塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーを見て世界を考える

2020-07-12 15:04:15 | 日記
 僕の住む千曲市の南に坂城町があります。

 この坂城町の国道18号沿いには、イスラム教徒のためのモスクがあり、千曲市、坂城町だけでなく、県内のイスラム教徒が礼拝や断食のために集うと聞きました。

 また、千曲市には(僕は利用したことが無いのですが)タイ料理のお店もあります。

 僕が冒頭から宗教のお話をしたのは、少なくとも「サッカー」「フットボール」に関して言えば、黎明期から宗教の枠を超えているのではないか、というものです。

 英国を期限とするフットボールは、港町、当時は造船、海上貿易が主流でしたから、各大陸の港町から内陸部に伝わってゆきます。

 南米諸国は基本、キリスト教徒であるポルトガル、スペインの植民地でしたから、現在でも多くの民がキリスト教を信仰しています。

 一方でイスラム教を基本とする中近東、仏教を軸とするタイやミヤンマー。

 これらの国でも
 
 「サッカーはキリスト教徒の国で生まれた競技だ」
 「従ってサッカーを生活に取り入れることは許されない」

 ということにはなりませんでしたよね。

 同じキリスト教徒でも、カソリック、プロテスタント、カルビン、メソジスト、他にはロシア正教やギリシア正教、セルビア正教など枝分かれをしています。

 仏教が浄土宗、天台宗、真言宗などに枝分かれしていることと同様なのでしょう。

 少なくともローマン・カソリックを信仰している方からすれば、プロテスタントは同じ救世主イエスの教えの下に集う存在でも、異質なわけですよね。

 しかし、セルティックとレインジャーズのような例、つまり宗教的価値観で応援するクラブは違えど

 「サッカーをするな、応援をするな」
 「自国の代表に関心を持つな」

 ということにはなりませんよね。

 もう少し付け加えますと、2次大戦でドイツから蹂躙されたベルギーやチェコ、オランダの選手たちもブンデスリーガから魅力的な打診があれば、戦争という記憶を払いのけで移籍してゆきまs。

 そう思うと、サッカーを見る、考える、想像するという行為は、世界全体を見渡せるある種の「尊さ」のようにも思えてきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今、選挙に出かけてきました

2020-07-12 14:50:06 | 日記
 今日は千曲市議会委員を決める投票日なんです。

 いつもは市役所で期日前投票を行いますが、今日は非番のため先ほど公民館に出向いたところです。

 スペインではソシオがクラブの顔を決めますよね。

 レアルならペレス
 バルセロナはバルトメウ

 彼らは投票で選ばれた代表者であり、選挙で落選することもあれば自分から辞意を表明することもあります。

 ペレスが辞意を表明した後に当選したのがラモン・カルデロンであり、ロナウドはこの時期にユナイテッドからレアルに移籍したため、あれほどの活躍をしながらも、ペレスはこのポルトガル代表に

 「大した思い入れ」

 はなかったと聞きます。

 バルセロナも2000年代初頭のジョアン・ガスパールの時代

 1・再度ルイス・ファンハールを指揮官に招聘
 2・ルイス・フィーゴのレアル移籍
 3・ジェオバンニ、ファビオ・ロッケンバックという、ふたりの若きブラジル代表を獲得するも、短期で移籍
 4・ファンハールとの折り合いが悪いリバウドがミランに移籍

 というように、財政でも成績も下降線をたどるだけであり、その窮地を救ったのがロナウジーニョであり、エドガー・ダビッツになります。

 ガスパールの後任であるラポルタにしてもロセイにしても、一国の大統領のような形でクラブを統治する権限があることは、ある種の権力欲が見られたために立候補した面はあると思います。

 一方で大型移籍を次々とまとめ、一方でその補強効果が現れず、クラブ首脳陣が去っていく現在のバルセロナにおける、バルトメウの陣頭指揮は今後どうなるのでしょうか。

 レアルもペレス復帰以降はチャンピオンズ・リーグの優勝回数が増回傾向にありますが、アンチェロッティからベニテス、ベニテスからジダンへの方向転換など、思いつきかのように指揮官を変えてゆく傾向はあります。

 それだけソシオ、役員人事というのは傍から眺めるより混沌としている証拠かもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする