大学の同期会(六八会)札幌六八会去年は案内が無かった。多分続けられなくなったのでしょう。
もう一つ高校のクラス会、私たち札幌勢が当番で定山渓でやったのが最後で途絶えっぱなし・・・多分もうだめなのでしょう。
ほかに私が声かけ役を一存でやり、しばらく続けていた美東会も私が声をかけなくなって自然に終わった。
こういう会は、それなりの楽しみがあるし、あってほしいのだけれど、世話役になる人というのはとても負担なのです。
六八会では、次年度の当番幹事を決めてきていたのでした。そして、会の頭では誰かが講演のようなことをやったりしていました。結構な履歴の方もいてそれなりにすばらしかったのですが、後が続かなくなってきていた。また、会員の年齢も高くなり、体調を壊している人も多くなってきていた。そんなことが重なって継続できなくなったのだと思います。
高校の同期会は、札幌から地元旭川に当番が動いたら、続かなくなった。札幌で当番をしたとき、亡くなったH君が当座資金を提供してくれて、仕事は進んだのだけれど、財産というか資金の無いまま、こういう会の幹事を引き受けることは容易でない。案内の通信費だって馬鹿にならないし、それで必要人数に達しないとしたら大変なのです。そんな事情があったかどうかは判らないけれど、もう数年経過しているのでこの後、期待は出来ないでしょう。
どちらも期が同じだから、最低私と同じ歳で、年上のものは80歳を超えているでしょう。私はまだまだ元気なつもりだけれど、とても大変そうな仲間が多くなってきてはいた。
せめて美東会、声をかければ何人かとは会えるのでしょうが、声をかけることが億劫になっている。声をかけて断られるとつらいのです。
年賀状では会いたいと書いてくれる人もいるのだが・・・。