今日の福祉センターは17名の参加でした。
前半は「廬山の瀑布を望む 李白」をやる。先週も一度やっていますが、素読の後、「この詩の作られた季節は?」と投げかけてみました。二人が秋と答えてくれました。根拠は?と聞いたらなんとなくそう思うという。そこで「紫煙」を指摘してあげました。「もやがかかる」状態、春霞のかかっている季節、春なのですね。その後「長川を挂くるを」が「前川に挂くるを」と読んでいるのがあることに触れ、その違いを説明してあげた。特に「挂くる」と「挂かる」の違いを指摘し、「挂くる」はぶら下げる意なので、「前川に挂くる」といった場合は、「前の川に吊り下げる」という意味になりおかしくなる、すると「挂かる」が適当になるけれどそれじゃ滝が下の川に降りかかっている意味で、当たり前のことになり何の面白さもなくなるという事を話したあげました。結句の「銀河の九天より落つるかと」という表現のすばらしさ、李白の面目が躍動した表現だといい、李白ならではの発想だと結んであげました。
後半は「秋浦の歌 李白」をやりました。五言絶句の特徴として、母音返しのタイミングの話をしてあげました。それと半高音Aに絡めて、揺り落としの上と中について触れてあげました。「知らず」の、二つ落とし、みんなきれいにできていました。
李白の詩はどれも素晴らしい。現役の時、公開講座で「漢詩の鑑賞 李白」をやったことが懐かしく思い出される。
前半は「廬山の瀑布を望む 李白」をやる。先週も一度やっていますが、素読の後、「この詩の作られた季節は?」と投げかけてみました。二人が秋と答えてくれました。根拠は?と聞いたらなんとなくそう思うという。そこで「紫煙」を指摘してあげました。「もやがかかる」状態、春霞のかかっている季節、春なのですね。その後「長川を挂くるを」が「前川に挂くるを」と読んでいるのがあることに触れ、その違いを説明してあげた。特に「挂くる」と「挂かる」の違いを指摘し、「挂くる」はぶら下げる意なので、「前川に挂くる」といった場合は、「前の川に吊り下げる」という意味になりおかしくなる、すると「挂かる」が適当になるけれどそれじゃ滝が下の川に降りかかっている意味で、当たり前のことになり何の面白さもなくなるという事を話したあげました。結句の「銀河の九天より落つるかと」という表現のすばらしさ、李白の面目が躍動した表現だといい、李白ならではの発想だと結んであげました。
後半は「秋浦の歌 李白」をやりました。五言絶句の特徴として、母音返しのタイミングの話をしてあげました。それと半高音Aに絡めて、揺り落としの上と中について触れてあげました。「知らず」の、二つ落とし、みんなきれいにできていました。
李白の詩はどれも素晴らしい。現役の時、公開講座で「漢詩の鑑賞 李白」をやったことが懐かしく思い出される。
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