それを言うと不思議がられるのだけれど、ほんの一寸の挨拶が駄目なのです。
昨日も情けない思いをしました。岩見沢神社の奉賛吟詠講30周年記念大会に招かれて出席したのは良かったのですが、懇親会で挨拶を兼ねて乾杯の音頭をとっていただきたいと頼まれて、断りきれず引き受けました。
何とかやりましたが、どうも自分で納得の出来ない、そして言葉もすらすらと出ない情け無いものに成りました。
決まり文句があってそれだけはいつでもきちんと言えるようになれば、自信がつくのかもしれない。来賓としての挨拶の定形句、乾杯の時の定形、そんなパタンを一寸整理しておくだけで全然違うのでしょうが、今までやったことがなく、そのつど頭が真っ白になり、しどろもどろの挨拶をしている。国語の先生が、何なのといわれるような始末。
まだ人前でしゃべる機会は出てくるのでしょう。今更とも思うけれど、もう少し突然のときでも、当為即妙にやってのける様に成りたいものだ。
要は大胆になることかもしれない。長々しゃべっていいといえば、しゃべれるのだけれど、短く要領よくというのが駄目なのです。本当どうしてなのだろう、必ず後で悔やむような話ばかり。情けない・・・。もつと大胆に、どっしり構えて挨拶のできる人にならなくちゃ・・・。