタでの京都戦がナイトゲームということもあって、実家に一晩泊まらざるを得ないことになったので、Twitterで偶然目にした情報を頼りに急遽参加を決めた次第。すみません、動機が不純で。
まあ、もちろん興味がないわけではない。
常岡さんのアカウントもフォローしているし。
いつもの常岡さんのTwitterノリのトークにはならないとは思ったし。
ぶっちゃけ、あのノリはどうも好きになれんけどね。
まあ、ジャーナリストも音楽家と一緒で人間性(キャラ)よりも仕事(作品)が重要なので、そんなことはどうでもいいのだが。だから前から言ってるでしょ。政治的行動と作品は別だって。こういう原則論はわかんないだろうな、例の運動マニアのオヤジには…。
常岡さん自らが解説した誘拐から解放までの経緯、実行したヒズビ・イスラミという組織の実情はまさに魑魅魍魎というしかない。カルザイ政権は崩壊の過程にあるのだろうし、常岡さんの言う通り「まだ少しマシ」だったタリバンが再び彼の地を制圧する日も近いのだろう。実に生々しい解説だった。笑えるほどに。いや本当に。
「崩壊」というのは、まさにカレーズの会が復興支援の柱として掲げている「教育」に他ならない。
自らもイスラム教徒である常岡さんは「イスラムに関する常識も失われた」という。兵士たちは『ランボー』のスタローンを観て「中国人か?」と訊いたそうだ。闘っているはずのアメリカ人や中国人のイメージすらできていないという。
こんな当たり前のことを言いたくはないけれども、教育って大事だよね。
自分の主張を相手に伝える術を学び、自分の身を守ってくれるのが教育だ。
無益な戦争など起こさずに済ますのが教育だし、幻の領土問題で隣人に喧嘩を売りまくるような真似をせずに済ますのも教育なんだよ。
そして日本がアフガニスタンに果たす役割。
アナリストがよく言う言葉で、この日の常岡さんも言っていたけれども、中東・アジアの紛争地域で日本が「信頼」されている大きなアドバンテージがある。それは「日本は直接、戦争をしていない」ということだ。
「戦争をしない」という選択、そして「第三者(仲介者・支援者)」でい続けるというのは本当に重要な役割なんだよ。これは本当に、日本人だからこそ受けられる高度な「教育」に他ならないんだよね。
まあ、今の政権を見ていると下手したら木偶の坊の傍観者になりかねないんだけど。
講演、対談の後に質問してみた。
本当は以前、常岡さんがTwitterで池上彰のアフガン解説を批判していたことについてメディアの問題について訊いてみたかったのだけど、危険地帯へ赴くジャーナリスト、ボランティアに対する一部の日本人の冷淡な姿勢について。
2004年に「自己責任」ブームがあった。オレはあの時から首相を先頭に日本人に馬鹿が増加したと確信したんだけど、常岡さんは今回に関しては思ったほどバッシングは多くなかったと答えた(あの頃、「3バカ」だの「自己責任」だの連呼していた連中の興味が中国脅威論や尖閣諸島の方に行っちゃったんじゃないかなとも思うが…)。
当日の講演会会場にはアフガニスタンで復興支援を続け、2008年に殺害された「ペシャワール会」の伊藤和也さんのご両親もいらしていたという。
そこに求められているものがあるのならば、そこに伝えなければならないことがあるのならば、紛争地帯だろうが危険地帯だろうが行くボランティアやジャーナリストはいるんだよ。
まあ、それが人情ってもんじゃねえか。そう思う。
日本でアフガンのことを考えるのにはそれなりに高い壁があると思うのだが、日本という国が、日本人が紛争地帯の人々から求められているものがあるのならば、それを知ることも大事な教育だろう。
それが最少不幸という空寒いスローガンの国に住む国民に求められる。
言葉は適当ではないかもしれないけれども、面白い講演会でした。もっと来ればいいのに、静岡の衆。
で、ついさっきNスペの「貧者の兵器とロボット兵器」を観た。
昨日のリアルタイムの放送はちょうど帰路の途中だったので観られなかったのだ。
そして、これも教育の問題だと思った。
「貧者の兵器」の実行者たちは洗脳されているという。
洗脳って、要するに教育だもの。
そして20世紀という戦争の世紀に、完全に揺るぎのない戦争ビジネスを築き上げてしまったアメリカだって、絵に描いたような<ゲーム感覚>で人間を殺すことを厭わない兵士たちの笑顔のコメントも、そりゃモラルを失った教育の問題だもの。
モラル以前の問題か。
そんな酷いことしちゃいけない。
ナカスがうまい具合に復活したらレシャード氏に話を訊いてみたいな。
(追記)
よく考えたら<闘っているはずのアメリカ人のイメージすらできていない>アフガン人が日本を<直接戦争していないから信頼している>というのは矛盾したような書き方だな。
世界の認識というのは難しいですね…。