1983年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart38はStacy Lattisawの"Miracles"。
最高位は10月22日の第40位。Top40には1週のみの滞在。年間チャートは圏外でした。
Stacy Lattisawですが、アメリカ出身のR&Bシンガー。
1979年、彼女は1966年生まれですのでその時は若干13歳、"The Hustle"のNo.1ヒットで有名なVan McCoyのプロデュースでデビューアルバム『Young and in Love』をリリースします。このアルバムはヒットしませんでしたが、この年齢でアルバムを出す、まさに天才少女です。
プロデューサーがVan McCoyからNarada Michael Waldenに替わり、翌1980年にリリースしたセカンドアルバム『Let Me Be Your Angel』が初めてヒット、そのアルバムのタイトルソング"Let Me Be Your Angel"が全米20位を記録します。
この名プロデューサーNarada Michael Waldenとの出会いが彼女のヒットに結びつきました。
Narada Michael Waldenですが、シンガー兼ドラマーとして、彼自身のアルバムも出していますが、Jeff BeckやSantana のドラマーとしてレコーディングに参加、さらに、Whitney HoustonやAretha Franklinなどの大物ソウルシンガーのプロデュースを手掛け、大ヒットを生み出します。StarshipのNo.1ヒット"Nothing's Gonna Stop Us Now"も彼のプロデュースによるものです。
"Miracles"ですが、作者はGary BensonとFrank WIldhornのソングライターコンビ。
最高位26位を記録した"Love on a Two Way Street"に続く3曲目のTop40ヒットになります。
Top40にたった1週のみしかエントリーしませんでしたが、私のお気に入りの曲で、多分NHKFMリクエストコーナーでオンエアしてくれたのでしょう、カセットに録音してよく聴いていました。
Stacy LattisawのTop40ヒットは結局この3曲のみでしたが、80年代にかけてR&Bチャートを賑わせ、その後はゴスペルシンガーとして活動しているようです。
1966年生まれですので、今でもまだ53歳ですね。まだ活躍しているのでしょうか?
最高位は10月22日の第40位。Top40には1週のみの滞在。年間チャートは圏外でした。
Stacy Lattisawですが、アメリカ出身のR&Bシンガー。
1979年、彼女は1966年生まれですのでその時は若干13歳、"The Hustle"のNo.1ヒットで有名なVan McCoyのプロデュースでデビューアルバム『Young and in Love』をリリースします。このアルバムはヒットしませんでしたが、この年齢でアルバムを出す、まさに天才少女です。
プロデューサーがVan McCoyからNarada Michael Waldenに替わり、翌1980年にリリースしたセカンドアルバム『Let Me Be Your Angel』が初めてヒット、そのアルバムのタイトルソング"Let Me Be Your Angel"が全米20位を記録します。
この名プロデューサーNarada Michael Waldenとの出会いが彼女のヒットに結びつきました。
Narada Michael Waldenですが、シンガー兼ドラマーとして、彼自身のアルバムも出していますが、Jeff BeckやSantana のドラマーとしてレコーディングに参加、さらに、Whitney HoustonやAretha Franklinなどの大物ソウルシンガーのプロデュースを手掛け、大ヒットを生み出します。StarshipのNo.1ヒット"Nothing's Gonna Stop Us Now"も彼のプロデュースによるものです。
"Miracles"ですが、作者はGary BensonとFrank WIldhornのソングライターコンビ。
最高位26位を記録した"Love on a Two Way Street"に続く3曲目のTop40ヒットになります。
Top40にたった1週のみしかエントリーしませんでしたが、私のお気に入りの曲で、多分NHKFMリクエストコーナーでオンエアしてくれたのでしょう、カセットに録音してよく聴いていました。
Stacy LattisawのTop40ヒットは結局この3曲のみでしたが、80年代にかけてR&Bチャートを賑わせ、その後はゴスペルシンガーとして活動しているようです。
1966年生まれですので、今でもまだ53歳ですね。まだ活躍しているのでしょうか?
そういえば、よくレコード業界が黙っていたものですね。当時は著作権にはあんまり厳しくなかったのでしょうか?
リクエストはがきは良く出しました。時々読んでくれて、レアなリクエスト曲にもこたえてかけていただいた素晴らしい番組でした。
初めて聴いたのは81年初夏で、🌃🚢さんも紹介されていたフーの「ユーベリユーベリユベット」がかかった回でしたが、NHKでしたので、ビルボードという言葉がなく、その後日曜日は部活でありスルーしとりました。
FMfanが100位まで載せ始めた82年初頭、照らし合わせてやっとビルボード絡みだと分かったのが、LRBの「想い出の中に」のかかった回でありますた。
以降は月2回隔週の全米チャート、のシステムを120分テープに録りまくり、先取りできるし網羅できるし、雑音なしのフルコーラス!
よくレコード業界が黙っていたなあ、とも思いました。
新曲までは2週刊誌待たされるしくみでしたが、だからこそ有り難みもよく分かりました。
しかしとにかく70年代からリクエストコーナーを録りまくられていた、このブログの緒先輩方が羨ましくてなりませんですよ。
いろいろとレア情報ありがとうございます。
それにしても石田豊さんのFMリクエストコーナーは、コアな洋楽ファンには神番組でした。私はアルバムよりもシングルヒット曲を聞く方が好みだったので、あの番組でのエアチェックは必須の仕事でした。
最近はどんな曲もすぐにYouTubeで聞くことができて便利ですが、不便だったころもそれなりに楽しく懐かしいですね。
すみません書きっぱなしでした
石田豊さんの番組の最終回、87年さ月末、その最後の曲
ピーターウルフのセカンドソロの1枚目のシングルで
カム・アズ・ユー・アー でした。
どーでもいーでしたね、グスン
この週の最初にかかったのが確か、いま紹介されてるプリンスのサイン 〇 ザ・タイムズでしたかな?
ステイシーラティソーも途中でかかったと思うのです
で、この最終回に間に合わなかったのが
ミッドナイトブルー
ヒートオブザナイト
ウィズオアウィザウチュー
ルッキンフォーアニューラブ あたりてしたかな?
無理矢理なコメントですみませんです
"Never Knew Love Like This Before"も名曲でしたよね。Stephanie Millsも10代でデビューしてミュージカルで活躍していた天才少女歌手で、そんなところも似ていますね。
Stephanie Millsは最近もミュージカルに出演しているようですね。
80年のS.Lattisawのヒットと同時期だったと思いますが、♪Never Knew Love Like This Before♪をTop10ヒットさせたステファニー・ミルズとだぶってしまいます。
ステファニーも確か若手の女性ボーカルだったと思いますが、その後どうされていたのでしょうか。
そうなんですよね、私はStacy Lattisawが結構気に入っていましたが、この曲を最後にTop40には登場しなくなりました。
Narada Michael Waldenはやっぱりプロデューサーとして名前が売れていますよね。私も彼のミュージシャン時代のことは全く知りませんでした。素晴らしいプロデューサーですよね。
いやぁ、さすが太ったボンジョビさん!よくご存じです。私も石田豊さんの番組は愛聴していましたが、いつ終わったかまでは全く覚えていません。もちろん最終回の曲も全く覚えていません。
その太ったボンジョビさんも知らない曲の紹介記事をたまに書くことができると嬉しいです(*´σー`)エヘヘ
Stacy Lattisawですが、日本ではあんまり知られていないと思いますが、全米Top40ファンの方々には3曲のTop40ヒットがありますので、知っている方も意外にいるかも。ただこの曲はTop40に1週のみのレア曲ですので、なかなか知ってる方も少ないかもしれませんね。
彼女は「天才少女」という売れられ方がまずかったかもしれませんね。大人になって特徴がなくなってしまいました。
まさに、Top40一週のみでしかも40位というレアな曲です。
1980年の"Let Me Be Your Angel"がヒットした時は天才少女と紹介されていました。
そのピュアな歌声から、これから出てくるか?と思いましたが、ヒットにはあまり恵まれなかったですね。
Narada Michael Waldenはプロデューサーの前にロック系ドラマーだったんですね。
いやあこれ石田豊さんやってくれてましたっけ?
曲も知らなかったし、ちょっといいな、て感じですね?
ステーシーラティソーは確かその石田豊さん番組の最終回にネイリットtoザウォールとかかかったような気がします。
しかし覚えているのは男の声のみという … 。
さて問題です。
石田豊さんの87年3月の最終回の最後にかかった曲ってご存知かな?
多分ググっても出ないんじゃないかな?
ちなみにそのラス前がジェフローバーとキャりんホワイトだったと記憶しておりますが … 。
ステイシーもこの曲も知らない方多いでしょうね(^_^;)。
僕もこの曲は記憶なかったです。でも「全米トップ40」でも最初に紹介される40位曲、そしてしかもチャートイン一週のみ!という曲にはドラマを感じますねぇ!
ステイシーほ天才少女と紹介されてデビューして、ティーンの淡い恋(イメージ)を見事な歌唱力で表現しましたが、この曲がトップ40では最後でしたね。ステイシーは年を重ね、表現力は増して成長したのに、これに反して、レーベルは手を引いていったのかな。10代の天才少女だからとプッシュしていたから、、、想像です(^_^;)。