今日は「超訳、心から安らぐ仏教の言葉(中公新書)」から「日々是好日」についてお伝えします。
「日々是好日」という言葉は、臨済宗の最重要聖典とされる禅の公案集「碧巌録」のおさめられているそうです。
小生などは、この言葉を単に「毎日、穏やかに明るく楽しく、つまり、幸せに過ごせる」ことを願っている言葉と理解していました。
これに対して超訳では次のように書いています。
「春になれば一面に桜が咲き、初夏はみずみずしい新緑にあふれ、夏は空の彼方までも入道雲がわき上がる。
自然はいつだって、こうして季節の幸せを運んでくる。邪心もなく、慢心もなく、ただ淡々と、誰のもとにも・・・・・。
これ以上の幸せの種があるだろうか。
誰かの幸せの種になっているだろうか。誰かの幸せの種になることが、自分にとっても最高の幸せになるだろう。
生きている意味はきっと、そうしたところに見出せる。」
今はそのみずみずしい緑にあふれる初夏ですが、自然の美しさに気がついて、感謝する気持ちが大切なのでしょうね。
そして、自分は自然と同様に誰かの幸せの種になっているのか考えてみることが必要なのでしょうね。
お前は誰かの幸せの種になっているのか?という問が聞こえそうですね。
邪心や慢心の塊みたいな小生には出来ない話ですが、せめてかみさんの幸せの種にはなりたいものです。
巻頭写真は「幸せのオレンジ色のバラ?」です。
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