「去年今年(こぞことし)貫く棒のごときもの」高浜虚子の句です。 新年になったから、思いを新たに・・・と考えるのが私なんかの凡人の考えです。挙句が何も変わらない、だらだら人生になってゆく。これも立派な貫く棒かもしれないけれど、そうはいえない。
俳人として、その信念の堅さをさりげなく言っている虚子の生き方は、芭蕉の「才なければこの一筋につながる」と言った言葉と同じ重みです。
詩吟を始めたのも、特別のことはなく、30数年続けているが、口では吟道をもとめるような言い方をして、その実何も努力をしていない自分を恥ずかしく思う。
でも、やはり歳です。いろいろの趣味に手を出していたが、殆ど削り落とし今は詩吟だけになっていると言ってもいいかもしれない。でも、カラオケをやったり、パークゴルフをやったり、いわば浮気っぽい生き方をしている。
少ない余生、しっかり足を詩吟において、詩吟に生きたと言われるくらいに頑張るべきなのでしょうが、どうもそんな覚悟は持てそうでない。
俳人として、その信念の堅さをさりげなく言っている虚子の生き方は、芭蕉の「才なければこの一筋につながる」と言った言葉と同じ重みです。
詩吟を始めたのも、特別のことはなく、30数年続けているが、口では吟道をもとめるような言い方をして、その実何も努力をしていない自分を恥ずかしく思う。
でも、やはり歳です。いろいろの趣味に手を出していたが、殆ど削り落とし今は詩吟だけになっていると言ってもいいかもしれない。でも、カラオケをやったり、パークゴルフをやったり、いわば浮気っぽい生き方をしている。
少ない余生、しっかり足を詩吟において、詩吟に生きたと言われるくらいに頑張るべきなのでしょうが、どうもそんな覚悟は持てそうでない。