ロック探偵のMY GENERATION

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『ターミネーター:ニュー・フェイト』

2020-08-29 11:36:17 | 映画


今日8月29日は、“審判の日”です。

――といっても、ヴァン・ヘイレンでもスティーヴ・ルカサーでもありません。

映画『ターミネーター』シリーズにおける“審判の日”なのです。

ということで、今回は、映画記事としてターミネーターシリーズの最新作『ターミネーター ニュー・フェイト』について書こうと思います。



この映画については、以前一度言及しました。

ターミネーターの新シリーズ一作目として制作された『新起動/ジェニシス』が大コケし、新三部作の構想自体が頓挫したあと、ジェームズ・キャメロン監督が自らターミネーターの新作を制作。そうしてできたのが、本作『ニューフェイト』です。『ターミネーター3』以降の作品をなかったことにして、キャメロン印の正統な続編という触れ込みでした。

その予告動画です。

映画『ターミネーター:ニュー・フェイト』本予告【新たな運命編】11月8日(金)公開

どうやら、世間的には、この『ニューフェイト』のほうも評価があまり芳しくないようなんですが……私個人としては、そう悪くはないと思います。

『新起動』で私が問題視した“リセットの不徹底”を、この作品ではきっちりやっています。
そのあたりは、さすがのキャメロン御大というところでしょうか。課題を適確に把握し、そこを改善してきているのです。

具体的には、作品冒頭でジョン・コナーの死が描かれます。『2』の続編なのでスカイネットももう消滅していて、幕開けから旧シリーズの根幹が放棄されているのです。

ちなみに、ジョンが殺されるシーンは、CGでジョンやサラ、T-800を若い姿で再現しています。
下はそのメイキング映像。映像技術の発達には驚かされるばかりです……


若きエドワード・ファーロングを再現する最先端CGが驚異的/映画『ターミネーター:ニュー・フェイト』メイキング映像

この殺害は、あくまでも“実現しなかった未来からの指令が遂行されてしまった”のであり、先述したとおり、スカイネットが人類を襲う未来は消えたままです。
しかしながら、愚かな人類は学ぶことを知らないために、スカイネットとは別のAI“リージョン”が暴走。かつてのスカイネットと同様、人類側のリーダーを亡き者にするために過去に刺客を送り込む――というこの部分に、ターミネーターの基本構造が残されました。ただし、送り込まれてくるのはTシリーズとは違うまったく新しいターミネーター。いっぽう味方の側は、機械によって強化された人間となっています。

……こうして、基本構造だけを残して、その他の要素はほぼ完全にリセットされているのです。こうして過去作とのしがらみを断ち切ったことで、『新起動』ほどのグダグダ感はなくなりました。
スカイネット、ジョン・コナーの世界線を抹消したことによって、制作する側の自由度が増した。これによって、新たにジョン・コナー、カイル・リースに相当する役で登場した二人も、自由に動き回れるというわけです。

ただし、あくまでも“ほぼ完全”なリセットであって、完全ではありません。

旧シリーズから引き継いだ要素としては、まずサラ・コナー。
演じるのは、旧シリーズと同じリンダ・ハミルトン。
このサラが、もう無敵のおばあちゃんになってます。
エイリアンにおけるシガニー・ウィーバーのような感じで、対ターミネーター最終兵器のような存在感です。

そして、さらに後半になると、いよいよシュワちゃんが登場。
ただ、そのあたりから、ちょっとキャメロン監督の悪いところが出てしまっているように私には思えました。
安いハードボイルドっぽい方向に話が流れていき、T-800が仲間になってくれる経緯についても、いささか陳腐で無理筋の感が否めません。まあ、この点に関しては、ジェームズ・キャメロンがターミネーターの新作を作るとなった時点で避けられなかったことなのかもしれませんが……やはり、ここは完全に旧シリーズとのつながりを断ち切っておいたほうがよかったのではないかと思えます。



最後に、この作品がもつ時代性という部分についても指摘しておきましょう。


作品の冒頭部分では、ロボットが人間の仕事を奪ってしまうという事態が描かれます。
前々から指摘されている問題ではありますが、昨今のAIの発達によって、懸念はより深刻さを増しているといえるでしょう。そして、その行きつく先に、AIによる人類撲滅計画があるのです。もっとも、T-800が計算したところによれば、AIの暴走がなくとも74%の確率で文明は崩壊するとのことですが……

もう一つ注目されるのは、ジェンダー役割の転換。
第一作におけるサラ・コナーに相当するダニー(ナタリア・レイエス)と、カイル・リースに相当するグレース(マッケンジー・デイヴィス)は、いずれも女性。ここに本家サラ・コナーが加わり、前半は女性のみのパーティー編成となっています。
そして――これはちょっとネタバレになってしまいますが――実はダニーは、かつてのサラ・コナーが“未来の人類を率いるリーダーを生む母親”であったのに対して、彼女自身が未来のリーダーとなる運命なのです。つまりダニーは、サラ・コナーではなくジョン・コナーだったのです。このあたりも、時代を反映してのことかもしれません。

そして、この作品で印象的なのは、ダニーが戦う未来のシーンです。

かつてジョン・コナーがカイル・リースを救ったように、未来のダニーは幼いグレースを救います。
荒廃した世界でグレースを襲うのは、野盗となった人間のグループ。その人間たちに、ダニーはいいます。

  人間同士で殺しあったら、リージョンの思うつぼ。
  戦うべき相手は、マシンよ。

「意味ないだろ、どうせ勝てっこない」と野盗グループの男がいうのに対して、ダニーは次のように反論。

  リージョンは人間が作り出すまで存在しなかった。
  私たちがそれを作った。
  だから、私たちが破壊できる。
  どっかの機械が決めたからって
  倒れたままで死を待つの?
  それが運命だから?
  運命なんかくそくらえ!


力強い言葉でした。
ここで使われているmachineという単語は、 巨大な組織とかシステムといったような意味合いも持ちえます。そうすると、ダニーの言葉はもっと広い意味にとらえることもできるでしょう。
ここにこそ、この作品が現代の世界に対してもつメッセージがあるのではないでしょうか。