1985年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart36はMötley Crüeの"Smokin' In The Boys Room"。最高位は9月7日と14日の第16位。年間チャートは残念ながら圏外でした、が、80年代のアメリカ・ヘヴィメタルを代表するモトリー・クルー、この曲で初めてのTop40への登場、初めてのシングルヒットになりました。
Mötley Crüeですが、アメリカロサンゼルス出身の4人組ヘヴィメタルグループ、LAメタルバンドですね。
デビューは1981年、ファーストアルバム『Too Fast for Love』をリリース、このアルバムは、初めは自主製作で、インディーズレーベルから発売されたようですが、その後、レコード会社と契約し正式に発売、アルバムチャートで最高位77位を記録します。
そして、83年にリリースしたセカンドアルバム『Shout at the Devil』がヒット、アルバムチャート最高位17位を記録、Mötley Crüeの全米での人気が確立します。シングルは残念ながらTop40には入りませでしたが、2曲がHot100に入る小ヒットとなります。
そして3枚目のアルバム『Theatre of Pain』からのファーストシングルがこの曲"Smokin' in the Boys Room"が初めてのTop40ヒットとなりました。このアルバムは全米で400万枚以上のセールスを記録する大ヒットアルバムとなり、アルバムチャート最高6位、85年、86年の2年連続のアルバム年間チャートに入るロングヒットとなりました(85年84位、86年56位)。
このアルバム、なんといってもジャケットが強烈でした。一目で忘れられないジャケットですね。
"Smokin' In The Boys Room"ですが、私は知らなかったのですが、この曲には原曲があります。1973年に最高位3位、年間チャート44位を記録した大ヒット、Brownsville Stationによる"Smokin' In The Boys Room"です。
"Smokin' In The Boys Room"の曲の作者はBrownsville StationのメンバーCub KodaとMichael Lutzの共作。
このMötley Crüeバージョン、原曲のBrownsville Stationバージョンに忠実で、アレンジもそんなに違いはありませんでした。
こちらがそのBrownsville Stationバージョン。Brownsville Stationですが、Top40ヒットはこの曲を含め2曲、大ヒットはこの曲だけのほぼ一発屋でした。
アルバム『Theatre of Pain』からは、もう1曲"Home Sweet Home"がシングルカットされています。残念ながら最高位は89位に留まり、Top40ヒットにはなりませんでしたが、この曲ぜひ知っていただきたいロックバラードの名曲です。
91年にリリースされたベストアルバム『Decade of Decadence 81–91』に、この曲のリミックス版 "Home Sweet Home '91" (remix)が収録され、再びシングルカット、最高位37位を記録、Top40入りしました。
Mötley Crüeですが、アメリカロサンゼルス出身の4人組ヘヴィメタルグループ、LAメタルバンドですね。
デビューは1981年、ファーストアルバム『Too Fast for Love』をリリース、このアルバムは、初めは自主製作で、インディーズレーベルから発売されたようですが、その後、レコード会社と契約し正式に発売、アルバムチャートで最高位77位を記録します。
そして、83年にリリースしたセカンドアルバム『Shout at the Devil』がヒット、アルバムチャート最高位17位を記録、Mötley Crüeの全米での人気が確立します。シングルは残念ながらTop40には入りませでしたが、2曲がHot100に入る小ヒットとなります。
そして3枚目のアルバム『Theatre of Pain』からのファーストシングルがこの曲"Smokin' in the Boys Room"が初めてのTop40ヒットとなりました。このアルバムは全米で400万枚以上のセールスを記録する大ヒットアルバムとなり、アルバムチャート最高6位、85年、86年の2年連続のアルバム年間チャートに入るロングヒットとなりました(85年84位、86年56位)。
このアルバム、なんといってもジャケットが強烈でした。一目で忘れられないジャケットですね。
"Smokin' In The Boys Room"ですが、私は知らなかったのですが、この曲には原曲があります。1973年に最高位3位、年間チャート44位を記録した大ヒット、Brownsville Stationによる"Smokin' In The Boys Room"です。
"Smokin' In The Boys Room"の曲の作者はBrownsville StationのメンバーCub KodaとMichael Lutzの共作。
このMötley Crüeバージョン、原曲のBrownsville Stationバージョンに忠実で、アレンジもそんなに違いはありませんでした。
こちらがそのBrownsville Stationバージョン。Brownsville Stationですが、Top40ヒットはこの曲を含め2曲、大ヒットはこの曲だけのほぼ一発屋でした。
アルバム『Theatre of Pain』からは、もう1曲"Home Sweet Home"がシングルカットされています。残念ながら最高位は89位に留まり、Top40ヒットにはなりませんでしたが、この曲ぜひ知っていただきたいロックバラードの名曲です。
91年にリリースされたベストアルバム『Decade of Decadence 81–91』に、この曲のリミックス版 "Home Sweet Home '91" (remix)が収録され、再びシングルカット、最高位37位を記録、Top40入りしました。
ほぼマスターしているのは愛欲しかありませんし、しかもちょい原曲のプレスリーも入っている私です。
先の誘惑のロックンロール、愛にすべてを、シアーハートアタックは、40%くらいです。
やりたくてもPhパブ女性陣の期待感が強すぎてできないのがドンストップミーナウ。
勢いだけならイケてるのがfatボトムドGIRLS
そしてボヒーミアンは一緒に歌ってくれる人次第ですね。
さー、⭐⛴️さん、どの曲がウケていたのか、教えてくさいませ。
レア情報ありがとうございます。
モトリー・クルー、いろいろとお騒がせバンドだったようですね。
モトリーにも色々な過去があるようです(笑)
①昔ニッキーはWASPのブラッキーとシスターというグラムロックバンドを組んでいた。
②初期のラットにいたジェイク(元オジー)を誘いツインギターにしようとしたがボツになった。
③トミーリーの元奥さんはボンジョヴィのリッチーの元奥さんでもある(笑)
・・どれもあまり知られたくない過去のようです(笑)
バンドメンバーねぇ?
そういえばパープル、ツェッペリン、イエス、イーグルス、マック、J.スターシップ、キッス、エアロ、クイーン、みんなわかるけど、そういえば全部70年代か。
デュランは分かりますよ。バン・ヘイレンも一部は。モトリーは、恥かしながら全くわかりませんです。
Dokken、"Alone Again"聞きましたよ、いい曲じゃないですか!まさかのギルバートオサリバンのカバーと思いきや、全然違う曲ではありましたが、パワーバラードのセオリーどおり、中盤のギターソロにはグッときました。ハイトーンボイスもバラードにはぴったりでした。
"Home Sweet Home"にポール・キャラック、カラオケでねぇ、ただものではないですね。
クイーンだったら歌っている人知っていますが。
ミック、キース、ブライアン、チャーリー、ビル
さすがにビッグバンドはみんな名が売れてますね。
フー、キンクス、ビーチーズは全員は無理。
ちょい後になると
リッチー、ギラン、ペイス、ロード、ロジャー
ペイジ、プラント、ボナム、JPJ
アイオミ、オジー、ギーザ-、ワード
ここら辺もレジェンドですよね
当時の若手だと
ポール、エース、クリス、ジーンシモンズ
フレディ、ブライアン、ロジャー、ディーコン
スティーブン、ペリー……ぁ、ヤバいか?
ハミルトン、ブラッフォード、クレイマー……ふぅ…
70後半
イーゴウズ、マックは普通全員知られていますよね?
マックなんか地味なベースとドラムがバンド名とは、うまくやりましたねー。
ただドゥービー全員ははちょっと…
いやーそれでもさすがです。
80に入るとキツくなりますね。
メイデンはベースのハリスは有名ながらドラムが?
デフレパードのドラムは隻腕のアレン、しかしベース不明。
QRだとW郎さんしか分からないし。
でこの85年ごろですが
ボンジョビはジョンとサンボラだけしか…。
ラットもパーシーとウォーレンだけしか…。
じゃーモトリーはどうなんだ、?
アイコンであるビンスニール、セックスシンボルでありながら超セックスシンボルのパメラアンダーソンを射止めたドラムのトミー、名前のせいで覚えてるぞベースのニッキー6、なんだみんな有名じゃないか!さすがモトリー、そしてメタルだものギターはもちろん……………ミックマーズ???…モジュレータ駆使していたのはミックっていうのか…なんで地味なんだろう?唯一覚えてなかったぞ。
ちなみに夜のお店のおねーさんから
「ひどいねー、ミックの家が超金持ちだったからバンドの練習に余裕があったんよ、知らんのん?」
知りませんでした、ミックごめんなさい😫
ドッケンはメタリカ、デフ・レパード、クィーンズライクと当時同じ事務所で推しアーティストになっていたそうです。当時のアルバムはビルボード13位まで上がりながらツアー後にメンバーが喧嘩してしまい解散でした。
モトリーも当時ボンジョヴィと同じ事務所でしたので売る力があったかと思います。
因みにポリスはバングルス、REMらと同じ事務所でした。売れるアーティストには良い事務所がついていたんですね!
土っ建、私はリアルタイムではレンタルでさえ躊躇してしまいましたよ。
アンダーLOCK AND KEYとtootアンドNailは結構売れたアルバムだと認識しておりますが、結局「どっけん」というバンド名で迂回したような気がします。
バンヘイレン、ボンジョビなら平気なのか?いえ彼らはシングル売れましたし。
でもYouTubeが始まるとさすがにお気軽に探しますよね、んで歌っていましたアローンアゲイン。
見事なライトメタル演歌でありまして、声を張らなくて良い、メロディは品が良い、割に簡潔、ギターソロもイイ感じでして、10回くらい歌いました。
結構満足できました、でもやはりPhパブでは知られてなかったのは残念ですた。
WASP、ファスタープッシーキャット、LAガンズ、スレイヤーとかもチャンスはあったんでしょうが、ドッケンは割に恵まれた方だったですかね?
まさかメタリカが伸して来るとは思いませんでしたよね?
チャート見てたら妄想はアリですよね?へへ。
さてホームスイート(*・`o´・*)ホーム!
特に大好き、でもなかったんですが、サビまでは結構ジーンとシモンズ!
10年以上前、フィリピンでブイブイのころ、同い年くらいの人がホームスイートホームをやられました。
先輩は、ぁ、モトリーじゃ!とイントロで反応、そしてそのイントロでざわつくPh女性陣!歌も結構上手く、ビンスニールのガキが甘えたような歌いかたもイイ!
その人はポールカラックの涙に別れを、も歌っていたのでライバルというよりも洋楽知ってて、ちゃんと歌ってる人として嬉しくなりましたよ。
そんなときは知られてなさそうな練習曲をやって玉砕、でいーんですよね。そういうときは先輩とクイーンの誘惑のロックンロール、愛にすべてを、シアーハートアタックあたりをやっておりました。
おっとモトリーのバラード、Dr.E気持ちのなかのウィザウチューーーもありましたが、こちらはスルー。むしろ大好きなキックスタートマイハート!やはり玉砕であります。
まあ(太った)ボンジョビという名前でモトリーはさすがにいけないプレイでありましたヨーヨー。
80年代半ばから、90年代初めにかけて、ハードロックグループのシングルヒットが増えた時代でした。ヒットチャートはあんまり聞いていなかったですが、これらのロックグループのヒット曲はちゃんとチェックしていました。
アルバム『Girls,Girls,Girls』は最高位2位だったです。次のアルバム『Dr. Feelgood』で初のNo.1を記録しました。
80年代には、ハードロックグループの活躍がありました。その中では、今回のコメントで出てきた、ヴァン・ヘイレン、デフ・レパードはアルバム、シングルとも大ヒットしました。モトリーもヒットアルバム・シングルの枚数は少ないですが、それでも大人気でした。デフ・レパードは"Photograph"のヒットで知りましたが、その時はまさかNo.1ヒットを出すグループになるとは、思いもよらなかったです。
思い出しました。Motley Crueは87年に♪Girls,Girls,Girls♪で1位になったんでしたね。
フロントマンはV.Neilでしたか。
87年は年初からCiderellaがヒットし、様式美系のEurope、そしてなんとWhitesnakeの2曲№1、年末には4年ぶりのDel Leopardの復活などヘヴィメタの当たり年だったのかも。
なーるほど、なんか太ボンジョビさんの術にはまって、モトリーがポリスの後継者のように思えてきましたよ。
いずれも4枚目にしての2位、5枚目にしてのついに1位はお見事でした。5枚目は、ポリスの方が年間8位、モトリーが年間7位と、両盤ともロング大ヒットでした。
「Theater」と「Theatre」ですか、両方あるのですよね。このアルバムは意識していな方tですが、両方あるのはまったく違うところで聞いたことがありますが、このモトリーとスティックスも、イギリス表記?「Theatre」でしたのですね。英語もなかなか難しいです。
ポリスとモトリーの考察かなり面白かったです。大ブレイク前のアルバム2位というとデフ・レパードも近いかな?と思いました(ヒステリアはオリジナルメンバー最後)
売れてたけど1位になれなかったヴァン・ヘイレン「1984」とか・・因みに「ヒステリア」88年チャートで当時首位争いをしていたのは「OU812」でした。その後ろでピッタリとマークしていたのはガンズでした(笑)
81年の年間アルバムでもコッソリ後出しで書いたんですけど、どんどんメジャーになったモトリー、ポリスの変遷と似てませんかね?
ロクサーヌを拝したポリスに対し、ライブワイヤーで産声を上げたモトリー、ポリスの状況が上位とは認めますが、モトリーのトゥfastフォーLoveも84年の年間100に入っていたのは⭐⛴️さんブログの通りなんですよ。
セカンドはボトルとムーンという佳曲なポリスに対し。かなりのロングセラーで売ったシャウトatざデボウのモトリー!シングルはショボかったけど、ルックスザットKILLとトゥyoungトゥフォールインLoveはなかなか良いんですよ。
そして共にサードアルバムでかなりのブレーク!シングルの40入りもここが初めて。アルバムの10入りも初めてですよね?(⭐⛴️さん、テアトルは3位ではなかったですかね?)
デドゥドゥドゥデダダダも隠れ煙草(漢字表記がサイコーですね!)お笑いシングルとしてかなり優秀ですね!
いよいよセミファイナル、ポリスのゴーストもモトリーのガールズもあと1歩の2位まで躍進!ゴーストはマジック効果でかなり売れましたが、ガールズガールズガールズだって、FMfanで「モトリーの初登場5位はハンパやない!」と鮎川誠氏が絶賛でありました。
そしてともにラストアルバムがNo.1ですよね!スリラーに狙われながら17週持ちこたえたシンクロ、老舗復活のエアロのポンプより先に首位を獲ったDr.E気持ち、ジャンルは違えどついにヤったな!の感はファンなら当然、ともにシングルも4枚切っておりますね(チャートではかなりの差がありますが)
ちょっと経ったらベスト盤まで出しちゃったりして、モトリーはポリスのファンなんてすかね?いやらしいワ。
以上太っちょボンジョビの無理くりヒストリーでありました、ではまた明日、、、よろですー。
L.A.メタルと言っても、シングルヒットする曲は、多少のメロディがありますね。
85年当時は全く気が付かなかったのですが、「Theater」ではなく「Theatre」だったんですね。
いわゆる古いイギリス英語のスペルですね。
「Theatre」で思い出したのが、Styxの♪Paradise Thetre♪です。
確かParadise Theatreは、1928年から1958年までの劇場でした。
LAメタルについては、Motley crueとRATTはシングルがヒットしましたが、それ以外はアルバムヒットが主だったので、いまいち知らないのですよ。Dokkenは名前は知っていましたが。
Mötley Crüe、なかなかの問題グループだったようですね。
そういえば、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドはこの曲と感じが似ていますね。参考にはしたかも知れませんね。
PVはなかなか面白かったです。校長先生はやけに印象に残る俳優さんだと思ったら、そんな有名な方だったとは。
そうですね、ベヴィメタは、大丈夫なのとダメなのがあります。このMötley Crüeはベヴィメタの中ではメロディアスな曲もあって聞きやすいので、私の好みではあります。中でも"Home Sweet Home"が良かったなぁ。
もちろんこの曲、絶対私のブログには欠かせませんね。
85年のLAメタルというとMotley crueやRATTのアルバムほかにDokken「under the~」Stryper「Soldiers Under~」他Rough Cuttのデビュー作とか色々良いアルバムがありました。自分も最初は英メタル中心でLA関連は駄目でした。アリスクーパーみたいなWASPなど色モノぽいメタルもあって・・
ただこれほど滅茶苦茶で面白いバンドも過去いなかったですね。自伝も読みましたが凄まじい内容でした(笑)確か5年位前に解散宣言して書面にサインしたのに昨年破棄して活動再開したとか。
今年結成40周年だそうですが丁度その頃ABBAは解散した(今年再開)ので巡り合わせ?って面白いものです(笑)
「男子トイレで一服!」…この曲を知ったときは、日本のダウン・タウン・ブギウギ・バンドの“スモーキン・ブギ”を思い出しました。宇崎竜童氏は、Brownsville Stationのオリジナルを参考にした、なんてことはないのかな?(Brownsville Stationは邦題は「隠れ煙草」でした)
モトリーの、ハチャメチャ・ソング。アルバム「Theatre Of Pain」のライナーノーツによると、このアルバムをレコーディングしてリリースした頃、メンバーはドラッグとアルコールでグループの「暗黒時代」で、ギタリストのミック・マーズは「"ホーム・スイート・ホーム"が"シアター・オブ・ペイン"の唯一の救いだったよ」と言っています。
ビデオは最後の最後に校長に仕返し!?この校長役の俳優は、Michael Berryman。一風代わった俳優で、彼は生まれつき、汗腺、髪の毛、爪がないという珍しい症状を持って生まれた方のようで、その個性を生かして、ホラー作品などを中心に活躍をされているようですね。「カッコーの巣の上で」「スター・トレック」「X-ファイル」などに出演されています。
僕と同じく、星船さんも苦手分野と思われるベヴィメタの紹介ですね。
84年のRattのヒットで表舞台に登場したL.A.メタルですね。
シングルヒットもさることながら、このアルバムは何と言っても、そのジャケットが印象に残っています。
また明日です、おやすみなさい!