塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

高給取りは憧れの存在か(2)

2011-07-03 22:21:00 | 日記
 サッカーの世界で高給取りというのは、代表でもクラブでも主役を務める選手を
指します。

 するとオフィシャル・スポンサー以外に個人スポンサーが付きますから、彼らのCM
と雑誌広告の撮影で、休日が潰れてしまいますし、多くの露出は不調に陥った際に、内外
から多くの

 「批判」

 を浴びるリスクを背負います。

 逆に捉えるなら、サッカー以外の世界を知るという意味もありますが、静養という観点
からは程遠いでしょう。

 また高給取りは

 「パパラッチ」

 のように、新聞記者やファンの視線を常に注意しなくてはいけませんし、長友祐都の
ように郵便物が届かず、その上

 「中味が開けられ勝手に奪われている。」

 という悪質な行為と直面することも避けられません。

 高給取りというには、試合を決定づけるだけの能力があるからこそ、高給が支払われます。

 またスポンサー獲得のために彼らはクラブに

 「必須」

 であり、同時にイベント、慰問の場合でも不可欠な存在です、高給の選手の顔は大概の方
が判別できますからね。

 僕は高給取りにも

 「静寂で落ち着いた生活」

 が必要だと思いますが、彼らが携帯電話を捨てるとは思いませんし、彼らの立場を思んぱかる
人間の数も少ないでしょう。

 高給を得ている選手には、年々暮らしにくくなっていると言えそうです。
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高給取りは憧れの存在か

2011-07-03 22:10:56 | 日記
 集英社文庫から

 「知的な痴的な教養講座」

 という作品が発売されています。

 著者は開高健で、彼は集英社に限らず多くの出版社から膨大な作品を刊行していますが、
この作品はその中でも僕が

 「ベスト」

 と思える品で今再び読み直しています。

 その158ページに「ブルジョワ」という項目がありまして、金持ちの条件とは

 「いかに静かに暮らせるか」

 という定義がなされます。

 つまりテレビ、電話の音のない「静寂」をいかに手に出来るかということで、開高氏は
自分の境遇と米国の同じ立場の人間を比較して、その重みを僕たちに伝えます。

 サッカーの世界では、選手と代理人は途方もない金持ちだと言われています。
 
 実際

 「何でボールを蹴飛ばすだけで、あんな大金が手に入るのか、さっぱりわからない。」

 と唱える人もいます。

 かつてイタリア代表のダミアーノ・トンマージが、所属するローマの財政が逼迫して
いることを憂慮し、セリエAが定める最低年俸、日本円にして月額

 「20万円」

 程度で契約を更新し、ローマだけでなく多くのファンの度肝を抜いたものですが、高給
取りは逆に多くの制約を得て暮らしていますから、金額と生活の不自由さは

 「比例」

 する形で存在すると言えそうです。
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畑にでかけて考えた

2011-07-03 18:08:45 | 日記
 先ほど、母親と一緒に畑の野菜に水を捲いてきました。

 畑の近くに用水路がありまして、その水をバケツ、じょうろに汲むのですが、これが
なかなか大変なんです。

 今は梅雨時ですから、畑には水をそう多く捲かなくても良いと思いがちですが、実は
根っこの部分に

 「たっぷり」

 と与えないと、水を捲いた意味が全く無いんです。

 サッカーで僕たちの体感気温よりも、ピッチ上の方が暑く感じるように、土もしっかり
水を与えないと、与えたそばからすぐに乾いてしまうんです。

 僕は普段畑や庭の手伝いを殆どしませんが、手伝う際にはつくづく

 「育成」

 の難しさを感じます。

 日照時間にしても雨にしても、僕たちの手ではどうしようもありませんし、確かに有機
野菜は凄い価値がありますが、雑草や虫の駆除は本当に力が必要なんです。

 サッカーの世界でも育成は大変ですね。

 「ゴール・コム」

 でレアルのスポーツ・ディレクターを務めるジダンが語っていたように、優れた素材が

 「たまたま」

 今の時期に集中していた可能性がバルセロナにありますし、彼らだって重要なポジション
には外国籍の選手を起用しています。

 イタリアではアタランタ、そして破産後のパルマが育成重視のスタンスをとっていますが、
アタランタは

 「ヨーヨー」

 クラブのままですし、パルマも90年代の勢いがあるわけではありません。

 育成では子供の未来のことを常に考えねばなりませんし、掛ける言葉から食生活、勉強
に至るまでコーチたちは絶えず見守る必要があります。

 僕の畑でとれた野菜は僕たちの問題ですが、子供の育成は社会全体に影響を及ぼします。

 だからこそやりがいがあるのでしょうし、「責任」の重みもあるわけです。
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いつもと同じ光景が目前で繰り返される(2)

2011-07-03 15:20:42 | 日記
 前半33分にFWの木島良輔が退場になった瞬間、僕は

 「しめた!!」

 と思いましたが、これが大きな過ちでした。

 相手は10人の上、パルセイロは1-0でリードしている。ならばパルセイロ有利で
試合は進むと思いましたが、実際は大きくことなりました。

 相手が10人になったことで、逆にパルセイロは

 「張り合い」

 が無くなったのかもしれません。

 確かに暑さもあったでしょうし、山雅は幾つものイエローカードを受けていましたから、
パルセイロが思うようにいかなかった部分もあります。

 (途中交代で入ったFW富岡は、頭を負傷して栗原と交代する羽目になりましたし、
  薩川監督の交代プランもどこかで

  ズレ

  が生じた可能性もあります。)

 解説の川淵氏が再三指摘したように、この日のパルセイロは本来の持ち味が出ていない
ように感じましたが、それは近年ダービーで勝てていないことへの

 「ネガティブな気持ち」

 が多分に働いていたことは、あながち間違いではないと思います。

 パルセイロにとっては非常に大きなドローであり、山雅からすれば勝ち点3と同じ意味を
持つ試合内容といえます。
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いつもと同じ光景が目前で繰り返される

2011-07-03 15:10:18 | 日記
 試合終了と共にスタジアムに響く

 「松本山雅!!」

 のコール。

 一方で憮然とした表情を浮かべるパルセイロの選手達。

 今季2戦目となる信州ダービーの光景はいつもと同じ

 「そこにあるもの」

 でした。

 結果は1-1のドローでも、敵地で退場者をだした山雅とすれば、この結果はまさに

 「御の字」

 と呼べるもので、加藤監督からしても同点ゴールを奪ったのが途中交代で入った塩沢
なのですから、この勝ち点1に満足していると思います。

 僕自身はテレビの前で終始緊張して見ていました。

 近年のダービーはパルセイロが先制し、山雅が同点、逆転しての決着という結果が相次ぎ
ましたから、南長野でこの結果を受け入れる羽目になったファンの方は、ほんとうにがっか
りしたでしょう。

 恐らく山雅の選手、ファンは10人になっても、心のどこかで

 「ゆとり」
 
 があったのではないか。そう感じています。

 それは過去の勝ちパターンが体験として上積みされていることもそうですし、今日の試合
の進み方も今までと酷似していた。

 それ以上にパルセイロ側が終盤きっと

 「勝利」

 に対する重圧から「隙」が生まれるだろうと。そんな予感があったのかもしれません。

 一方のパルセイロには、この

 「負の連鎖」

 がこうも続くと、体にも頭にも刷り込まれ、正直勝つまではこの状況は打破できないと
言えるでしょう。

 しかも仮に山雅がJ2に昇格したならば、その間隔は更に空いてしまうわけで、いかん
ともしがたい事実がパルセイロの前にはあります。
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