手稲文化協会の文化祭プログラム、ポスターなどの作成で、多忙だつたのでパークも殆ど休みにしていました。昨夜でほぼ出来上がり、後一団体、真下バレェの原稿が来たらすぐ出来上がる。昨夜FAXが入るはずだったのが、届いていないので、朝電話したけれど既に留守。やむを得ず催促のFAXをいれて、9時過ぎ、雨が降りだすまでと、森林に行くこととした。
ついて驚いた。凄い人なのだ。しまった、バッタにすればよかったと思ったのだけれど、とにかく入った。すると、バッタの金枝さんがいて、「一人?僕たち3人だから入れますよ」と声を掛けてくれた。有難う、といってあたりを見るとバッタの人が結構いるのです。何と、金枝さんと一緒なのが、奥さんと工藤さんなのです。
森林でバッタの人に会うことは少ないのですが、23日の大会の稽古にきているとのことでした。シラカバコースに入って、3Hが混んでいて、待ち時間、ふと、7番Hの方を見ると、13期の安達さん、北村さんらしい人がいる、安達さんも私を見ている、やっぱりと思って、手を振ると一緒にいる男の方が手を振っている。誰かわからないけれど、時間が有るから、そばまで行ったら、手を振っていた男の方は米森さん、今日は13期の例会だったのです。私は全く気にしていなかったのです。
そして待機の場所に戻ったら、声を掛けられた。「間違ったらご免なさい。西陵高校にいらっしゃった村川さんでないですか」という男の方。全く判らない。
失礼ですが、どなただったでしょうと聞いた。「佐藤です」、でもわからない「教科は何でした」と聞く「数学です」、やっぱりわからない、何年にいらっしゃったのですかと聞く「平成2年です、先生は3年に退職して、次の年新任教員の指導員をされましたよね」ええ・・・といいながら、全く思い出さない。何か言葉の端で、教頭とか校長とかという言葉が出た。でも、判らなかった。
さっき、20周年記念誌の旧職員名簿を見てびっくり。私が退職した時の教頭先生で、その後、校長として戻ってこられた佐藤享夫先生なのです。校長でこられた時は、西陵は私にとって遠い関係になっていたから、全くわからない。でも尺八を吹く先生で、その点でなにか親しみを感じたことがあったのです。新任教員の指導員にしてくれたのも、佐藤先生だったのです。それを全く忘れているとは・・・
ただ、どう見ても、西陵高校の校長をしていた方とは思えない、大体、高校の校長をしたような方が、パークゴルフに来るなんて、私には信じがたいことだったのです。
本当に、申し訳の無いことをしました。またお会いできれば嬉しいのだけれど・・・