ナショジオで「終わりなき恐怖:ペルー、テロとの戦い」(原題:No Borders: State Of Fear)。
アビマエル・グスマンのセンドロ・ルミノソからアルベルト・フジモリの独裁政治まで、リアルなテロ戦争と幻想のテロ戦争の間で朽ちていく20年間に渡るペルーの現代史を描く。貧困と差別が革命の土壌を育み、そして暴力は集団と時間の中で変質し、革命と暴力の記憶が悪党の飯の種になるという恐怖(State Of Fear)の二段ロケット。日本の裏側での出来事とはいえ、歴史は形を替えて繰り返し、程度とテクニックの差こそあれ同じような悪党はどの国にもいる恐怖。
が、しかし。白人のギャングの親玉は登場するけれども、メスティーソ、インディヘナの狂信者たちとアジア系独裁者は、ペルーの黒い歴史の表舞台を祀り上げられるが、傍観者の白人層は結局最後まで傍観者という、どうにもやるせない力作。
やっぱし終わりなき恐怖の根源は、終わりなき差別と貧困と、忘れっぽいだけではなくて、むしろ嫌なことは積極的に忘れたい傍観者。
「あのとき、どこで、何をしていたのか」と自責の念にかられる傍観者の言葉は重いと信じたい。
アビマエル・グスマンのセンドロ・ルミノソからアルベルト・フジモリの独裁政治まで、リアルなテロ戦争と幻想のテロ戦争の間で朽ちていく20年間に渡るペルーの現代史を描く。貧困と差別が革命の土壌を育み、そして暴力は集団と時間の中で変質し、革命と暴力の記憶が悪党の飯の種になるという恐怖(State Of Fear)の二段ロケット。日本の裏側での出来事とはいえ、歴史は形を替えて繰り返し、程度とテクニックの差こそあれ同じような悪党はどの国にもいる恐怖。
が、しかし。白人のギャングの親玉は登場するけれども、メスティーソ、インディヘナの狂信者たちとアジア系独裁者は、ペルーの黒い歴史の表舞台を祀り上げられるが、傍観者の白人層は結局最後まで傍観者という、どうにもやるせない力作。
やっぱし終わりなき恐怖の根源は、終わりなき差別と貧困と、忘れっぽいだけではなくて、むしろ嫌なことは積極的に忘れたい傍観者。
「あのとき、どこで、何をしていたのか」と自責の念にかられる傍観者の言葉は重いと信じたい。
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