今回の旅行の一番の目的といってもいい、義王鉄道博物館に行ってきた内容について紹介しようかなと思います。
※展示品についてなるべく漏れなく紹介していたら画像枚数が150枚になりました。長いですから覚悟してください。
義王の鉄道博物館、以前来ようと思っていたら改装中で来られなかったところなのでリベンジです。
敷地の外からも車両が見えます。たのしみ。
この鉄道博物館のすぐ裏には(多分)KORAILがやっている鉄道学校があります。
義王という町は鉄道の町として知られているそうです。
この写真を見ていて思ったんですが、鉄道学校の手前にあるこの柵って首都圏電鉄線などで使われているホーム柵と同じものじゃないですか。
ホームドア設置で余ったものを利用している、とかですかね?
さて、戻って入場しようと思っていたところ首都圏電鉄1号線の試運転が通っていきました。さっき天安駅で見かけたやつですね。
義王の駅には貨物駅もあるようで、7600形ディーゼル機関車が見られました。かっこいい。
ソウル地下鉄所属の車両もやってきました。
こちらが入場券。KORAILの駅で用いられるレシートタイプの乗車券の紙で発見されたのが面白いところです。
お値段は2000ウォン。たったの200円です。安い。
入ってすぐの位置で屋根付きで保存されているこの2両。かっこいい。
左側の蒸気機関車はD51などと同じミカド式(2-8-2)配置のミカサ形(ミカド式第3形式→ミカサ)
朝鮮総督府鉄道の機関車として製造された車両ですが、同型機が華中鉄道でも用いられていたそうです。
運転台にも入れます。おぉ。
隣に保存されているのは日本製動車と呼ばれるグループの気動車。
ピドゥルギ(pigeon=鳩が由来 普通列車相当)号用に日本で製造された気動車。キハ52をベースとした2エンジンの気動車で日本からの有償援助という形で製造されたそうです。
ここの鉄道博物館には新潟鉄工所製の車両と川崎車両製の車両が1両づつ保存されています。
車内もキハ52に似た感じでボックスシートが並んでいます。
解説も書いてありますが、読めない…
英語併記なので頑張れば解読できそうですが、事前にある程度調べていって正解でした。
先程の車両と同じく青色ベースの旧標準色を纏っているのは首都圏電鉄1号線の最初期の車両、1000系。
日本車両で製造された車両で、中央総武緩行線と帝都高速度交通営団東西線の直通用に製造された日本の国鉄301系に非常に似た形状をしています。
正面の窓がやや傾斜している感じとか似ていますよね。面白い。
車内には往時のきっぷなどの画像が掲示されていました。
奥にひっそり保存されているのはムグンファ号用の3100形ディーゼル機関車。
アメリカのALCO社(現在のEMD)にて製造されたそうです。
日本と異なり、各社特注ではなくメーカーが製造しているカタログから鉄道会社が選ぶといったスタイルのようです。
そういうわけで、台湾だったりブラジルだったりで似た車両が走っていたりします。台湾で似たやつ見ましたわ。
現在走っている機関車も、前面形状を少しアレンジしたうえで他社の製造している機関車を採用している例があるそうです。
例えばこのムグンファ号に使われる8200形も、実はシーメンスのユーロスプリンターのアレンジだそうです。まじか。
Railjetを牽引するタウルス君と中身は一緒だとは、化けるもんですね(Wikipediaより)
あ、箱型バージョンも存在しているんですね、これはそっくりですわ(これもWikipediaより)
奥に進みます。結構多くの車両が保存されている施設なのにこれで200円というのは安すぎるのでは…?
3両編成で保存されている首都圏電鉄1号線の1000系、中間車と反対の先頭車は2代目塗装になっています。
東北新幹線みたいな色した窓の少ないこの車両はトンイル(統一)号に繋げられていた暖房車。
日本では客車の暖房には機関車からのSG供給が主でしたが、韓国内ではディーゼル発電機を積んだ暖房専用車が繋げられていたみたいです。電源車の意味も兼ねていたんですかね?
日本でも暖房車というのはSG供給ができない場合のために蒸気暖房車「ヌ」が存在していましたが、それに似た存在といったところでしょうか。
屋根があるところで大切に保存されているこの2両の客車、これがとても貴重な車両なのです。
蒸気機関車が走っていたころの朝鮮半島は日本の統治下に置かれており、こちらも朝鮮総督府鉄道が関連する車両という訳です。
右にいる緑色の客車、あまりかっこいい顔とは言えない気がしますがこちらは朝鮮総督府鉄道の密閉式展望車。
デッキ付きの展望車に壁をつけたみたいな形状をしています。室内から見ると展望車な形状してますわ。
こちらは元々朝鮮総督府鉄道の誇る京釜間特急「あかつき」号の展望車ラテンイ1形として製造されたものです。レガートシートはついてません。
朝鮮総督府鉄道の特急あかつき号の頃はこんな感じの大型の窓が備えられていて、密閉型展望車として遜色のないものであったそうです。
今の形状はHゴム加工がされているように見えるので時代の差を感じられるかと思います。
日本統治終了後に在韓米軍司令官専用車として使われた際に改造がなされたものと思われます。
このころの最優等客車特有の3軸ボギー台車を履いているのも確認できました。日本でも貴賓車などで採用された構造ですね。
左にいる茶色の車両。落ち着いた色調でザ・展望車といった雰囲気がとても素敵です。
こちらも朝鮮総督府鉄道の客車で、急行「ひかり」「のぞみ」に用いられていた展望車テンイネ3形です。
急行ひかり号は釜山から京城、平壌、新義州から南満州鉄道線に直通し奉天、そして新京まで運転していた列車、それに対して急行のぞみ号は南満州鉄道本線の接続駅奉天まで運転をしていた姉妹列車といった感じです。
日本統治時代の朝鮮半島に於いては、東京発下関ゆき特急富士(日本初の特別急行列車)から関釜連絡線を介し釜山桟橋へ、そこから大陸へのアクセスを担った非常に重要な列車だったようです。
満州国が成立した後は首都新京までの直行及び奉天からあじあ号に接続のできるこれらの列車の需要が高くなったそうです。
まだまだ知識不足で申し訳ないのですが、これらの需要からさらに急行列車の設定は相次ぎ急行「大陸」「興亜」(釜山~北京)などの設定に繋がっていったとのことです。
ポツダム宣言の受諾により朝鮮半島の自治権を失い韓国に引き継がれることとなった訳ですが、最優等の客車であることから大統領専用車に転用されました。
デッキ部分には大統領専用車のエンブレムがついていました。かっこいい。
展示品の中でも特に新しそうなのがこの車両。EMU-250という新型車両のモックアップのようです。
運転台や車内にも入ることができました。あくまでモックアップなので車内は仕切りなしで特室(?)普通車の合造構造。
KTX山川の進化版となるそうなので実際には動力集中式で先頭車に客席がないってこともあるのかもしれません。数年前まで置かれていたKTX山川モックアップも先頭車に客席がある感じになっていたそうですし。
後は何やら放置されていた客車、休憩室として活用されていました。
屋根なしですが入口を通ってすぐ見える位置に堂々と2編成保存されていることらは大統領専用気動車。
ほぼ同じ形状ですが左側の車両のみが大統領専用気動車、右側は警護員列車ということです。
大統領専用気動車は日本車両製、警護員列車は大宇重工業(今の現代ロテム)で製造されたそうです。
警護員用の列車であればもう少し簡素にしてもいいのでは?という感じですが、あえて外観そっくりに作ることでカモフラージュ用として運用できるようにしているそうです。
大統領専用気動車に関してはさっきのテンイネ3形と同じ感じのエンブレムが掲げられているので両者の違いはよく見ると分かるんですが、警護員列車にも取り付けられる台座の身は用意されているみたいです。
警護員列車のほうはごく普通な座席がずらっと並んでいます。
それに対し、大統領専用気動車は…全然見えない。
会議ができるテーブルが見えるでしょうか。
そしてこちらはグランクラス並みの高級座席。
さっきの写真と同じく反射して非常に見辛いですが、これは二重ガラスの影響かと思われます。
警護員列車はごく一般的な一重のガラスですが、大統領専用気動車は防弾なのかどうなのかわかりませんが二重ガラスで頑丈に守られているようです。
どこの車両かわかりませんが先頭部のモックアップが展示されていました。
KORAILの鉄道博物館なので他の地下鉄などではないんじゃないかなぁと思いますが、非常用貫通扉が右側についているのってないんですよね。
仁川交通公社の車両に似ている気がしました。知らんけど。
ムグンファ号のネットワークを広げるうえで、比較的短距離の近郊輸送用に登場したのがこのNDC(New Diesel Car)9211系。
釜山広域市近郊で活躍した車両とのことで、晩年にVIP専用車として使われた車両が保存されています。
この顔、京成電鉄のスカイライナー初代AE形に似ている気がします。
NDC9211形と連結されているのは日本製動車、さっき見たのと同じ車両ですがこちらは首都圏電鉄1号線1000系と同じく2代目標準塗装を纏っています。
少し前まで動態保存されていたそうですが今は動かないみたいです。
1966年の川崎車輌神戸の銘板が残っていました。
屋根付きの展示スペースの方に戻ってきました。
手前にあるのは韓国で最後まで残った軽便鉄道の水仁線の客車…だったはずです。
水仁線という名前から分かる通り水原と仁川を結んでいた路線らしいです。
さっきの暖房車と同じ色をしたこちらはトンイル(統一)号の客車。東北新幹線っぽさがやっぱり。
ピドゥルギ号用の客車もいました。時間がなくてこれらをじっくり見られなかったのが残念だなぁと今になって思っているところです…
さて、こちらは個人的に楽しみにしていた車両。
この角度から見ると、非常に485系っぽい雰囲気を出しています。というかこれもう485系ですやん。
塗り分けや全体的な形状などかなり日本国鉄485系に近い雰囲気のこちらは9900系電車。
韓国鉄道庁の職員が日本視察をした際に、日本の485系のような列車を走らせたいという構想から埋まれた車両ということです。
電気部品などは日立製作所が製造、車体の製造と組み立ては韓国の大宇重工業で行われたそうです。
客車が主体の韓国において(恐らく)初の動力分散式の長距離電車特急型として登場、ソウルの清凉里駅から中央線を通って東海駅を結ぶムグンファ号で活躍しました。
しかし、その後長距離列車に動力分散式が本格採用されることはITXセマウルの世代まで開くこととなったみたいです。
車内には入れませんが窓から中が覗けました。車内が青緑色なのが"国鉄特急"っぽさあっていいですねぇ。
そしてこの塗り分け。すごい…これが見たかったんですよ。
この9900系の付近には保線機械類がたくさん保存されています。これまたマニアックな。
手前にあるのはマルチプルタイタンパー。日本で採用が多いプラッサー&トイラー社製ではなく二番目に大きなメーカーであるマチサ社製のものが置かれています。
マルタイが保存されているのってかなり少ないんじゃないかなぁと思います。調べてみましたが日本国内は軽井沢駅で展示されているものくらいでしょうか。
モーターカーみたいなやつも保存されていました。こういった保線機械がちゃんと保存されているのは日本にはないいい点かなぁと思いました。
クレーンを高く掲げた操重車、蒸気動力なので煙突があるのが特徴的。
ここにまた蒸気機関車が保存されています。
C51などと同じパシフィック式(4-6-2)配置のパシコ形。
ミカサ形と同じく朝鮮総督府鉄道で活躍した蒸気機関車です。
日本と同じことですが、動輪系を大きくし高速性能を高める動輪3軸タイプ(C)は旅客用に、軸数を多くし重量列車牽引に特化させる動輪4軸タイプ(D)は貨物用に設計され使い分けがされていたそうです。
近年は日本国内でD51牽引のSL旅客列車が復活運転されてたりしますけど、本来は貨物専用機関車ですもんね。忘れがちなところありますが。
こちらのSLはホワイト式表記法をもとにした形式名ではなく、ヒョウキ(狭軌)11形という機関車。
その名のとおりナロ―ゲージ用に作られた車両だそうで、水仁線で活躍しました。
日本でも軽便用は表記法が違ってケ90とかそういう形式名だったので考え方は同じですね。
おそらく水仁線の改軌直前まで使われたと思われるディーゼルカー。キハ10みたいな顔をしています。
最後尾には客車が繋がれていました。
あとは貨車とかも保存されていましたね、この辺もじっくり見たかったのですが…
屋外に展示されている車両はこれですべて紹介できたかと思います。結構雑な部分が多いのはあれですが。
続いて、館内展示も見ていこうと思います。
朝鮮半島流の建築に韓国の国旗がなびいている感じがどことなく板門店っぽくてやべ―雰囲気を感じてしまうのは私だけでしょうか?
館内入ってすぐに1/5スケールのパシイ形の模型が飾られていました。
基本的に朝鮮総督府鉄道や南満州鉄道の蒸気機関車には除煙板がないイメージでいたんですがこの機関車は大きな除煙板を装備していたみたいですね。
個人的にはこっちの方が迫力があってかっこいいかなぁと思いますが。
館内には鉄道の歴史がパネル展示されています。文字が読めないのでわかるわけがなかった。
ただ、これは知っていますよ。日本統治時代の朝鮮半島で最長の電化路線である金剛山電気鉄道ってやつですな。
国鉄の特急燕号を追い抜いたことで伝説になっている日本の新京阪P-6と非常に良く似た設計だそうで、かなり性能は高かったようです。
そういう知識をもとに考えると、ここに書いてあるハングルは
▶金剛山 電気鉄道(鉄原ー内金剛)開業
とかですかね?ちょうど文字数も合いますし2回出てくる金剛のところが同じなのでそんな感じだと思います。
これは首都圏電鉄1号線開業時の記念品でしょうか。
英語で書いてある路線図?です。在韓米軍の方が使用していたんでしょうか?
大事に保管されているテーブルと椅子、多分これは貴賓室とかそういう大事な場所のものなんでしょうね。
残念ながらハングルが読めない&車両以外の事前学習ができなかったので推測だらけです。
あとは当時の制服とか
社章の変遷のようなものが展示されていました。
右上のマークは保存されている車両に多く描かれていましたが、伸びゆくレールをデザインしているそうです。名古屋市交通局のマークに似ている。
上段中央には南満州鉄道の社章もありますね、確かその隣のやつが朝鮮総督府鉄道だったはずです。
こちらはKTX開業時や1周年の記念品ですね。
活躍した車両の年表や
高速試験車HEMU-430Xの模型なども展示されていました。この車両は動力分散式なんですね。
先程本線上を走っているのを見かけたばかりのタンク車の模型や
こちらはセマウル号に用いられていた日本製の電源車。
ヘッドマーク部分や窓の感じがいいですねぇ。どことなく20系ブルートレインっぽさがあります。
鉄道博物館らしく運転シミュレーターもありました。
ただ、運転台は本物と大きく異なるように見えます。
順路を進むと、連結器や車輪の展示がありました。
その隣、特に解説はありませんでしたが蒸気機関車のナンバープレートと車両の製造銘板がずらっと並べられていました。
銘板がずらり、おぉ。
ここの銘板なんですが、よく見ると日本統治時代のものが多数保存されており漢字表記で読めるものがいくつもありました。
日本統治を負の時代と捉える傾向が強いそうなのでこういった類のものは展示されていないと勝手に思っていました。これはすごい。
あまりに感動しすぎてここで15分くらい過ごしていた気がします。とりあえず後で調べようと全てが映るように写真を撮りまくりました。
そのうち一部ではありますが、特徴的なものを紹介していこうと思います。
昭和八年三月 大連機械製作所製造
DAIREN-KIKAI-SEISAKU-SHO.LTD 1933
1906年の大日本帝国租借地(南満州鉄道附属地)時代を経て1932年に独立し成立した満州国の主要な貿易港である大連で製造された車両の銘板のようです。
やはり部品調達の観点から鉄道関連の製造工場は港に作られることが多かったようです。
個人的にはLTDの文字の収め方がとても好き。
大連鐵道工場 昭和拾貮年度製作
先程の大連機械製作所の銘板の4年後のものですが、数字の表記法が変わるなどかなり印象が変わった気がします。
中央には誇らしげに南満州鉄道の社章が掲げられています。
果たしてこれが大連機械製作所を買収したものなのか、それとも別で設立したものなのかは資料が少なくて分かりませんでした。また詳しく調べます。
+6年(?)
朝鮮車輌 仁川工場
製造年表記についてはちょっと解読できませんでした。
そしてこの朝鮮車輌という会社自体がよくわかりません。資料が少なすぎる。
日本車輌仁川工場 昭和十六年
同じ並びにこの銘板があったので紹介。
推測でしかありませんが日本車輌の関連企業として朝鮮車輌が設立され、韓国併合後の日本統治時代のどこかのタイミングで社名を日本車輌に変更したのではないかなぁと思います。
今では国外である関係からか、日本車輌の会社沿革にも仁川工場については一切触れられていないんですよねぇ…わからん。
田中神車輌 昭和10年
1920年に兵庫県尼崎市に創業の田中車輌工場で1936年に製造された車両の銘板。
今の近畿車両のルーツとなる会社で1945年に近鉄の傘下に入ったことで近畿車輌に社名変更をしたそうです。
田中車輌の銘板って日本国内で見たことがないのですが、ネット検索しても出てこないということは日本国内の博物館には展示されていないのではないでしょうか?
朝鮮総督府鐵道局
平壌工場 昭和十六年
今では近くて遠い国となってしまった38度ラインより北側の平壌。
過去にはそこも日本が統治していたという歴史的に貴重な資料ではないかと思います。
やっぱり「平壌」の文字を見ると、やべぇよやべぇよ…という気持ちになりますね。写真撮ってて大丈夫か不安になりましたw
日本車輌、汽車會社、新潟鐵工所など日本の主要メーカーも多くが朝鮮に進出していたようです。
MIHARA ROCOMOTIVE WORKS
MIHARA JAPAN 1950
こちらは三菱重工業三原工場で製造された車両の銘板。蒸気機関車の名工場として知られた工場だったそうです。
中央のマークは何なんでしょうか、三菱マークじゃないですし。
TOKYU JAPAN 1950
YOKOHAMA ENG.WORKS LTD.
こちらは東急車両横浜工場の銘板、今の総合車両製作所ですね。
お気づきの方もおられると思いますが、中央のレールに羽が生えたようなマークは戦時体制の陸上交通事業調整法で誕生したいわゆる大東急の頃のものです。
奉天造兵所、満州工廠、満州車輌などの朝鮮半島のメーカーの中に加悦SL広場で見た梅鉢鐵工所から名称変更した梅鉢車輌會社の銘板もありました。
IINO SANGYO CO.,LTD
MAIZURU JAPAN 1953
飯野産業というのは戦後に舞鶴海軍工廠を引き継いだ会社とのこと。
舞鶴は駆逐艦製造の中心的な存在だったそうで、新型の1番艦は舞鶴で製造し2番艦以降をその他の工廠で建造するといった形態がとられていたそうです。
戦後飯野産業に引き継がれてからは仕事が減ったのか貨車製造を手掛け、その一部が朝鮮へ渡ったみたいですね。
今でも大井川鉄道井川線には中部電力が発注した飯野産業製の大物車が現役だそうです。
そんな具合で全てではないですが一部の銘板を紹介しました。
日本では見られない銘板、特に南満州鉄道や朝鮮総督府鉄道のものが多数みられたのは非常に良かったなぁと感じました。
何も解説がないのが不思議なくらいです。この鉄道博物館において一番の収穫かもしれません。
横にあったパシコ形のナンバープレートとかも解読したら凄いものなのかもしれませんが、今回は写真のみにしておきます。
このすぐ裏には鉄道模型のジオラマがありました。鉄道博物館にはだいたいありますよねやっぱ。
二階の展示室にやってきました。
こちらには鉄道の現場で用いられている道具などが展示されているみたいです。
手旗や信号炎管なんかは日本と同じですね。
これは、券売機みたいですね。日本の鉄道博物館にもこういう展示ありますけど結構好きなんですよね、
車輌の展示だけじゃなくてこういう道具や信号関連に興味が湧いてきてしまったらもう戻れない。
手書きの切符の控え束でしょうか、最後のものは貨物票と案内がありました。
全然読めませんが、鉄道小荷物が盛んだったころに多く用いられていたものなんじゃないかなぁと思います。
記念スタンプも展示されていました。
漢字で書かれている頃の時刻表。解説に1960と書かれていることから大韓民国成立後のもののようです。
社線とあることから国鉄(省線)時刻表の会社線のページが開かれているようです。
左のページは城東~春川の京春鉄道株式会社。
その後省線に組み込まれ、現在は京春電鉄線としてITX青春などが走っています。
右側のページは先程写真を紹介した金剛山電気鉄道。
この頃になると京城電軌に合併されていたようで、項目名は京城電軌株式会社金剛山電鉄線となっています。
また、昌道~内金剛は戦争被害で休止になっているのかと思ったんですが、調べてみると直接の戦争被害ではなく観光色の強い路線であったが故に不要不急線指定されたそうです。
その先の展示室には金剛山電気鉄道の車両模型が展示されていました。
非常に優れた車両であることはすでに書いたわけですが、なんとこの貴重な車両が今でも保存されている場所があるというから驚きです。
場所は平壌の鉄道省革命事績館、金日成主席がご乗車された記念すべき車両として大切に保存されているそうです。
車両の性能の高さから見に行ってみたいなぁと思うところですが、場所が場所だけに残念ながら行くことはできません。残念。
ただ、ここにある模型よりもかなり精密に制作された模型が横浜にある原鉄道模型博物館で見られるそうです。関東に用があるときに行ってみようかなぁ。
きっぷを印刷する機械や
昔使われていたきっぷなども保存展示されていました。
合図灯、尾灯、腕章、ダッチングマシーンなども保存されていました。
日本で用いられているものと同じスタイルをしているのが面白いところです。
PC枕木など道床関連の技術展示もされていました。車両だけでなくこうやっていろいろ幅広く展示しているのはいい博物館である証拠かと思います。
保線部門の展示も欠かしません。この形状はテルミット溶接機で合っていると思います。こんなものまで展示しているんですね。
レールの削正を行うと思われる機械やマルチプルタイタンパーの模型なども置かれていました。
屋外の鉄道車両展示も保線用機械が多く置かれていたことからここの展示館でもスペースが広めに取られているのかなぁと思います。
標識類と保線作業員さんの展示。
日本と同じであれば三菱マークのやつは徐行予告信号機、黄色と緑はそれぞれ徐行信号機と徐行解除信号機でしょうか。
先に進むと、踏切などの保安設備展示のコーナーに出ました。
うおおおぉぉぉ!これはタブレット閉塞器じゃないですか。
日本で用いられているものと基本的には同じものを用いていたみたいで、駅名や製造銘板はハングルですが全開/半開や錠解/信送の表記は全く同じでした。
信号制御盤のようですね。やっぱ設備系のものは基本的に同じ形をしているので面白いです。
このあたりで雰囲気的に蛍の光みたいな音楽が流れてきました。なるほど、あと10分で閉館時間です。
幸いなことに展示室はあと少しで終わりなのでパパッと見てから出ることにします。
日本で言うATSの地上子に相当すると思われる保安装置。
転轍機の標識やタブレットキャッチャー、自動改札機なども置かれていました。詳しく見る時間がなかったのが残念ですが。
やっぱりタブレット閉塞器とかかっこいいですよねぇ。見ごたえがありました。
展示室を出たところにはいくつかパネル展示がありました。さっきみた9900系の現役時代や
9900系と同スタイルで製造された姉妹車ともいえる気動車DEC(Diesel Excellent Car)9201系の写真も見られました。
あとはこんな感じ。座席はKTXのものでしょうか?
そんな感じで最後ちょっと走り気味でしたが、これはいいですね。
いやぁ、楽しみました。
約1時間半滞在していたみたいです。あっという間でした。
これだけ充実しているのに2000ウォンって安すぎる気がしますよ。
非常に楽しい施設でした。皆様も韓国に旅行される際はぜひ。
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↑バスの同人誌です。
※展示品についてなるべく漏れなく紹介していたら画像枚数が150枚になりました。長いですから覚悟してください。
義王の鉄道博物館、以前来ようと思っていたら改装中で来られなかったところなのでリベンジです。
敷地の外からも車両が見えます。たのしみ。
この鉄道博物館のすぐ裏には(多分)KORAILがやっている鉄道学校があります。
義王という町は鉄道の町として知られているそうです。
この写真を見ていて思ったんですが、鉄道学校の手前にあるこの柵って首都圏電鉄線などで使われているホーム柵と同じものじゃないですか。
ホームドア設置で余ったものを利用している、とかですかね?
さて、戻って入場しようと思っていたところ首都圏電鉄1号線の試運転が通っていきました。さっき天安駅で見かけたやつですね。
義王の駅には貨物駅もあるようで、7600形ディーゼル機関車が見られました。かっこいい。
ソウル地下鉄所属の車両もやってきました。
こちらが入場券。KORAILの駅で用いられるレシートタイプの乗車券の紙で発見されたのが面白いところです。
お値段は2000ウォン。たったの200円です。安い。
入ってすぐの位置で屋根付きで保存されているこの2両。かっこいい。
左側の蒸気機関車はD51などと同じミカド式(2-8-2)配置のミカサ形(ミカド式第3形式→ミカサ)
朝鮮総督府鉄道の機関車として製造された車両ですが、同型機が華中鉄道でも用いられていたそうです。
運転台にも入れます。おぉ。
隣に保存されているのは日本製動車と呼ばれるグループの気動車。
ピドゥルギ(pigeon=鳩が由来 普通列車相当)号用に日本で製造された気動車。キハ52をベースとした2エンジンの気動車で日本からの有償援助という形で製造されたそうです。
ここの鉄道博物館には新潟鉄工所製の車両と川崎車両製の車両が1両づつ保存されています。
車内もキハ52に似た感じでボックスシートが並んでいます。
解説も書いてありますが、読めない…
英語併記なので頑張れば解読できそうですが、事前にある程度調べていって正解でした。
先程の車両と同じく青色ベースの旧標準色を纏っているのは首都圏電鉄1号線の最初期の車両、1000系。
日本車両で製造された車両で、中央総武緩行線と帝都高速度交通営団東西線の直通用に製造された日本の国鉄301系に非常に似た形状をしています。
正面の窓がやや傾斜している感じとか似ていますよね。面白い。
車内には往時のきっぷなどの画像が掲示されていました。
奥にひっそり保存されているのはムグンファ号用の3100形ディーゼル機関車。
アメリカのALCO社(現在のEMD)にて製造されたそうです。
日本と異なり、各社特注ではなくメーカーが製造しているカタログから鉄道会社が選ぶといったスタイルのようです。
そういうわけで、台湾だったりブラジルだったりで似た車両が走っていたりします。台湾で似たやつ見ましたわ。
現在走っている機関車も、前面形状を少しアレンジしたうえで他社の製造している機関車を採用している例があるそうです。
例えばこのムグンファ号に使われる8200形も、実はシーメンスのユーロスプリンターのアレンジだそうです。まじか。
Railjetを牽引するタウルス君と中身は一緒だとは、化けるもんですね(Wikipediaより)
あ、箱型バージョンも存在しているんですね、これはそっくりですわ(これもWikipediaより)
奥に進みます。結構多くの車両が保存されている施設なのにこれで200円というのは安すぎるのでは…?
3両編成で保存されている首都圏電鉄1号線の1000系、中間車と反対の先頭車は2代目塗装になっています。
東北新幹線みたいな色した窓の少ないこの車両はトンイル(統一)号に繋げられていた暖房車。
日本では客車の暖房には機関車からのSG供給が主でしたが、韓国内ではディーゼル発電機を積んだ暖房専用車が繋げられていたみたいです。電源車の意味も兼ねていたんですかね?
日本でも暖房車というのはSG供給ができない場合のために蒸気暖房車「ヌ」が存在していましたが、それに似た存在といったところでしょうか。
屋根があるところで大切に保存されているこの2両の客車、これがとても貴重な車両なのです。
蒸気機関車が走っていたころの朝鮮半島は日本の統治下に置かれており、こちらも朝鮮総督府鉄道が関連する車両という訳です。
右にいる緑色の客車、あまりかっこいい顔とは言えない気がしますがこちらは朝鮮総督府鉄道の密閉式展望車。
デッキ付きの展望車に壁をつけたみたいな形状をしています。室内から見ると展望車な形状してますわ。
こちらは元々朝鮮総督府鉄道の誇る京釜間特急「あかつき」号の展望車ラテンイ1形として製造されたものです。レガートシートはついてません。
朝鮮総督府鉄道の特急あかつき号の頃はこんな感じの大型の窓が備えられていて、密閉型展望車として遜色のないものであったそうです。
今の形状はHゴム加工がされているように見えるので時代の差を感じられるかと思います。
日本統治終了後に在韓米軍司令官専用車として使われた際に改造がなされたものと思われます。
このころの最優等客車特有の3軸ボギー台車を履いているのも確認できました。日本でも貴賓車などで採用された構造ですね。
左にいる茶色の車両。落ち着いた色調でザ・展望車といった雰囲気がとても素敵です。
こちらも朝鮮総督府鉄道の客車で、急行「ひかり」「のぞみ」に用いられていた展望車テンイネ3形です。
急行ひかり号は釜山から京城、平壌、新義州から南満州鉄道線に直通し奉天、そして新京まで運転していた列車、それに対して急行のぞみ号は南満州鉄道本線の接続駅奉天まで運転をしていた姉妹列車といった感じです。
日本統治時代の朝鮮半島に於いては、東京発下関ゆき特急富士(日本初の特別急行列車)から関釜連絡線を介し釜山桟橋へ、そこから大陸へのアクセスを担った非常に重要な列車だったようです。
満州国が成立した後は首都新京までの直行及び奉天からあじあ号に接続のできるこれらの列車の需要が高くなったそうです。
まだまだ知識不足で申し訳ないのですが、これらの需要からさらに急行列車の設定は相次ぎ急行「大陸」「興亜」(釜山~北京)などの設定に繋がっていったとのことです。
ポツダム宣言の受諾により朝鮮半島の自治権を失い韓国に引き継がれることとなった訳ですが、最優等の客車であることから大統領専用車に転用されました。
デッキ部分には大統領専用車のエンブレムがついていました。かっこいい。
展示品の中でも特に新しそうなのがこの車両。EMU-250という新型車両のモックアップのようです。
運転台や車内にも入ることができました。あくまでモックアップなので車内は仕切りなしで特室(?)普通車の合造構造。
KTX山川の進化版となるそうなので実際には動力集中式で先頭車に客席がないってこともあるのかもしれません。数年前まで置かれていたKTX山川モックアップも先頭車に客席がある感じになっていたそうですし。
後は何やら放置されていた客車、休憩室として活用されていました。
屋根なしですが入口を通ってすぐ見える位置に堂々と2編成保存されていることらは大統領専用気動車。
ほぼ同じ形状ですが左側の車両のみが大統領専用気動車、右側は警護員列車ということです。
大統領専用気動車は日本車両製、警護員列車は大宇重工業(今の現代ロテム)で製造されたそうです。
警護員用の列車であればもう少し簡素にしてもいいのでは?という感じですが、あえて外観そっくりに作ることでカモフラージュ用として運用できるようにしているそうです。
大統領専用気動車に関してはさっきのテンイネ3形と同じ感じのエンブレムが掲げられているので両者の違いはよく見ると分かるんですが、警護員列車にも取り付けられる台座の身は用意されているみたいです。
警護員列車のほうはごく普通な座席がずらっと並んでいます。
それに対し、大統領専用気動車は…全然見えない。
会議ができるテーブルが見えるでしょうか。
そしてこちらはグランクラス並みの高級座席。
さっきの写真と同じく反射して非常に見辛いですが、これは二重ガラスの影響かと思われます。
警護員列車はごく一般的な一重のガラスですが、大統領専用気動車は防弾なのかどうなのかわかりませんが二重ガラスで頑丈に守られているようです。
どこの車両かわかりませんが先頭部のモックアップが展示されていました。
KORAILの鉄道博物館なので他の地下鉄などではないんじゃないかなぁと思いますが、非常用貫通扉が右側についているのってないんですよね。
仁川交通公社の車両に似ている気がしました。知らんけど。
ムグンファ号のネットワークを広げるうえで、比較的短距離の近郊輸送用に登場したのがこのNDC(New Diesel Car)9211系。
釜山広域市近郊で活躍した車両とのことで、晩年にVIP専用車として使われた車両が保存されています。
この顔、京成電鉄のスカイライナー初代AE形に似ている気がします。
NDC9211形と連結されているのは日本製動車、さっき見たのと同じ車両ですがこちらは首都圏電鉄1号線1000系と同じく2代目標準塗装を纏っています。
少し前まで動態保存されていたそうですが今は動かないみたいです。
1966年の川崎車輌神戸の銘板が残っていました。
屋根付きの展示スペースの方に戻ってきました。
手前にあるのは韓国で最後まで残った軽便鉄道の水仁線の客車…だったはずです。
水仁線という名前から分かる通り水原と仁川を結んでいた路線らしいです。
さっきの暖房車と同じ色をしたこちらはトンイル(統一)号の客車。東北新幹線っぽさがやっぱり。
ピドゥルギ号用の客車もいました。時間がなくてこれらをじっくり見られなかったのが残念だなぁと今になって思っているところです…
さて、こちらは個人的に楽しみにしていた車両。
この角度から見ると、非常に485系っぽい雰囲気を出しています。というかこれもう485系ですやん。
塗り分けや全体的な形状などかなり日本国鉄485系に近い雰囲気のこちらは9900系電車。
韓国鉄道庁の職員が日本視察をした際に、日本の485系のような列車を走らせたいという構想から埋まれた車両ということです。
電気部品などは日立製作所が製造、車体の製造と組み立ては韓国の大宇重工業で行われたそうです。
客車が主体の韓国において(恐らく)初の動力分散式の長距離電車特急型として登場、ソウルの清凉里駅から中央線を通って東海駅を結ぶムグンファ号で活躍しました。
しかし、その後長距離列車に動力分散式が本格採用されることはITXセマウルの世代まで開くこととなったみたいです。
車内には入れませんが窓から中が覗けました。車内が青緑色なのが"国鉄特急"っぽさあっていいですねぇ。
そしてこの塗り分け。すごい…これが見たかったんですよ。
この9900系の付近には保線機械類がたくさん保存されています。これまたマニアックな。
手前にあるのはマルチプルタイタンパー。日本で採用が多いプラッサー&トイラー社製ではなく二番目に大きなメーカーであるマチサ社製のものが置かれています。
マルタイが保存されているのってかなり少ないんじゃないかなぁと思います。調べてみましたが日本国内は軽井沢駅で展示されているものくらいでしょうか。
モーターカーみたいなやつも保存されていました。こういった保線機械がちゃんと保存されているのは日本にはないいい点かなぁと思いました。
クレーンを高く掲げた操重車、蒸気動力なので煙突があるのが特徴的。
ここにまた蒸気機関車が保存されています。
C51などと同じパシフィック式(4-6-2)配置のパシコ形。
ミカサ形と同じく朝鮮総督府鉄道で活躍した蒸気機関車です。
日本と同じことですが、動輪系を大きくし高速性能を高める動輪3軸タイプ(C)は旅客用に、軸数を多くし重量列車牽引に特化させる動輪4軸タイプ(D)は貨物用に設計され使い分けがされていたそうです。
近年は日本国内でD51牽引のSL旅客列車が復活運転されてたりしますけど、本来は貨物専用機関車ですもんね。忘れがちなところありますが。
こちらのSLはホワイト式表記法をもとにした形式名ではなく、ヒョウキ(狭軌)11形という機関車。
その名のとおりナロ―ゲージ用に作られた車両だそうで、水仁線で活躍しました。
日本でも軽便用は表記法が違ってケ90とかそういう形式名だったので考え方は同じですね。
おそらく水仁線の改軌直前まで使われたと思われるディーゼルカー。キハ10みたいな顔をしています。
最後尾には客車が繋がれていました。
あとは貨車とかも保存されていましたね、この辺もじっくり見たかったのですが…
屋外に展示されている車両はこれですべて紹介できたかと思います。結構雑な部分が多いのはあれですが。
続いて、館内展示も見ていこうと思います。
朝鮮半島流の建築に韓国の国旗がなびいている感じがどことなく板門店っぽくてやべ―雰囲気を感じてしまうのは私だけでしょうか?
館内入ってすぐに1/5スケールのパシイ形の模型が飾られていました。
基本的に朝鮮総督府鉄道や南満州鉄道の蒸気機関車には除煙板がないイメージでいたんですがこの機関車は大きな除煙板を装備していたみたいですね。
個人的にはこっちの方が迫力があってかっこいいかなぁと思いますが。
館内には鉄道の歴史がパネル展示されています。文字が読めないのでわかるわけがなかった。
ただ、これは知っていますよ。日本統治時代の朝鮮半島で最長の電化路線である金剛山電気鉄道ってやつですな。
国鉄の特急燕号を追い抜いたことで伝説になっている日本の新京阪P-6と非常に良く似た設計だそうで、かなり性能は高かったようです。
そういう知識をもとに考えると、ここに書いてあるハングルは
▶金剛山 電気鉄道(鉄原ー内金剛)開業
とかですかね?ちょうど文字数も合いますし2回出てくる金剛のところが同じなのでそんな感じだと思います。
これは首都圏電鉄1号線開業時の記念品でしょうか。
英語で書いてある路線図?です。在韓米軍の方が使用していたんでしょうか?
大事に保管されているテーブルと椅子、多分これは貴賓室とかそういう大事な場所のものなんでしょうね。
残念ながらハングルが読めない&車両以外の事前学習ができなかったので推測だらけです。
あとは当時の制服とか
社章の変遷のようなものが展示されていました。
右上のマークは保存されている車両に多く描かれていましたが、伸びゆくレールをデザインしているそうです。名古屋市交通局のマークに似ている。
上段中央には南満州鉄道の社章もありますね、確かその隣のやつが朝鮮総督府鉄道だったはずです。
こちらはKTX開業時や1周年の記念品ですね。
活躍した車両の年表や
高速試験車HEMU-430Xの模型なども展示されていました。この車両は動力分散式なんですね。
先程本線上を走っているのを見かけたばかりのタンク車の模型や
こちらはセマウル号に用いられていた日本製の電源車。
ヘッドマーク部分や窓の感じがいいですねぇ。どことなく20系ブルートレインっぽさがあります。
鉄道博物館らしく運転シミュレーターもありました。
ただ、運転台は本物と大きく異なるように見えます。
順路を進むと、連結器や車輪の展示がありました。
その隣、特に解説はありませんでしたが蒸気機関車のナンバープレートと車両の製造銘板がずらっと並べられていました。
銘板がずらり、おぉ。
ここの銘板なんですが、よく見ると日本統治時代のものが多数保存されており漢字表記で読めるものがいくつもありました。
日本統治を負の時代と捉える傾向が強いそうなのでこういった類のものは展示されていないと勝手に思っていました。これはすごい。
あまりに感動しすぎてここで15分くらい過ごしていた気がします。とりあえず後で調べようと全てが映るように写真を撮りまくりました。
そのうち一部ではありますが、特徴的なものを紹介していこうと思います。
昭和八年三月 大連機械製作所製造
DAIREN-KIKAI-SEISAKU-SHO.LTD 1933
1906年の大日本帝国租借地(南満州鉄道附属地)時代を経て1932年に独立し成立した満州国の主要な貿易港である大連で製造された車両の銘板のようです。
やはり部品調達の観点から鉄道関連の製造工場は港に作られることが多かったようです。
個人的にはLTDの文字の収め方がとても好き。
大連鐵道工場 昭和拾貮年度製作
先程の大連機械製作所の銘板の4年後のものですが、数字の表記法が変わるなどかなり印象が変わった気がします。
中央には誇らしげに南満州鉄道の社章が掲げられています。
果たしてこれが大連機械製作所を買収したものなのか、それとも別で設立したものなのかは資料が少なくて分かりませんでした。また詳しく調べます。
+6年(?)
朝鮮車輌 仁川工場
製造年表記についてはちょっと解読できませんでした。
そしてこの朝鮮車輌という会社自体がよくわかりません。資料が少なすぎる。
日本車輌仁川工場 昭和十六年
同じ並びにこの銘板があったので紹介。
推測でしかありませんが日本車輌の関連企業として朝鮮車輌が設立され、韓国併合後の日本統治時代のどこかのタイミングで社名を日本車輌に変更したのではないかなぁと思います。
今では国外である関係からか、日本車輌の会社沿革にも仁川工場については一切触れられていないんですよねぇ…わからん。
田中神車輌 昭和10年
1920年に兵庫県尼崎市に創業の田中車輌工場で1936年に製造された車両の銘板。
今の近畿車両のルーツとなる会社で1945年に近鉄の傘下に入ったことで近畿車輌に社名変更をしたそうです。
田中車輌の銘板って日本国内で見たことがないのですが、ネット検索しても出てこないということは日本国内の博物館には展示されていないのではないでしょうか?
朝鮮総督府鐵道局
平壌工場 昭和十六年
今では近くて遠い国となってしまった38度ラインより北側の平壌。
過去にはそこも日本が統治していたという歴史的に貴重な資料ではないかと思います。
やっぱり「平壌」の文字を見ると、やべぇよやべぇよ…という気持ちになりますね。写真撮ってて大丈夫か不安になりましたw
日本車輌、汽車會社、新潟鐵工所など日本の主要メーカーも多くが朝鮮に進出していたようです。
MIHARA ROCOMOTIVE WORKS
MIHARA JAPAN 1950
こちらは三菱重工業三原工場で製造された車両の銘板。蒸気機関車の名工場として知られた工場だったそうです。
中央のマークは何なんでしょうか、三菱マークじゃないですし。
TOKYU JAPAN 1950
YOKOHAMA ENG.WORKS LTD.
こちらは東急車両横浜工場の銘板、今の総合車両製作所ですね。
お気づきの方もおられると思いますが、中央のレールに羽が生えたようなマークは戦時体制の陸上交通事業調整法で誕生したいわゆる大東急の頃のものです。
奉天造兵所、満州工廠、満州車輌などの朝鮮半島のメーカーの中に加悦SL広場で見た梅鉢鐵工所から名称変更した梅鉢車輌會社の銘板もありました。
IINO SANGYO CO.,LTD
MAIZURU JAPAN 1953
飯野産業というのは戦後に舞鶴海軍工廠を引き継いだ会社とのこと。
舞鶴は駆逐艦製造の中心的な存在だったそうで、新型の1番艦は舞鶴で製造し2番艦以降をその他の工廠で建造するといった形態がとられていたそうです。
戦後飯野産業に引き継がれてからは仕事が減ったのか貨車製造を手掛け、その一部が朝鮮へ渡ったみたいですね。
今でも大井川鉄道井川線には中部電力が発注した飯野産業製の大物車が現役だそうです。
そんな具合で全てではないですが一部の銘板を紹介しました。
日本では見られない銘板、特に南満州鉄道や朝鮮総督府鉄道のものが多数みられたのは非常に良かったなぁと感じました。
何も解説がないのが不思議なくらいです。この鉄道博物館において一番の収穫かもしれません。
横にあったパシコ形のナンバープレートとかも解読したら凄いものなのかもしれませんが、今回は写真のみにしておきます。
このすぐ裏には鉄道模型のジオラマがありました。鉄道博物館にはだいたいありますよねやっぱ。
二階の展示室にやってきました。
こちらには鉄道の現場で用いられている道具などが展示されているみたいです。
手旗や信号炎管なんかは日本と同じですね。
これは、券売機みたいですね。日本の鉄道博物館にもこういう展示ありますけど結構好きなんですよね、
車輌の展示だけじゃなくてこういう道具や信号関連に興味が湧いてきてしまったらもう戻れない。
手書きの切符の控え束でしょうか、最後のものは貨物票と案内がありました。
全然読めませんが、鉄道小荷物が盛んだったころに多く用いられていたものなんじゃないかなぁと思います。
記念スタンプも展示されていました。
漢字で書かれている頃の時刻表。解説に1960と書かれていることから大韓民国成立後のもののようです。
社線とあることから国鉄(省線)時刻表の会社線のページが開かれているようです。
左のページは城東~春川の京春鉄道株式会社。
その後省線に組み込まれ、現在は京春電鉄線としてITX青春などが走っています。
右側のページは先程写真を紹介した金剛山電気鉄道。
この頃になると京城電軌に合併されていたようで、項目名は京城電軌株式会社金剛山電鉄線となっています。
また、昌道~内金剛は戦争被害で休止になっているのかと思ったんですが、調べてみると直接の戦争被害ではなく観光色の強い路線であったが故に不要不急線指定されたそうです。
その先の展示室には金剛山電気鉄道の車両模型が展示されていました。
非常に優れた車両であることはすでに書いたわけですが、なんとこの貴重な車両が今でも保存されている場所があるというから驚きです。
場所は平壌の鉄道省革命事績館、金日成主席がご乗車された記念すべき車両として大切に保存されているそうです。
車両の性能の高さから見に行ってみたいなぁと思うところですが、場所が場所だけに残念ながら行くことはできません。残念。
ただ、ここにある模型よりもかなり精密に制作された模型が横浜にある原鉄道模型博物館で見られるそうです。関東に用があるときに行ってみようかなぁ。
きっぷを印刷する機械や
昔使われていたきっぷなども保存展示されていました。
合図灯、尾灯、腕章、ダッチングマシーンなども保存されていました。
日本で用いられているものと同じスタイルをしているのが面白いところです。
PC枕木など道床関連の技術展示もされていました。車両だけでなくこうやっていろいろ幅広く展示しているのはいい博物館である証拠かと思います。
保線部門の展示も欠かしません。この形状はテルミット溶接機で合っていると思います。こんなものまで展示しているんですね。
レールの削正を行うと思われる機械やマルチプルタイタンパーの模型なども置かれていました。
屋外の鉄道車両展示も保線用機械が多く置かれていたことからここの展示館でもスペースが広めに取られているのかなぁと思います。
標識類と保線作業員さんの展示。
日本と同じであれば三菱マークのやつは徐行予告信号機、黄色と緑はそれぞれ徐行信号機と徐行解除信号機でしょうか。
先に進むと、踏切などの保安設備展示のコーナーに出ました。
うおおおぉぉぉ!これはタブレット閉塞器じゃないですか。
日本で用いられているものと基本的には同じものを用いていたみたいで、駅名や製造銘板はハングルですが全開/半開や錠解/信送の表記は全く同じでした。
信号制御盤のようですね。やっぱ設備系のものは基本的に同じ形をしているので面白いです。
このあたりで雰囲気的に蛍の光みたいな音楽が流れてきました。なるほど、あと10分で閉館時間です。
幸いなことに展示室はあと少しで終わりなのでパパッと見てから出ることにします。
日本で言うATSの地上子に相当すると思われる保安装置。
転轍機の標識やタブレットキャッチャー、自動改札機なども置かれていました。詳しく見る時間がなかったのが残念ですが。
やっぱりタブレット閉塞器とかかっこいいですよねぇ。見ごたえがありました。
展示室を出たところにはいくつかパネル展示がありました。さっきみた9900系の現役時代や
9900系と同スタイルで製造された姉妹車ともいえる気動車DEC(Diesel Excellent Car)9201系の写真も見られました。
あとはこんな感じ。座席はKTXのものでしょうか?
そんな感じで最後ちょっと走り気味でしたが、これはいいですね。
いやぁ、楽しみました。
約1時間半滞在していたみたいです。あっという間でした。
これだけ充実しているのに2000ウォンって安すぎる気がしますよ。
非常に楽しい施設でした。皆様も韓国に旅行される際はぜひ。
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