ロック探偵のMY GENERATION

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憲法記念日2024

2024-05-03 22:29:14 | 日記


今日5月3日は、憲法記念日です。

本ブログでは、毎年この日にあわせて、憲法に関する記事をあれこれ書いています。
改憲云々というのはもうずっと前からいわれていて、改憲派の政治家がその気になればとりかかれる状況が近年あるわけですが……先日の補選の結果なんかからすると、今はそれどころじゃないということにもなってきたんではないかと思えます。そして、そう遠くないうちに行われるであろう総選挙の結果次第では、改憲勢力が3分の2を失うことも考えられるでしょう。そうすると、“改憲の機運”というやつも、一気にしぼんでいくことになります。

そんな転換点にある現状は、いうなれば改憲論議の真空状態……ということで、ここでひとつ、憲法というものに関してそもそものところから考えてみたいと思います。

そもそも、憲法とは何か。
いろんな定義の仕方があると思いますが……
私なりにわかりやすくいうと、憲法とは人類の歴史をもとにした“べからず集”です。

人類が数千年の歴史の中で、いろんな失敗をしてきた。その事例に基づいて、こういうことをやったら世の中が不幸になるという教訓を集めて、同じ失敗を繰り返さないようにしようということなのです。

宗教や肌の色で人を差別してはいけない、言論を封殺してはならない、宗教を政治にもちこんではならない――憲法のこうした条項は、それをやったら世の中が不幸になる、人間が良き生をまっとうできなくなる、そういう歴史の教訓に基づいているわけです。
その教訓に背を向けてしまったら、その社会に住んでいる人間が不幸になるのは、ある意味必然といえるでしょう。
こう考えたときに、私が改憲議論で非常に危うく思うのは、いまこの国で改憲を唱えている勢力は、“人類が歴史から得てきた教訓”としての憲法というものに対して否定的であるように見えることです。
そのことを象徴するのは、自民党の改憲草案では現行憲法の97条が削除されているというところでしょう。
日本国憲法97条には、次のようにあります。

 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

この条文はまさに、日本国憲法が人類数千年の歴史を基盤にしているということの表明です。
これは、憲法全体の第十章「最高法規」という章にあたりますが、つまりは、人類の歴史を基盤にしているからこそ憲法は最高法規であるということなのです。
この97条を削除するということは、人類数千年の歴史の教訓に背を向けることにほかなりません。
せっかく、先人が犯した過ちをもとにしてそうならないようにという教えがあるのに、それを無視してしまったら、同じ過ちを繰り返して国民が不幸になるのは自明というものです。

改憲といえば9条のことがフォーカスされがちですが……そこにばかり注目してしまうと、根幹的な部分を見落とすことにもなりかねません。なぜ憲法はそう簡単に変えられないようになっているのか、憲法は誰に向けられたものなのか――せっかくの憲法記念日、そうしたことを深く考えるきっかけにしたいものです。