先日のゴトビ監督来静の経緯が漏れてきた。
チームとフロントは分けて考えるべきだと思うけど、エンタテイメント企業としては判断が間違っていないか?
プロスポーツがエンタメである以上、ニュースになることもエンタメなんだし、どんなことだってまずニュースにならなきゃ駄目なのよ。良くも悪くも。
作家の山本夏彦氏はかつてこんな名言を残した。
「広告しないものは存在しない」
(たった一人のキャンペーン 毎日新聞)
※<聖書ヨハネ伝の“はじめに言ありき”から、カントの“人が見るときそれが存在する”という一連の存在哲学をパロディ化した皮肉な表現>
ニュースというのは、ぶっちゃけて言えば広告である。金がないのならばニュースにすればいいのである(するしかない)。
「迷惑がかかる」という論理でこういう行動を牽制しようとする人もいるけれども(フロント=このケースの興津氏の判断もおそらくそうだろう)、日常の中に起こるハプニング(イベント)だからこそ、外の人間にも伝わり印象にも残る。そして「ニュース」にもなる。迷惑というあまりにも主観的な日常の論理で行動が牽制されるならば、何も起こらない。
つまり、それは日常に埋没して<存在しない>ということになる。アジアカップ敗退後、驚くべきスピードで来日したゴトビ監督を熱心なサポーターたちが拍手を持って出迎えるというイベントが、だ。
もちろんゴトビの疲労を考えたという言い訳も考えられるが。
オシムがなぜ評価されたか? それはリスクを負ってでも攻撃的な姿勢を失わないサッカーを標榜したからに他ならない。別にこれはオシムサッカーに限ったことではない。
今の日本に閉塞感を感じるならば、それは誰もがリスクを負わない道を選択しているからだろう。ベタではあるが新卒就活者の多くが大企業や公務員を希望しているのは露骨にそれを象徴している。まあ、現実問題として自分の日常を死守するために安定を選択するのは、こんなご時勢では仕方がないことではある。しかし迷惑とマナーという、よくわからないものが日本に蔓延して、行動ががんじがらめにされているのは事実だ。早い話が自縄自縛。
しかし中小のエンタメ企業が他人の顔色を伺って、この程度のリスクを排除しながら判断していて、サポーター・ファン層が拡がっていくだろうか。リスクをコントロールするのがプロじゃないか。
やるときゃやらなきゃ駄目なのよ。目立ち、人目を引き、知らない人間を巻き込んでいくこともまたエンタメなのだから。
少なくとももっとシーチケを売りたいなら、ゴトビ監督の来静という「イベント」をもっと有効的に利用するべきだった。
現場に駆けつけたサポは自ら「広告塔」になって踊る気満々だったと思うよ。だから彼らが気の毒なんだ。
リスクを負ってシーチケを売れ、と思う。
フロントは猪木の風車の理論を学ぶべきだ。まじで。
チームとフロントは分けて考えるべきだと思うけど、エンタテイメント企業としては判断が間違っていないか?
プロスポーツがエンタメである以上、ニュースになることもエンタメなんだし、どんなことだってまずニュースにならなきゃ駄目なのよ。良くも悪くも。
作家の山本夏彦氏はかつてこんな名言を残した。
「広告しないものは存在しない」
(たった一人のキャンペーン 毎日新聞)
※<聖書ヨハネ伝の“はじめに言ありき”から、カントの“人が見るときそれが存在する”という一連の存在哲学をパロディ化した皮肉な表現>
ニュースというのは、ぶっちゃけて言えば広告である。金がないのならばニュースにすればいいのである(するしかない)。
「迷惑がかかる」という論理でこういう行動を牽制しようとする人もいるけれども(フロント=このケースの興津氏の判断もおそらくそうだろう)、日常の中に起こるハプニング(イベント)だからこそ、外の人間にも伝わり印象にも残る。そして「ニュース」にもなる。迷惑というあまりにも主観的な日常の論理で行動が牽制されるならば、何も起こらない。
つまり、それは日常に埋没して<存在しない>ということになる。アジアカップ敗退後、驚くべきスピードで来日したゴトビ監督を熱心なサポーターたちが拍手を持って出迎えるというイベントが、だ。
もちろんゴトビの疲労を考えたという言い訳も考えられるが。
オシムがなぜ評価されたか? それはリスクを負ってでも攻撃的な姿勢を失わないサッカーを標榜したからに他ならない。別にこれはオシムサッカーに限ったことではない。
今の日本に閉塞感を感じるならば、それは誰もがリスクを負わない道を選択しているからだろう。ベタではあるが新卒就活者の多くが大企業や公務員を希望しているのは露骨にそれを象徴している。まあ、現実問題として自分の日常を死守するために安定を選択するのは、こんなご時勢では仕方がないことではある。しかし迷惑とマナーという、よくわからないものが日本に蔓延して、行動ががんじがらめにされているのは事実だ。早い話が自縄自縛。
しかし中小のエンタメ企業が他人の顔色を伺って、この程度のリスクを排除しながら判断していて、サポーター・ファン層が拡がっていくだろうか。リスクをコントロールするのがプロじゃないか。
やるときゃやらなきゃ駄目なのよ。目立ち、人目を引き、知らない人間を巻き込んでいくこともまたエンタメなのだから。
少なくとももっとシーチケを売りたいなら、ゴトビ監督の来静という「イベント」をもっと有効的に利用するべきだった。
現場に駆けつけたサポは自ら「広告塔」になって踊る気満々だったと思うよ。だから彼らが気の毒なんだ。
リスクを負ってシーチケを売れ、と思う。
フロントは猪木の風車の理論を学ぶべきだ。まじで。