徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ギリギリまでもう一回/6.22首相官邸前抗議

2012-06-23 17:22:01 | News


昨夜は金曜日の官邸前抗議。18時過ぎに到着するとすでに国会議事堂駅出口周辺の歩道はほとんど埋め尽くされ、まだ未整理で1列3、4人ほどで並んだ抗議の列は六本木通りまで延び切っていた。最後尾に辿り着くまでに1キロほど歩いた。
最後尾まで歩きながら「再稼動反対」と声を上げる。コールすれば、何人かはレスポンスする。せっかく声を上げるために来たのに誘導を待っている間、突っ立っているだけではつまらないものね。そしてまた一番後ろに並んでから改めてコールを始める。
最後方と言っても、その後から参加者が続々と集まりさらに列は延びて行く。
先週の1万2000人から一気に4万5000人に参加者は激増した。

人数が増えれば増えるほど「いろんな人」も増えるわけで終了後は勢いで目についたことを愚痴ったりもしてしまったのだが(勢いで書いちゃったんで許してください)、デモと同じようにも、万単位を越えてしまうと、もはや抗議行動の全体像も見えるはずもない。前方でどんな風にスピーチが行われていたのかは一切わからない。
子供の数がとても多くて、彼らは大声あげるオレの顔を不思議そうな顔でじっと見ていた。きっと大きくなったら「あの時、親に連れられて官邸前に行った」とかエラソーに語るんだろうな。その思い出の中にオレはいるんだろうか。それでも、あんなに酷い人ごみの中でもなぜか泣いているような子供は見なかった。坂の途中でドラム集団は勝手に盛り上がっていて、「数」に興奮した真面目そうなおじさんがトラメガで調子(リズム)外れのコールをがなり立てていた。目に余るので何回も彼に声をかけた。キヨシローの歌を爆音で流し続ける連中もいた。興醒めするようなことをするんじゃない。そんなことするぐらいなら声を出せ。
スピーチエリアからは遠く離れた後方集団は、シュプレヒコールと手拍子と不規則なドラムでそれぞれに「声」を上げながら、それでも時間をかけてじりじりと官邸前に向かって坂道を登っていった。
抗議開始前に登場した在特会の〝カウンター〟は文字通りの「前座」となり、上に書いたような個人的な〝ディテール〟もエピソード以上の意味はなく、4万人を超える集団はプロテストの塊となる。

大阪の関電本店前には1500人の参加者が集まったという。
大飯は福島と同じように、大阪と東京は二重写しになっている。東京が変わらなければ日本(福島)は変わらないとは思うけれども、同じように大阪が変わらなければ大飯は変わらない。電力供給という意味では大飯が供給者(入口)で大阪・関西が消費者(出口)という構図にはなっているのだけれども、カネの流れで言えばその入口と出口は逆になる。
大阪(東京)・大飯(福島)それぞれに入口があり、出口がある。
〝恩恵〟を享受するだけの出口は当事者意識を希薄にしてしまうけれども、やはり都会(消費地)にも、原発立地にも「入口という地元」がある以上、当事者としてそこで行動する意味はとても重く、大きい。
原発立地での「地元」抗議を否定するわけではないけれども、オレらはそれぞれの「地元」をもっと意識するべきじゃないか。だからオレは東京で声を上げる。
やっぱり東京と同じように大阪にも万単位の参加者が必要なのだよね。

運営のアナウンスで20時で「抗議」は一応終了する。4万5000人(以上?)の参加者を動員しながら、大きな混乱もなく参加者は徐々に帰路に着くわけだが、それでも後ろにいた参加者は終了時間後も官邸前に向かって坂を登り続ける。「再稼動反対」のコールを続けながら。また列を離れて帰路に着きながら声を上げる人たちもいる。
正式な抗議が終了してもぎりぎりまで声を上げ続ける。ぎりぎりがどこまでなのかはわからない。この行動がまた継続されるように、そして運営スタッフに最大限の感謝を捧げつつ、それでもオレもぎりぎりまで声を上げ続けたいと思う。