枕の草子で清少納言は、「春は曙・・・」と、言っている。中国の詩人孟浩然は「春暁」という詩を作っている。
「曙」は「夜の明け始める頃」でまだようやく明るくなり始めたばかりなの頃です。「暁」も「夜明けがた」だが、曙からもう少し時間が経過した頃をさすようです。
孟浩然は、春暁という詩で「春眠暁を覚えず」と歌っている。この言葉だけだと何かとても寝過ごしたように思われけれど、何も寝過ごしと言えるような時間で無い。とてもすがすがし素敵な時間に起きているのです。
私など、曙に起きることは全く無い。暁に起きる事もよっぽどのことが無い限りないのです。昔は、寝る時間がかなり早かったでしょうから、それだけに起きる時間も早かったのでしょう。
今でも、早寝早起きで、暁を待って散歩に出る人も多いようです。私は寝るのがいつも11時過ぎてからなので、起きるのも夜明け過ぎが普通なのです。起きて外に出て春の朝の空気に触れるくらいのことをすればいいのですが、それもしない。
記憶の中に、3月の末頃、堅雪を渡った遊んだ子供時代、また堅雪をわ渡って職場まで近道した思い出が残っている。曙とか暁ではないけれど、朝のあの感覚は懐かしい。現役を退いて以来、朝早く家を出る必要も無いし、おまけに住宅地の真ん中の自宅にいては、春の趣と縁遠くなってしまっている。
こんなことを書きながら、歳を思わずにいられない。歳相応の生き様だと言えばそれまでだけど、もう少し活力のある生活、自然の中に入って楽しむ・・・車ばかり乗らないで、歩いてみるとか・・・出来ないのでしょうね。