徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

シングルイシューのために/針谷大輔「右からの脱原発」

2012-12-06 05:01:44 | Books


統一戦線義勇軍議長であり、右から考える脱原発ネットワークの主宰者である針谷大輔さんの『右からの脱原発』(K&Kプレス)。
まず3.11直後に支援活動として赴いた福島県広野町で目撃した理不尽な光景、6.11脱原発100万人アクションでのスピーチ妨害事件から、右から考える脱原発ネットワーク(右デモ)の立ち上げとデモ・抗議行動の始まりまでをスピーディーに語っていく。針谷さんが抱いていた違和感や嫌悪感は、3.11後の推移を見守っていた3月から行動を始めた4月から6月まで、オレ自身が抱いていたデモ・抗議行動に感じていた違和感に似ている。実際、3.11後から行動を始めた人たちは共感する部分も少なくないのではないかと思う。

これは思想的な問題ではなくて、
本当は別の目的があるんじゃないのか
とか、
というか、
本当に伝わってるのか、伝えようとしているのか
とか、
ついでに言えば、
必死で、真剣なのは伝えたいけれども、ダサくてカッコ悪いの嫌だな
とか。主張として、デモンストレーションとして、プレゼンテーションとして、実に根本的な疑問を抱いた――そういうことなのである。

そしてこの年の7月末に3週間連続で、都内でデモが開催された。TwitNoNukesの3回目の渋谷・原宿デモと右から考える脱原発ネットワークデモと素人の乱8.6東電前デモだ。
この3つのデモは3.11直後の春に行なわれていたデモへの批評になっていたと思う。本格的に立ち上げて間もないTwitNoNukes、これが第1回目の開催である右デモからはシンプルで混じりっ気のない主張の熱気を感じた。すでに春から「有象無象」を掲げ、繁華街で歩行者を巻き込みながら巨大化することで名を馳せていた素人の乱は抗議行動でも同じ手法を繰り返したことで限界を感じた(事実、素人の乱は翌9月に新宿で大量の逮捕者を出して大失速してしまう。あれは8月の東電前デモでの“消化不良”が遠因にあったんじゃないかと見ている)。

ここで、おそらく初めてシングルイシューが大きな意味を持つことになる。
運動はまず拡がらなければ意味がない。針谷さんは右デモのきっかけと意図を、ひたすら「脱原発は左翼だけのものではない」「脱原発に右も左も関係ない大衆運動にしなければいけない」と書く。彼が掲げているものが左右の運動界隈の歪さを証明しているのはスタート直後から明らかだったわけで、彼(ら)はシングルイシューの一極を(あえて)担ったわけである。そして針谷さんが指摘するまでもなく、すでにもう一極は(後生大事に)「左」が抱えていた。
右と左が同じテーマを掲げれば、そこに誰もが入れる「場」ができる(TwitNoNukesはその中核を体現しているわけだけれども)。
本書の中盤から後半にかけては経産省前に建てられた脱原発テントひろばとの対話、TwitNoNukes、そして反原連、官邸前抗議への言及と続く。これは彼(ら)がシングルイシューのためにいかに行動し、それを実践していったのかという記録になっている。
反原連の首相との会談についての記述は少々穿ち過ぎな感も無きにしも非ずだけれども、これは右デモ版の「デモいこ!」とも言えるし、この脱原発運動におけるシングルイシューを理解する上では読んでおいて損はないと思う。

【関連エントリ】
コール&レスポンス/TwitNoNukes#3(7.23)
「場」を拡げるということ/右から考える脱原発ネットワークデモ7.31
空白地帯で馬耳東風/素人の乱8.6東電前デモ