徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

昨夜のニュースの深層

2011-03-18 19:41:04 | News
昨夜の「ニュースの深層」に広瀬隆さんが出演した。録画しておいた番組を観たのだけれども、相変わらず怖い話をする怖い人である。もはや学者先生が語る話ではなくエンジニアの問題であること、放射線ではなく放射性物質のモニタリングが必要なこと等、番組内で広瀬さんは様々な指摘をしたわけだが、中でも「日本人は正しいパニックをする必要がある」という発言は実に意味深長な言葉だと思う。パニックというのは逃げ出すことだけではないよ。最前線で奮闘を続ける作業員、エンジニア、自衛隊、機動隊、警察の皆さんの話は別として、やはり当事者への批評・批判は続けられるべきだと思う。そしてそれが「正しいパニック」なのかと思う。
先送りばかりしてきた政治や財界が直面した絶対に先送りできない事態である。その批判は「今」をセンセーショナルに伝えてきたメディアにも突きつけられている。

広瀬さんは様々なイメージで語られる人なのでバイアスのかかった見方をされる人も多いかと思うが、4年ほど前に一度だけだが取材でお会いしたときに感じたのは極めて普通で、まっとうな正義感の持ち主という印象だった。
取材は、当時の新刊だった『持丸長者』(ダイヤモンド社)を絡めつつ「20年目の『危険な話』」というテーマで話を伺った。しかし『危険な話』そのものだけではなく、あまり積極的に人となりを語られる方ではないと思っていたので彼がどんな背景を持った人物なのかがわかるようなトークに(少しは)なったと思う。
取材ではとても良い笑顔が撮れたのだが、それをご家族が喜ばれたと聞いて嬉しかったな。『危険な話』も大事な<話>だが、預言者や警告者ではなく、オレらと何ら代わりのない普通の人であることを示す穏やかな笑顔も同じぐらい大事だから。雑誌掲載後にいただいた丁寧なお手紙には信州で採ったという押し花が添えられていた。その手紙はまだ保存してあって、緊急用のバッグの中に入れてある。

それにしても「ニュースの深層」で毎日ヘヴィーな話を直接聴き続ける前田真理ちゃんは大変だなァ…他人事じゃないけれども。

その先の予定/東北地方太平洋沖地震チャリティライブ LIVE FOR NIPPON

2011-03-18 19:35:15 | Music
音楽を聴くのに神経質になっていた。
耳を塞ぐことに神経質になっていた、というか。
ニュースを聞き逃したくないということもあるし、余震も音で反応している。だからこの一週間、音楽をあまり積極的に聴いていなかったのかもしれないと思う。


昨夜は下北沢の風知地知でタイジ主催の東北地方太平洋沖地震チャリティライブ LIVE FOR NIPPON。この一週間、やはりそれでも気が滅入って仕事も滞り気味になっているので申し訳なかったのだが、ひとりで「ニュースの音」に満たされた部屋に篭っているよりも、数時間だけでも「音楽」に満たされた空間にいたかったのだ。さすがに。スマン。
当日になって大停電の可能性が政府によってアナウンスされたので開催も不安だったが、風地空地に電話して決行を確認。急いで支援物資を2つの袋に詰めて下北沢に向かう。
政府のアナウンスの影響もあってか、帰宅ラッシュは18時から19時にかけて集中していたようで意外とスムーズに、混み合うこともなく19時30過ぎには下北沢に着く。その頃にはすでにライブはスタートしていたわけですが。
ドレッドライダーの途中で会場に到着したのだけれども、会場は予想以上に埋まっていた。

LEYONAの「You've Got A Friend」や飛び入りの斉藤和義の「歩いて帰ろう」は感動的だったし、武藤昭平Withウエノコウジの男気溢れる歌には鳥肌が立った。うつみようこ姐さんの「満月の夕」はさすがだったな。そしてタイジ。直前に結構大きめの余震があったのだけれども、この日の「ありったけの愛」は最高に響いた。ライブはアーカイブされているようなので是非ご覧になっていただきたいと思う。(もしかしたら放射能混じりの)強風が吹き荒びガラスを震わせ、余震に揺れる中のライブというのは、思うになかなか壮絶な現場ではあったけれども。

ということでtheatre brook history's Barは中断。今後はLIVE FOR NIPPONとして継続していくとのこと。
タリスマン突入の勘違い時代の話も聞きたかったなァ…いつかhistory's Barの再開も希望しておく。
次回は4月14日(木)。もちろん帰り際に予約しておいた。
今、先の予定を立てること、それはやっぱり希望なんだと思うんだな。

それにしても下北沢、暗すぎ。


ガラガラの小田急線、総武線に乗って地元に帰って、まだ営業していた酒場で飲む。
みんな、あんまり一人でいたくないんじゃないかな…と思った。