今年の年賀状に載せた漢詩に「八十の春秋夢の如く過ぐ/余生猶期す詩魂を学ぶを」と書いた。六十・七十の節目と全く違う思いがあるのです。
七十のときは特別の感慨はなかった。今年は八十一歳になる。やはり、違った思いが去来する。
よく会話の中で年の話が出る。八十ですというと、異口同音に「とても見えない、七十くらいにしか見えない」といってくれる。自分でも、八十という自覚があまりないのです。
でも、すでに平均年齢は過ぎている。これからの余生は、本当の余生です。この後10年今の状況を持続するのは不可能に近い。今、詩吟を週5回教え、北詩連札幌西支部の総務部長を務め、手稲文化協会の事務局長を10年以上やってきている。
これらの仕事も続けられる残りの年は限られている。この思いは今までなかったことです。詩吟だけは一人で続けられますが、対外的な仕事は、後がないのです。後継者の育成を急がなければならない緊急の課題に思えるようになりました。
体力は確実に落ちています。気力だけはまだ大丈夫なのですが。ここを基点に今年は動かなければなりません。
七十のときは特別の感慨はなかった。今年は八十一歳になる。やはり、違った思いが去来する。
よく会話の中で年の話が出る。八十ですというと、異口同音に「とても見えない、七十くらいにしか見えない」といってくれる。自分でも、八十という自覚があまりないのです。
でも、すでに平均年齢は過ぎている。これからの余生は、本当の余生です。この後10年今の状況を持続するのは不可能に近い。今、詩吟を週5回教え、北詩連札幌西支部の総務部長を務め、手稲文化協会の事務局長を10年以上やってきている。
これらの仕事も続けられる残りの年は限られている。この思いは今までなかったことです。詩吟だけは一人で続けられますが、対外的な仕事は、後がないのです。後継者の育成を急がなければならない緊急の課題に思えるようになりました。
体力は確実に落ちています。気力だけはまだ大丈夫なのですが。ここを基点に今年は動かなければなりません。