昨夜は首相官邸前抗議。ついに参加者は延べ11000人と、これまでとはケタ違いの大台に乗った。
これは団体が動員されるようなイベントとは違うのだ。昨年冬から年明けにかけてデモから抗議へと行動のフェーズを移した頃を考えれば驚くべき数字である。
また実行有志の運営とともに、また、ほぼ連日のように官邸前や霞ヶ関で不断の抗議を続けてきた方々の努力があることも記憶に留めておきたい。主張や手法にニュアンスの違いや違和感を感じるときもあるとはいえ、最終的には「原発いらない」「再稼動反対」であるのだから、やはり彼らの存在も大きい。
ということでこの日も抗議の列の後方で「再稼動反対」だけを1時間以上叫び続けた。
当日「トラメガまじいらない」というツイートをしたのだけれども、誤解されるといけないので、念のために書いておく。スピーチエリアのトラメガというのは「抗議行動」をコントロールする上で絶対必要だと思う。
参加者は官邸前で何を叫びに来たのか。
もちろん「子供を守れ」「未来を守れ」という感情に訴える言葉も大事なときもあるけれども、本来ならば、抗議の途中から来た人でも、いつでも入れる(いつでも休める)、なぜここに来たのか、そして何を抗議しに来たのかはっきりと確認できる、叫びやすくわかりやすい「ひとつの言葉」だけが必要なわけだ。
それは「再稼動反対(やめろ)」という言葉に他ならない。
事実、どの動画を見ても「再稼動反対」の声のトーンが一番大きい。となると、坂の途中でのトラメガのリードというのはほとんど必要ない。何てったって、後方の集団は「ひとつの言葉」で完全にグルーヴしていたのだから。リードはコールが「飽きられる」ことを心配するよりも、「ひとつの言葉」が途切れないように意識するべきだと思うし、トラメガを持つならその覚悟を持つべきだと思うのだ。大事なのは、その言葉を途切れさせないことだけなのだから。
正直言って個人的には、もうスピーチにはそれほど興味を持ってはいない。これまで回数を重ね、毎回言葉を重ね続けることで、もはや誰が何を言おうと内容はルーチンになるしかない(そして個々の内容のニュアンスに齟齬も生じる)。もちろん有名無名を問わずスピーチしたい人はいて、政治家にマイクを持たせる意味もあるのだから、スピーチそのものを否定するつもりはないのだけれども、まあ、要するに「集会」にそれほど興味はないのである。
それならば抗議行動として、無名の「頭数」になってコールし続けた方が余程「伝わる」だろうと思う。コールをし続ければし続けるほど、オレたちは無名になって、誰でもない、透明な存在になっていく。もっと、そういうプロテストの「塊」になればいいと思う。
まあ、メディアは“スター”のいない、見出しにならない「無名の集団」を取り上げるのはどうにも苦手で、事実ニュースには取り上げられなかったわけですが…それは日本製の(自称)ジャーナリズムの限界としか言いようがない。
今日午前、政府の大飯原発再稼動正式決定が発表された。
今、政治問題として着々と進められ、そのように語られるこの問題が、生活問題であり、生存問題であることをもう一度再確認したい。生活、そして生存が問われているのならば、この抗議の動きがたった2基の再稼動決定で止まるわけがないのである。
燃料はまた投下された。