人のことを言える柄ではないが、指導者として頑張っている多くの先生方の姿に接しそれぞれ苦労をされている姿を想像したりしている。
最近、名誉師範から副師範への道が出来、指導者が大幅に増加している。一方、教室を立ち上げたくても、詩吟をやりたいという人が激減していて、教室を持つ事が極めて難しくなっている。何とか身内の方などを会員として会を立ち上げても、それ以上に会員を増やす事がむつかしく、会を維持することが精一杯という先生も目立つようです。会として活動するには、最低5名くらいの会員がいなくては、教える楽しさを味あうこともむつかしいのではないかと思う。少ない人数だと教室としての機能を発揮させることがむつかしい。結局審査に間に合わせるとか大会に間に合わせる吟の稽古だけとなり、詩吟の面白さを、吟を離れた詩文の鑑賞や作者の人物象などを話してあげて、ともに勉強する楽しみも持てないように思います。詩吟学院では指導者としてお弟子さんを持たれても、一定の人数を揃へ、独り立ちができるまでは、傘下道場として、指導者は所属会に在籍しなければならないしきたりになっていました。今は変わったかもしれませんが、家内が在籍していた時の話です。
今、指導者の資格を獲得したとしても、指導法、指導者として身に着けなければならない教養など、先生から教わらなければならないことは多いのです。 ただ資格があるからといって、教え切れるものでない。自分で勉強をし、指導者としての資質を身につけることのできる人はそれで良いのでしょう。しかし、とても苦労されている実態をみながら、先生が教える楽しさを味わえ切れていないと思わせられることが多い。
詩吟の先生でも、先生は先生です。先生としての品格を見につける努力を重ね、共に学ぶ喜びを分かち合える先生になってほしい。今詩吟を志す人は少ない。少ないだけに、入られたお弟子さんを失望させるような事はないようにしたいものです。特に団体としてのリーダーとなっていられる方は、そんなところにも目を向けてのリーダーシップの発揮を期待したいものです。