塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

アグエロ、シティ入団を宣言

2011-07-28 12:06:46 | 日記
 アルゼンチン代表のアグエロが、自身のツイッターで

 「マンチェスター・シティの選手」

 であることを宣言しました。

 一時盛んに噂されたレアルへの移籍こそなりませんでしたが、アトレティコ・マドリー
からすると、非常に大きな戦力ダウンです。

 昨シーズンはワールドカップの疲労もあったのでしょうが、監督との確執が取り立たされ
たディエゴ・フォルランも含めて、アトレティコのFW陣が

 「刷新」

 の時期にあったのかもしれません。

 その一方で目まぐるしく変わるクラブの方針に、アグエロが居心地の悪さを感じていた
可能性もあります。

 一方で受け入れるシティにも問題が無いわけではありません。

 シルバとバロテッリの残留は確定でしょうが、アデバヨールとテベスの処遇が、今現在
でもはっきりしていません。

 テベスはインテル入団という話も伝わってきますが、これはあくまで

 「口約束」

 で、確定事項ではありません。

 アデバヨールはマンチーニのお眼鏡には叶いませんでしたが、スパーズのハリー・レド
ナップ監督は異なるようで、

 「レンタルでアデバヨールを獲得できないものか。」

 という談話がゴール・コムに掲載されています。

 まだまだシティのFW陣の顔触れが定まるには、多くの時間が必要のようです。
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僕が思う指揮官の一番大切なもの

2011-07-28 02:06:47 | 日記
 多分サッカーファンなら誰もが

 「1度はサッカー監督になってみたい。」

 という願望を心の奥底に秘めていると思います。

 僕は遊んだ経験がありませんが

 「プロサッカークラブを作ろう」

 というゲームソフトが大きな支持を集めたのは、このファンの願いを間接的とはいえ実現
させた点に尽きると思います。

 僕もかつてはサッカー監督のように

 「人の上に立ちたい。自分の意見を通じて人の役に立てたら。」

 と願っていましたが、今はすっぱり諦めています。僕は人を動かすのではなく、

 「人に使われる」

 事で御飯を食べてきましたから、いざ指揮を下そうとしても思うような言葉や伝達ができ
ないんですね。

 サッカー監督に限らず上に立つ人間には、様々な要素が必要だと思いますが、僕が一番
不可欠だと思う点は

 「人望」

 です。

 これは友人が沢山いるとか、携帯電話の電話帳に沢山の話し相手が記録されているという
視点ではなく、純粋に

 「指示を受けた人間が、指示を下した人間に敬意を払えるか?」

 という点に尽きます。

 どんなに優れた戦術を持ち、医学にも言語にも優れていても、伝え方が間違っては選手、
部下は動いてはくれません。

 出す側が受け手に

 「君達なら出来る!!」

 という信頼感と同時に、言葉に重み、言い換えれば納得できるだけの材料をどれだけ付
随できるかが、指揮官の生命線になると思います。

 それは時に周囲との摩擦も生むかもしれませんが、時に「屈服」させるくらいの勢いも、
必要になってくるはずです。
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マラドーナ、ガチャ・ガチャ姿で現れる

2011-07-27 23:16:02 | 日記
 僕と同じ35歳の男性ならば

 「キン肉マン消しゴム」

 通称「キンケシ」に夢中になった時があったと思います。

 今も昔も子供はスーパーに買い物にくると、「がチャ・ガチャ」をねだりますよね。

 僕も小学生の頃、母と一緒にスーパーに出かけた際は、ガチャ・ガチャや屋台で売られて
いるソフトクリームやジュースをねだっては、母を困らせていました。

 実は今日、そのガチャ・ガチャの中に、300円の

 「マラドーナ・フィギュア」

 が売られているのを見つけました。

 選手時代のデザインではなく、昨年のワールドカップで披露した、グレーのスーツに
白のシャツ姿の物で、期間中の見せたポージングで販売されていました。

 マラドーナのファンは日本でも数多く存在しますから、見つけたファンは大喜びでしょ
うね。

 彼はアルゼンチン代表監督の座を取り戻すべく、辞任したバティスタに対し異議を唱え
続けていました。

 実際彼はコパ・アメリカの責任を取る形で辞職しましたが、ブラジルとアルゼンチンの
2強と他国の差が完全に縮まる中、マラドーナのように

 「選手を鼓舞し、選手に快適な環境を提供する」

 方式では限度があると思います。

 選手のコンディションニング、そして戦術指導を踏まえるなら、アルゼンチンの方は

 「カルロス・ビアンチ」

 の登板を願っていると考えられます。

 ちなみに日本でマラドーナの人形が300円で売られていると知ったら、現地のファンは
どう思うでしょうか?

 そこに僕は興味を覚えますね。
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頑張るということ

2011-07-27 01:34:26 | 日記
 もう打ち切りが決定しましたが、長年

 「水戸黄門」

 がTBSテレビの看板であり続けたのは、

 「人は全てエースである必要は無い。」

 と教えてくれたからかもしれません。

 確かに助さんと角さんの存在は頼もしい。その一方でうっかり八べえは確かに便りには
なりませんが、彼がいるからこそ場が和むわけです。

 サッカーの世界では常に先発の座が確約される選手もいれば、数分しかピッチに立てない
選手もいます。

 その序列は今も昔も変わりません。

 仕事でも出来ないよりは出来た方がいいに決まっています。出来なければその事が他人の
負担になりますし、自分が叱られてばかりで惨めな気持ちになります。

 例えば僕がその例に当てはまります。

 エースにはエースの、脇役には脇役の役目があり、たとえ主力になれなくても自分の
立ち位置を掴み汗を流すことが、どんな仕事にも大切だと思うのです。

 例えば僕は陳列が不得手でお金の計算もできませんが

 「お客様への挨拶」
 「朗らかな対応」

 には精一杯取り組んでいると自負しています。

 例えばサッカーでは

 「守備固め」
 「ジョーカー」

 というような形で投入される選手がいますが、先発では起用されない選手たちにこそ
注目したいと思っています。

 かつて中山雅史は代表で

 「スーパーサブ」

 と呼ばれていました。それはオフトが指揮する1993年の時で、誰がその5年後、代表
のワールドカップ初得点を奪うと考えたでしょうか。

 花開く、開かないはともかく、今自分ができることをまずは懸命に行ったら、結果がついて
くると思いましょう。

 「頑張っただけでは意味がない。皆が頑張っている」

 という方もいらっしゃるでしょうが、そもそもこの「頑張れる」という行為自体が凄いこと
だと、僕は思うのです。

 
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成功すること、しないこと

2011-07-27 01:24:12 | 日記
 ここ最近映画鑑賞から距離を置いていたのですが、それではいけないと思い直し、今週
に入ってから手持ちの作品を再度見直しています。

 今見終えたのは

 「パリのアメリカ人」

 というミュージカルで主役はジーン・ケリー。1951年の作品です。

 ケリー扮するアメリカ人の画家「ジェリー・モリガン」は、第2次大戦後もパリに残り
自分の絵が売れることを望んでいるのですが、そこに

 「日焼けオイル」

 で財を成した女性がパトロンに付くのですが、当然今までのように自由な時間を得る事
が出来なくなります。

 誰でも失敗よりは成功を夢みます。

 例えば僕だってこのブログを「コラム」の気持ちで書いていますから、

 「いつか新聞や雑誌の記事を書くようになれたら」

 と想像することは多々ありますし、スーパーの仕事を辞めて執筆せ生計が立てられたらと
思う時もあります。

 サッカーの世界でも同様で、大きな成功を掴む選手もいれば、才能に恵まれならも故障や
契約問題で、ピッチを去る選手もいます。

 普通の会社でもそうですが、間違っていけないのは

 「11人全てがエースに成ることは出来ない。」

 という点です。

 僕も昔は随分「自己啓発」「仕事ができる人の習慣」など、不足分を補おうとしゃかりきに
なった時代がありましたが、実現せず今に至っています。

 サッカーでは勿論優勝こそが最大の目標ですが、主役が活躍する背景には、ドクターや広報
など、様々な方の支援があることを忘れてはいけません。
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