ロック探偵のMY GENERATION

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75年目の終戦記念日

2020-08-15 20:06:50 | 日記


今日は8月15日。

終戦の日です。

毎年この日には太平洋戦争に関する記事を書いています。
今年もその例にならって、日本があの戦争に突き進んでいった過程について考えてみようと思います。

ちなみに、このブログでは、ときどき昭和史について書いていシリーズもあるんですが、そちらでは前回満州事変について書きました。
なので、今回は満州事変後のことについて書きましょう。


満州事変が起きた昭和6年の前後ぐらいは、昭和日本の大きな転換点だったと思われます。

昭和6年には、三月事件があり、十月事件があり、その翌年には、血盟団事件、五.一五事件……と、クーデターやテロ事件が相次ぎます。
これら一連の事件は、政党政治を廃し、軍事独裁体制の樹立を目指すもの。行動の主体はさまざまであり、その参加者たちの間で意見の相違はありますが、基本的にはそういうことです。

十月事件は、満州事変に呼応したものですが、三月事件と同様失敗に終わりました。
そして、三月事件と同様、この事件にもきっちりとした処分が下されませんでした。満州事変と並んで、暴走に対して処断がなされなかったことは、さらなる暴走を引き起こしていくのです。それが翌年の上海事変や五.一五事件につながりました。

この戦争にいたる過程を考えてみて、やはり重要なのは、まず日本型組織の無責任体質をどうにかすることでしょう。
責任を不問にするときに「終わったことをあれこれ言っても仕方ない」という言い方がよくされますが、そういう形で責任逃れをさせないということです。

以前満州事変の記事で書いたように、関東軍の起こした暴走を「もうやってしまったことだから」という理由で当時の政府は追認してしまいました。これが、まずかったことの第一です。

もう一つ、責任を追及しない理由として――これはあまりおおっぴらにはいわれないことでしょうが――「責任を問うと大問題になってしまう」というのがあります。
三月事件がそうでしたが、責任追及をはじめると、軍の上層部にまで累が及んで収拾がつかなくなる。だから、うやむやにしてしまうということです。

この二つがあわさって、軍部が関与した一連の事件はきちんとした責任追及がなされませんでした。それが結果として、こういう事件を起しても大丈夫だというメッセージを発することになってしまったのです。

既成事実さえ作ってしまえば、あとはどうとでもなる。大勢を巻き込んで大事にすればするほど、誰も責任を問えなくなる……事件の実行者たちはそう学習し、さらなる行動に走ります。

そこから得られる教訓が、「終わったことでもきっちり責任は追及しなければならない」ということです。

たとてもうやってしまったことであって、今さら責任を追及しても意味がないというような場合であっても、きっちり責任は追及すること。そして、そのための労力がどれほど大きかったとしても、その「やってしまったこと」を無効にすることです。

それは決して無意味なことではありません。

それがなされないと、また将来同じような暴走(あるいは不作為)につながります。責任追及は、一見無意味に見えても、将来のために必要なのです。

以上、当たり前といえば当たり前のことを書きましたが……しかし、今の日本では、その当たり前のことがきちんと行われているといい難い現実があります。
そして、そうであれば、また同じような失敗を繰り返すおそれがある。いや、すでに繰り返しつつあるのかもしれない……そんなことを考える8月15日でした。