ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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伊藤久男「ひめゆりの塔」

2020-08-22 16:53:10 | 音楽批評


ちょっと前のことになりますが、今月の9日、長崎原爆の日ということで「長崎の鐘」という歌についての記事を書きました。

そこで、作曲者として古関裕而の名前が出てきました。
せっかく朝ドラモデルの話題になったところでもあるので……今回も、同じ古関裕而作曲で戦争の惨禍を歌った歌として、「ひめゆりの塔」という歌を紹介したいと思います。


作詞は西条八十。
沖縄戦で犠牲になったひめゆり学徒隊のことを歌った歌です。やはり、この8月にはそういう歌が響いてきます。


  首途(かどで)の朝は愛らしき
  笑顔に 母を振り返り
  ふりしハンケチ 今いずこ
  ああ 沖縄の 夜あらしに
  悲しく散りし ひめゆりの花
  
  生まれの町も もえさかる
  炎の底に つつまれて
  飛ぶは宿なきはぐれ鳥
  ああ 鳴けばとて 鳴けばとて
  花びら折れし ひめゆりの花

  黒潮むせぶ沖縄の
  米須の浜の 月かげに
  ぬれて淋しき 石の塚
  母呼ぶ声の 永久(とこしえ)に
  流れて悲し ひめゆりの花


もちろん犠牲となったのはひめゆり学徒隊だけではなく、ほかにも同じように犠牲となった学徒隊があり、犠牲となった一般市民がいます。

捨て石とされた沖縄……

本土の防壁とされただけでなく、住民を無視した軍の行動のために多大な犠牲を出しました。

そして戦後は米軍基地を押し付けられ、辺野古の問題ではまるで嫌がらせのような仕打ちを国から受け、今またコロナ禍でも政府の方針によって大きな被害を受けている……

戦後史を俯瞰してると、ひめゆりの塔が訴えかけるメッセージは、決して遠い過去のものではないのです。



ブログ3周年

2020-08-20 16:40:07 | 日記




おかげさまで、このブログも本日をもって三周年を迎えました。

まあ、開始当初に比べれば閲覧数も増え、多少はPRになっているかな……といったところです。

これからもこのブログは続けていく予定なので、今後ともよろしくお願いします。




石橋湛山に学べ

2020-08-19 19:41:59 | 時事


安倍総理の検診が波紋を呼んでいます。

健康に問題があるなら職を辞すべきという意見が一方にありますが、それに対して総理を擁護する反論もあります。

たとえば乙武洋匡さんの次のようなツイートがあります。

  「たいして働いてないだろ」
 「休みたいなら辞職しろ」
  「そのままずっと休んでろ」

  この国でブラック企業がなくならない理由がよくわかった気がする…。 どんなに政治思想が相容れなくても、体調が悪いときに浴びせるべき言葉ではないかな


しかし、これはちょっと筋が違う気がします。

なにしろ総理大臣というのは、一国の命運を左右する立場です。
一般の労働者と同じようには考えられないでしょう。



かつて自民党に、石橋湛山という総理大臣がいました。

この人は現行憲法下では歴代二番目に在任期間が短いのですが、それは彼が、就任直後に脳梗塞を患ったためです。
病身では、十分に総理大臣としての職責を果たすことができない。だから退くということで、退任したのです。


総理大臣として責任ある態度とは、そういうことだと思います。

もう少し補足すると、石橋湛山は戦前ジャーナリストをやっていて、昭和5年に銃撃事件に遭った浜口雄幸が辞任しなかったことを批判していました。
浜口雄幸は、テロによって瀕死の重傷を負い、その半年後に命を落とすわけですが……それまでは総理の座にとどまっていました。このことを、石橋湛山は批判していたのです。銃撃テロに遭った政治家に職を辞すよう求めるというのは、厳しい意見です。そういう批判をしていた以上、自分が病身で総理の座にとどまり続けることは許されない――と、湛山は考えたのでしょう。

他人を批判する以上、その基準は当然自身にもむけられるべき――潔い態度といえます。

さらにいうと、石橋湛山が自民党総裁になったときの総裁選は、岸信介との一騎打ちでした。
人も知るとおり、岸信介は現総理の祖父にあたります。
この岸信介が総理総裁の椅子を狙って運動していて、一回目の投票ではトップとなり、湛山との決選投票となります。それを受けて、「こいつだけは総理にしてはいけない」という危機感をもった当時の良識ある自民党政治家たちが“反・岸連合”を形成しました。
その結果として湛山が勝利するわけですが、先述したとおり、彼はわずか二か月ほどで職を辞します。そしてその後、岸信介が総理大臣となるわけです。歴史のいたずらというか……実に残念な成り行きでした。

ひるがえって、現代です。

繰り返しますが、健康上の問題があるのなら、総理大臣という立場から身を引くのが責任のある態度でしょう。
平時ならともかく、このコロナ禍で、GDPは過去最悪の落ち込みという状況です。もっとも指導力を発揮すべきときにそれができないのであれば、潔く自ら退くべきです。

最後に、「石橋湛山記念財団」のウェブサイトに掲載されている石橋湛山の言葉を引用しておきましょう。これもまた、現代の政界に通用する鋭いメッセージです。


《私が、今の政治家諸君を見て一番痛感するのは、『自分』が欠けているという点である。『自分』とはみずからの信念だ。自分の信ずるところに従って行動するという大事な点を忘れ、まるで他人の道具になりさがってしまっている人が多い。政治の堕落といわれるものの大部分はこれに起因すると思う。
政治家にはいろいろなタイプの人がいるが、最もつまらないタイプは自分の考えを持たない政治家だ。金を集めるのが上手で、また大勢の子分をかかえているというだけで、有力な政治家となっている人が多いが、これは本当の政治家とは言えない。
政治家が自己の信念を持たなくなった理由はいろいろあろうが、要するに選挙に勝つためとか、よい地位を得るとか、あまりにも目先のことばかりに気をとられすぎるからではないだろうか。派閥のためにのみ働き、自分の親分の言う事には盲従するというように、今の人たちはあまりに弱すぎる。
たとえば、選挙民に対する態度にしてもそうである。選挙区の面倒をみたり、陳情を受けつぐために走り回る。政治家としてのエネルギーの大半を、このようなところに注いでいる人が多過ぎる。》



GDPマイナス27.8%の衝撃

2020-08-17 19:16:53 | 時事


今年の4-6月期のGDPが発表されました。

前期比-7.8%。
年率換算で-27.8%……比較しうるかぎり、過去最悪の落ち込みです。

まあ、あの緊急事態宣言のことを考えれば、こういう数字になるのも仕方ないでしょう。

しかし問題なのは、その元凶である新型コロナ対策の結果がどうだったかということです。

コロナを抑え込む対価として考えればこのマイナスは決して大きすぎる代償ではないと思うんですが、現実問題として、それから数か月が経ちコロナは再拡大してしまっています。つまり、払った対価が無駄になってしまってるわけです。ここが、大問題でしょう。

この再拡大に Go To トラベルキャンペーンが寄与していることはほぼ間違いないと思われます。

つまり、経済活動の再開を焦るあまりに、あの“自粛”生活を結果として台無しにしてしまった。-27.8%を無意味なものにしてしまった……これは、無惨な顛末というよりほかありません。


この状況下で安倍総理が慶応病院へというニュースがあり、近々なにか大きな動きがあるのではという憶測も出ています。

もしそういう“大きい動き”があるとしたら、この一年は日本の近代史において数十年に一度レベルの転機となりえます。

そういう心づもりをもっておいたほうがいいかもしれません。



75年目の終戦記念日

2020-08-15 20:06:50 | 日記


今日は8月15日。

終戦の日です。

毎年この日には太平洋戦争に関する記事を書いています。
今年もその例にならって、日本があの戦争に突き進んでいった過程について考えてみようと思います。

ちなみに、このブログでは、ときどき昭和史について書いていシリーズもあるんですが、そちらでは前回満州事変について書きました。
なので、今回は満州事変後のことについて書きましょう。


満州事変が起きた昭和6年の前後ぐらいは、昭和日本の大きな転換点だったと思われます。

昭和6年には、三月事件があり、十月事件があり、その翌年には、血盟団事件、五.一五事件……と、クーデターやテロ事件が相次ぎます。
これら一連の事件は、政党政治を廃し、軍事独裁体制の樹立を目指すもの。行動の主体はさまざまであり、その参加者たちの間で意見の相違はありますが、基本的にはそういうことです。

十月事件は、満州事変に呼応したものですが、三月事件と同様失敗に終わりました。
そして、三月事件と同様、この事件にもきっちりとした処分が下されませんでした。満州事変と並んで、暴走に対して処断がなされなかったことは、さらなる暴走を引き起こしていくのです。それが翌年の上海事変や五.一五事件につながりました。

この戦争にいたる過程を考えてみて、やはり重要なのは、まず日本型組織の無責任体質をどうにかすることでしょう。
責任を不問にするときに「終わったことをあれこれ言っても仕方ない」という言い方がよくされますが、そういう形で責任逃れをさせないということです。

以前満州事変の記事で書いたように、関東軍の起こした暴走を「もうやってしまったことだから」という理由で当時の政府は追認してしまいました。これが、まずかったことの第一です。

もう一つ、責任を追及しない理由として――これはあまりおおっぴらにはいわれないことでしょうが――「責任を問うと大問題になってしまう」というのがあります。
三月事件がそうでしたが、責任追及をはじめると、軍の上層部にまで累が及んで収拾がつかなくなる。だから、うやむやにしてしまうということです。

この二つがあわさって、軍部が関与した一連の事件はきちんとした責任追及がなされませんでした。それが結果として、こういう事件を起しても大丈夫だというメッセージを発することになってしまったのです。

既成事実さえ作ってしまえば、あとはどうとでもなる。大勢を巻き込んで大事にすればするほど、誰も責任を問えなくなる……事件の実行者たちはそう学習し、さらなる行動に走ります。

そこから得られる教訓が、「終わったことでもきっちり責任は追及しなければならない」ということです。

たとてもうやってしまったことであって、今さら責任を追及しても意味がないというような場合であっても、きっちり責任は追及すること。そして、そのための労力がどれほど大きかったとしても、その「やってしまったこと」を無効にすることです。

それは決して無意味なことではありません。

それがなされないと、また将来同じような暴走(あるいは不作為)につながります。責任追及は、一見無意味に見えても、将来のために必要なのです。

以上、当たり前といえば当たり前のことを書きましたが……しかし、今の日本では、その当たり前のことがきちんと行われているといい難い現実があります。
そして、そうであれば、また同じような失敗を繰り返すおそれがある。いや、すでに繰り返しつつあるのかもしれない……そんなことを考える8月15日でした。