徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

YESの革命、まもなく/シアター・ブルック「最近の革命」

2012-12-19 04:13:25 | Music


シアターブルック、2012年の最新作『最近の革命』。
作為なきパフォーマンスと天衣無縫なギターとは裏腹に、タイジの書く歌詞は実に繊細で、直球で、気恥ずかしいほど真面目である。一曲目「キミを見てる」では、3.11の衝撃から生まれた「ひとつの答え」であり、いよいよ開催が間近に迫ったソーラー武道館とタイジ自身の覚悟が色濃く投影されている。まさにソーラー武道館賛歌ともいえる内容。以降、収録された新曲はどれもが、2011年から2012年のタイジの率直な心の動きが表現されていると思う。ということで、音の方も武道館向けのハードロック大会だった前作とは打って変わって(“ソーラー”かどうかはともかく、2012年末の武道館公演は前作のリリース当時から宣言していたのだ)、原点回帰ともいえるアーシーな感触になっている。

タイジのいう「NOではなくYESの革命」とは、3.11直後から連続開催されている下北沢・風知空知でのシリーズライブ「LIVE FOR NIPPON」でゲスト出演したキャンドル・ジュンの言葉を受けたものだろう。正直言ってその言葉には全面的に賛成というわけではないのだけれども、この場合のYES/NOはコインの裏表、クルマの両輪といったニュアンスで受け止めている。

「YESの革命」は明後日で武道館から始まる。
革命の門出を是非是非多くの人に見守って欲しいと思う。

書き継がれる事実/金曜官邸前抗議

2012-12-19 03:26:15 | News


野間易通さんの『金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える』(河出書房新社)。
大飯原発再稼動反対運動をひとつのピークに、2012年を代表するニュースとなった金曜官邸前抗議と首都圏反原発連合の内幕を描く。
これは昨年リリースされ、野間さんが編集を務めたTwitNoNukes編著『デモいこ! 声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える』(河出書房新社)と対を成すものだろうと思う。野間さん自身が反原連のスタッフであると同時に、まずTwitNoNukesのスタッフで、さらに反原連のシングルイシューの理念を過激に体現しているのがTwitNoNukesなのだから、それはまあ、当然である。『デモいこ』はTwitNoNukesの2011年の成果だろうし、2012年は反原連の立場で『金曜官邸前抗議』という形ある成果が残せたこと、しかもコレもアレも評論の類ではなく、あくまでも「当事者としての表現」というのが素晴らしいと思う。
発言や引用も網羅的で2012年の反原発運動の最前線、爆心地で起こっていた事実を知るための資料性も高い。
個人的には官邸前が盛り上がっていた時期、最前線にはほとんど行かなかった(行けなかった)ので、実際に何が起こっていたのかは後から当日のツイートで知る程度にしかわからなかった。
「君がいる場所が最前線」って誰のツイートだったか。まあ、本物の最前線は別として、それぞれがそれぞれの「金曜官邸前抗議」を体感している。それは変わらないと思うんだけれども。

第三極がバラバラになって民主を食い荒らして、無風状態の自民がなし崩し的に大勝するという、最悪の結果で終わった衆院選明け(個人的には徹夜明け)にAmazonから届いた。もちろんこの結果と事実は本書には反映されていないわけだが、これからも書き継がれるべき運動の真っ只中にいることをひしひしと感じたりするのであった。

野間さんの「金曜官邸前の「欲望」」も併読するとスタンスがよく理解できると思います。

25年目の「危険な話」/テレビと新聞が伝えない 太郎ホントの話

2012-12-19 01:41:04 | News


<出来る限り多くの人にこのビデオを見せて下さい>
『危険な話'88』のジャケットに印刷されたアトミック・カフェ・フェスティバルによる解説にはそう書かれている。リアルタイムで経験したあの“ブーム”でも、この言葉が繰り返し語られていたように記憶する。何とも布教というか、伝道というか、信者じみているが、世紀末に、核の恐怖に慄いてしまった若者たちは熱狂的に広瀬隆の講演を聴いていた。熱狂のピークは「朝まで!生テレビ」に広瀬が出演したときだろうか(あの番組自体、原発問題と同和問題でブレイクしたように思う)。あの頃から反原発とは大手メディアとの戦いでもあった。だからこそ深夜の討論番組とはいえ、あのアンダーグラウンドの、サブカルチャーのスター、ヒロセタカシがテレビに出るというのは、もうそれだけでニュースだったわけだ。
20数年経った今、福島でチェルノブイリを超える事故が起こった日本では、反原発運動の片隅で、ヒロセタカシのネガティブなイメージを拡張して、さらに劣化コピーしたような、実に性質の悪い連中が跋扈している。

DVDで「テレビと新聞が伝えない 太郎ホントの話」を観た。講演会ではなく、山本太郎が広瀬隆に訊くというスタイルで、現在「「地震編」と「放射能編」(こちらは2枚組)が頒布されている。ここには当然ながら、もはやあの当時のような、ある種の暗さはない。
「危険な話」が現実になってしまった今、おどろおどろしい情念や恫喝のような言葉や思考停止した陰謀論の類はもはや必要ない。それよりも溢れかえる情報と論争の中で、オレたちにはただ現実と事実を冷静に受け止め続ける覚悟さえあればいい。すべてはいまだに収束の見込みもなく、同時進行で、白日の下に晒されようとしている。
ずっと広瀬さんの著作を読み続けている人には目新しい情報や知見はそれほどないかもしれないけれども、20数年前に広瀬さんの講演会に熱狂しつつ、大人になってしまった“かつての若者”は観た方がいいんでないだろうか。

ただし<出来る限り多くの人にこのDVDを見せて下さい>とは、今は決して思わない。それよりも、
<これからも、真剣にお考えください、いや、共に考えてゆきましょう。行動する時が来ていることを私の強い意見として述べ、これを最後の言葉といたします。>(広瀬隆『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』新潮文庫)
の言葉が、やはり今は一番しっくりとくる。
身体性のない「行動」はいつだって「情報」を歪なものにする。