ナショジオで「ジャーニー・オブ・マン 人類の軌跡」(2005年)。
人類はアフリカに住む1万人ほどの祖先から始まり、インドを経由してオーストラリアのムンゴ湖周辺でアボリジニとなり、中央アジアで枝分かれした祖先のひとつは厳寒のベーリング海を渡って北アメリカでナバホとなる。そしてカザフスタンではひとりの“純血”の男が登場し、ホスト役の科学者スペンサー・ウェルズ氏から彼の2000世代前の祖先がヨーロッパ人となり、アジア人となっていったことが告げられる。人類の歴史は壮大な旅の歴史である、というロマン溢るる内容。いくら説明しても「アフリカ起源説は認めん!」という立場を貫くアボリジニも清々しい。それが彼の地で過酷な旅路を刻んだ末裔の矜持というものだろう。
そんなこんなでスペンサー氏が最後にカメラに向かって訴える美しい結論も容易に想像できるというものだ。
そして現在もなお進行中のプロジェクトが、<ジェノグラフィック・プロジェクト>。オフィシャルサイトのアトラスを見るだけでもひとまず刺激的ではある。
で、美しい理念に対しては、当然のように生臭い批判が元からあったわけで、「われわれは、医療業界の利益につながる遺伝子マーカーを探しているのではない」てな反論はしていたものの、案の定、今年春のレポートでは、イタリアの遺伝学者氏の「この研究成果は今後、疾病の研究を含めた(後略)」云々なるコメントも違和感なく挿入されてしまっている。人間ってヤツァ、一度知っちゃったら行くところまで行かないと止められなくなるもんね。もちろん生々しい話になりかねないのはまだまだ先の話なのだろうけれども、こういう人たちは、誰もが批判や反論できないような“正論”や“正義”を発明してでも、きっと止まらない。理念が反転してしまう瞬間というのは怖いものだ。
そして、参考資料。
「アダムの旅―Y染色体がたどった大いなる旅路」(スペンサー・ウェルズ/和泉裕子・訳)
「イヴの七人の娘たち」(ブライアン・サイクス/大野晶子・訳)
人類はアフリカに住む1万人ほどの祖先から始まり、インドを経由してオーストラリアのムンゴ湖周辺でアボリジニとなり、中央アジアで枝分かれした祖先のひとつは厳寒のベーリング海を渡って北アメリカでナバホとなる。そしてカザフスタンではひとりの“純血”の男が登場し、ホスト役の科学者スペンサー・ウェルズ氏から彼の2000世代前の祖先がヨーロッパ人となり、アジア人となっていったことが告げられる。人類の歴史は壮大な旅の歴史である、というロマン溢るる内容。いくら説明しても「アフリカ起源説は認めん!」という立場を貫くアボリジニも清々しい。それが彼の地で過酷な旅路を刻んだ末裔の矜持というものだろう。
そんなこんなでスペンサー氏が最後にカメラに向かって訴える美しい結論も容易に想像できるというものだ。
そして現在もなお進行中のプロジェクトが、<ジェノグラフィック・プロジェクト>。オフィシャルサイトのアトラスを見るだけでもひとまず刺激的ではある。
で、美しい理念に対しては、当然のように生臭い批判が元からあったわけで、「われわれは、医療業界の利益につながる遺伝子マーカーを探しているのではない」てな反論はしていたものの、案の定、今年春のレポートでは、イタリアの遺伝学者氏の「この研究成果は今後、疾病の研究を含めた(後略)」云々なるコメントも違和感なく挿入されてしまっている。人間ってヤツァ、一度知っちゃったら行くところまで行かないと止められなくなるもんね。もちろん生々しい話になりかねないのはまだまだ先の話なのだろうけれども、こういう人たちは、誰もが批判や反論できないような“正論”や“正義”を発明してでも、きっと止まらない。理念が反転してしまう瞬間というのは怖いものだ。
そして、参考資料。
「アダムの旅―Y染色体がたどった大いなる旅路」(スペンサー・ウェルズ/和泉裕子・訳)
「イヴの七人の娘たち」(ブライアン・サイクス/大野晶子・訳)
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