5月18日(水)
遠くだったは、近ずいてきて、昨晩は、雷雨があった。かみなりはそれほどひどくはなく、雨が数時間降り続いただけで、よいお湿りといえるほどだった。今朝は、晴れ。気持ちの良い、初夏の晴天で、空気は気持ちよい。雨の降った後の空気はきれいで、気持ちよい。しかし、そんなことは言えない状況はつずいている。吐き出され、ばらまかれた放射性物質は、風に運ばれ、関東地域のあちこちに飛散している。千葉県を通り越して、神奈川県の西部あたりにも降り、お茶の葉を汚染し、収穫販売をできなくした。どこに、どのような値で降り注ぐのかは、全く分からない。その時の風向き、風の強さ、などの気象条件に左右される。基準値より少ないから、安心ということではないが、どの地域の、どんな農産物を、汚染するかは、全く分からない。全くの偶然性に支配されている。
雨が降るということは、大気中の放射性物質を、より大地に運ぶこと、そして、大地の地中にしみ込ませること。恵みとなるはずの雨が、今や、田畑の土を汚染するものとなっている。私たちの作る農作物、どのように汚染されるのか、より少ない汚染で済んでくれることを祈るのみだ。
東電や、政府は、二か月以上もたってから、実は、炉心は溶融していたなどと、発表した。現実をきちんと公表し、初期から、より確実な対策をとっていればよかったのに、事故の重大性を隠そうとしたばかりに、どれだけ多くの人に、被害を与えたことか。事故から、二カ月以上経過してから、汚染地域から、避難を求めている。
少なくとも、子供達や、妊娠している人たちは、事故後、直ちに、避難させるべきだっただろう。過って、日本が、「学童疎開」として、空襲にあう都会の子供たちを、地方に疎開させたように。今回の、福島原発の事故は、その周囲の地域に対しては、過っての空襲と同じか、それ以上の危険を与えている。空襲は、目に見えるが、原発事故の危険は目に見えない。結果が判るまで、何年もの時間の経過を必要とするだけ、たちが悪いといえる。
ハッチク掘り。ようやく収穫できた。この間の雨のおかげだろう。今日の便に入れることができた。午後は、花畑。ヤマイモ用の畝に、アーチを汲み、ネットを張る。