5月25日(水)
畑の作業を終え、機械をトラックに積んでいると、携帯が鳴る。母のショートステイ先からだ。何かあったかと、受ける。急に、39℃もの高熱が出た。本人は、ちょっとボーっとしている位だが、病院に連れていくなり、引き取るなりお願いしたい。本来なら、明日の夕方までの予定なのだが、一日早く、しかも、迎えに来てくれという連絡だ。出先なので、すぐ家に帰り、連絡すると、電話を切り家に向かう。ケアマネージャーに相談すると、迎えに行き、診察を受けさせてくれるという。国保病院の、看護センターのケアマネージャーさんなので、こう云う時には、非常に助かる。我々だと、診察してもらえるかどうか、また、時間もかかることになるだろう。時間は、4時半を回ったころだった。しかし、もう仕事に出ることはできない。
5時半ころ、母帰宅。喉も、肺も異常ないから、尿から来る熱だろうということで、抗生物質と、解熱剤の処方で、様子を見ることになる。しかし、それからが大変だった。玄関に上がった母は、そのまま座り込んだまま。部屋に行くように云っても、動かない。たとうとするが立てない。たたない。はって行けというが、けして、はおうとはしない。はって動くことはみっともないと、思っているからだろう。何時までも付き合ってはいれない、動けないなら、引っ張ってゆくと最後通告。すると、引っ張ってくれという。どうにか、部屋に入れて、パジャマに着替えるように言う。外を片付けて入ってみても、何もしないで、同じ姿勢で座ったきり、何もしていない。
上着やズボンを脱がせ、パジャマを渡しても、やろうとしない。そのまま、布団に引きずり込み、布団を被せ、電気を消して、「そのまま、寝ていろ!」 夕食のテーブルに座ったのは、8時半をかなり回っていた。
そして、朝。本人は何もなかったかのように、パジャマを着て寝ている。起こして、着替えさせ、タオルケットも含めての洗濯。朝食を取らせ、検温。36度4分。平熱である。昼も36度3分。
振り回されただけ。あの高熱騒ぎは、何だったのだろう。
作業 ハッチク収穫。出荷作業。花畑 ロータリー耕。