手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

惨すぎる・・・バージニァ工科大学 乱射事件

2007-04-17 19:24:04 | 無題

 学校内でこんなことがあるとは・・・・惨い・・酷い、信じられない・・・でも間違いなく起きたのだ。弾装を腰に巻いて、二丁の銃を持つた男が、二人を殺して大学の教室に入り、教授を射殺して次々と生徒を、射殺していつた。弾丸が切れると新しいのを装着して続けて撃ったという。そして自分の頭部を撃って自殺したという。

 是は何なのだ・・・、生徒の証言では知らない男だという。怨恨でも無いとすれば、自分の死の友連れにしたということなのだろうか。最初の二人を殺して、2時間ほどたっている。単なる供連れなら誰でもいいのだし、大学に侵入したということは、先に殺された二人と関連するのかもしれない。

 是は私が推測するようなものじゃない。イラクでは、毎日のようにテロで多くの人民が被害にあっている。自爆テロも後を絶たない。いわば人殺しが平然と続けられているのだ。そレらと同列に考えることは出来ないとしても、今の世の中本当に物騒になっている。

 銃の是ほど規制されている日本でも、銃による事件が起きるのだから、全く規制の無い国では起きうることなのだ。

 とにかく恐ろしい時代だ。
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シーズン到来  パークゴルフに行きました

2007-04-16 19:31:05 | パークゴルフ・野球

 昨日北詩連西支部総会懇親会、まっすぐ帰ってきたので今朝は二日酔いになっていません。外はいい天気。パークゴルフに出かけることにしました。

 8時45分、家を出て、山口緑地へ、駐車場へ入るとき、五郎さん、平向かいさんがコオロギコースへ向かっているのに会う。券を買いに行くと、工藤さんが来る。工藤さんと同行して入る途中から平森さん、中津さんが加わって、11時までプレーをして帰宅した。コースはきれいになっている。しかし、まだ芝が育っていないからボールが走る。飛ばしすぎて失敗ばかり。でも楽しかった。

 工藤さんがコオロギ5番、平森さんがバツタの5番でホールインワン。

 懐かしい皆さんの顔を見るだけで楽しい。ようやくシーズン到来。今年のクラブの例会は日曜日になっているので9月までは全部出れそうです。10月が詩吟の大会とぶつかり駄目です。

 明日の天気予報はいいのですが、私は北大の定期検査に行くので駄目、午後は福祉センタの詩吟、残念です。でも今週は天気のいい日が続くようですから、何日かは遊べるのでしょう。
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西支部総会、懇親会

2007-04-15 21:43:05 | 詩吟関係

 ホテルKKR札幌で西支部の定期総会と懇親会が有りました。役員は12時30分の集合になっていたので、少し早めに出かけ12時10分頃ホテルに到着、誰も来ていないだろうとロビーで待っていた。

 12時20分頃、顔を知っている方がエレベータで降りてきた。おや、もう来ている人がいるのだと思っているときに、岡内支部長が来た。それで3階に上がってみたら、何と皆来て準備は出来ているじゃない。結局私は遅れをとっていたのです。

 2時からの会議まで、役員の打ち合わせなどがあり、やや時間が長い感じでしたが、役員用に用意されたお結びをいただいて待ちました。碌峭会の面々なかなか来ないのです。懇親会の会費、高橋さんに取りまとめお願いしていたのですが、気になりました。結局沓澤さんが欠席しました。理由がわかりません。明日、わかると思いますが、私の連絡が到らなかったのかもしれません。

 懇親会は、とても和やかに過ぎ、楽しい一時でした。懇親会の最後の万歳を第二教場の大野さんにやらせていただくように、打ち合わせで推薦しておきました。さすが大野さんとても素晴らしい、締めをやってくださり、私も面目を保てました。

 帰り、千葉さんが来るまで帰るから一緒にといつてくれましたので、ロビーで待っていました。そこに久保先生と会の方がいらっしゃって、2次会に誘われました。千葉さんが遅いので、キャンセルして久保さんに付き合おうと、ホテルを出たら丁度千葉さんの車が来ていました。それで、久保さんに悪かったけれど、キャンセルして千葉さんの車で家まで送って頂きました。

 早かったので、風林火山を見て、ブログに向かっています。さて、今度は手稲文化協会の総会資料の55部の作成と、碌峭会の会員名簿45部を作らなければ成りません。何せ一部分カラーを使っているので、輪転機が使えないので、全部私のPCプリンターで作りますので、時間とイクク代が馬鹿に成りません。でも仕方が無いのです。

 
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今頃、雪が降るとは・・・

2007-04-14 16:53:18 | 無題
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 今朝起きてカーテンを開けると、外は真っ白・・・雪なのです。それでも10時頃にはきれいに解けました。

 午後から平和の詩吟に行きました。平和は今朝2センチくらい積もっていたそうです。

 4月も今日は14日、今頃雪が積もるほど降ったという記憶が殆ど無い。暖かい春を感じさせる日もさっぱり無い。

 やっぱり異常気象なのでしょうか。早くパークゴルフに出かけたいと思わせるようないい天気が来て欲しいものです。

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パークゴルフが始まっているという

2007-04-13 20:26:18 | パークゴルフ・野球

 9日に講習会があるという知らせをいただいていたけれど、すぐにコース開きになると思っていなかった。昨日既に始まっていることを知らされた。

 今日行きたかったのだけれど、10時から文化祭に関する区民センターとの話し合いがあり、午後は詩吟の教室、いけませんでした。明日は天気が悪い予報ですから諦めるしかない。明後日の日曜日は北詩連西支部の定期総会で、12時半までにKKRにゆかなければならないから、これも駄目。上手くゆけば16日の日曜の午前中に初打ちが出来る。でも、懇親会で飲みすぎて二日酔いで駄目ということもある。火曜日は北大行き。

 工藤さん、渡さん、五郎さん、原田さん皆楽しんでいるのでしょうね・・・。うらやましい。でも、まだ結構寒いのじゃない・・・。いつもより2週間も早い、暖冬だったけれど、今頃になって雪がちらついてみたり、嫌な天気です。

 とにかく半年振りのパークゴルフ、ようやくシーズン入り、楽しいけれど、忙しさがまた増える。
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稲苑大学・・・手稲老人大学  13期総会

2007-04-12 19:17:38 | 身辺雑記

 今はどこの市町村にも開設されている老人大学。手稲では稲苑大学と称している。私はその13期生です。この老人大学は、卒業してからが楽しいのです。各期が総てOB会を立ち上げていて、全体としてのOB会活動もしているのです。

 私達13期は平成10年度ですから、卒業後9年になる。この間6人ほどが他界されたとの事です。OB会ではその期によりますがいろいろのサークルを作ったりしています。私達の期は、パークゴルフだけです。一時期、何人かがダンスをやっていました。他の期でもパークゴルフ、カラオケ、ダンスなどのサークルが主流のようです。

 他に、一泊旅行、日帰り旅行、研修会、遠足などを計画し、会員の親睦を図っています。全体としては、年に一度の演芸発表会兼懇親会、パークゴルフ大会などが開催されています。

 今日13期の19年度総会が開かれ私も出席してきました。13期は会員が一応33名登録になっています。しかしここにも高齢化の波は避けられず、1泊旅行も20人を確保するのが難しく、ホテルなどの送迎付きの旅行を組むことが出来なく成りました。行事も縮小して新年会、1泊旅行、日帰り旅行だけに成りました。

 13期の会員の中で、行事の欠席が多いのは私でしょう。何せ週4日は午後使えませんから、出れないのです。私の都合に行事を合わせては頂けないのだから仕方がありません。それでも、つごうの付くときは参加させてもらっています。結構楽しいのです。今年の行事は私の出れる日に組んで欲しいものです。
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高齢化の波か  民謡の団体が潰れていく

2007-04-11 19:59:07 | 手稲文化協会関係

 手稲文化協会に民謡のサークルが8団体が加盟していたのだが、つい最近になって三団体が相次いで退会することとなった。

 理由は、会員が皆止めてしまったのだという。話を聞くと確かに会員が減少していて、大変だったという。練習会場も区民センターとかコミュニティセンターとなれば、それなりの会場費が掛かる。私の詩吟の会も区民センターを利用していますから判ります。週1回、月4回の稽古でも、会員が10名以下では苦しい。幸い私の会はクリアできていますが、民謡はかなり大変かもしれません。

 昔から見るとサークル活動の幅が広くなり、華やかな会も多くなってきている。フラダンスとかカラオケとか、リズムダンス、パークゴルフ等など、選択の幅も広がり、特に伝統芸能部門への参加が極めて少なくなってきているのです。

 以前は、老人クラブの活動もかなり華やかだったのですが、最近は高齢化の時代なのに、あまり会員が増えず、活動も停滞がちになっているみたいです。

 老人クラブの高齢化・・笑い話でなく現実なのです。高齢化し、活動も活気を失ってくると、新しく入る方の意欲をそぐ結果となるのです。

 手稲区の民謡はどうなっていくの?心配です。文化協会が協力できるものは無いでしょうか。一つ考えられるのは、各老人クラブへ働きかけ、講師をボランティアで派遣する取り組みはどうでしょう。民謡に限らず、希望があれば対応するそんな取り組みをして見るのはどうでしょう。
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「春は曙・・・・」

2007-04-10 20:22:42 | 随想

 枕の草子で清少納言は、「春は曙・・・」と、言っている。中国の詩人孟浩然は「春暁」という詩を作っている。

 「曙」は「夜の明け始める頃」でまだようやく明るくなり始めたばかりなの頃です。「暁」も「夜明けがた」だが、曙からもう少し時間が経過した頃をさすようです。

 孟浩然は、春暁という詩で「春眠暁を覚えず」と歌っている。この言葉だけだと何かとても寝過ごしたように思われけれど、何も寝過ごしと言えるような時間で無い。とてもすがすがし素敵な時間に起きているのです。

 私など、曙に起きることは全く無い。暁に起きる事もよっぽどのことが無い限りないのです。昔は、寝る時間がかなり早かったでしょうから、それだけに起きる時間も早かったのでしょう。

 今でも、早寝早起きで、暁を待って散歩に出る人も多いようです。私は寝るのがいつも11時過ぎてからなので、起きるのも夜明け過ぎが普通なのです。起きて外に出て春の朝の空気に触れるくらいのことをすればいいのですが、それもしない。

 記憶の中に、3月の末頃、堅雪を渡った遊んだ子供時代、また堅雪をわ渡って職場まで近道した思い出が残っている。曙とか暁ではないけれど、朝のあの感覚は懐かしい。現役を退いて以来、朝早く家を出る必要も無いし、おまけに住宅地の真ん中の自宅にいては、春の趣と縁遠くなってしまっている。

 こんなことを書きながら、歳を思わずにいられない。歳相応の生き様だと言えばそれまでだけど、もう少し活力のある生活、自然の中に入って楽しむ・・・車ばかり乗らないで、歩いてみるとか・・・出来ないのでしょうね。
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挨拶・・・何でこんなに下手なのだろう!!!

2007-04-09 16:06:51 | 身辺雑記

それを言うと不思議がられるのだけれど、ほんの一寸の挨拶が駄目なのです。

 昨日も情けない思いをしました。岩見沢神社の奉賛吟詠講30周年記念大会に招かれて出席したのは良かったのですが、懇親会で挨拶を兼ねて乾杯の音頭をとっていただきたいと頼まれて、断りきれず引き受けました。

 何とかやりましたが、どうも自分で納得の出来ない、そして言葉もすらすらと出ない情け無いものに成りました。

 決まり文句があってそれだけはいつでもきちんと言えるようになれば、自信がつくのかもしれない。来賓としての挨拶の定形句、乾杯の時の定形、そんなパタンを一寸整理しておくだけで全然違うのでしょうが、今までやったことがなく、そのつど頭が真っ白になり、しどろもどろの挨拶をしている。国語の先生が、何なのといわれるような始末。

 まだ人前でしゃべる機会は出てくるのでしょう。今更とも思うけれど、もう少し突然のときでも、当為即妙にやってのける様に成りたいものだ。

 要は大胆になることかもしれない。長々しゃべっていいといえば、しゃべれるのだけれど、短く要領よくというのが駄目なのです。本当どうしてなのだろう、必ず後で悔やむような話ばかり。情けない・・・。もつと大胆に、どっしり構えて挨拶のできる人にならなくちゃ・・・。
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時の流れ・・・・

2007-04-07 22:24:13 | 随想

 先日、私の学んだ小学校の閉校式に行ってきた。このことは、少々ブログにも書いたのですが、子供の頃を思いやりながら感じていることを書いてみます。

 あの上川の東雲で過ごしたのは15年ほどなのに、私の人生はそこにあるみたいに長く感じられる。一日一日、少しも空白の無いような、人生がそこにはあったように思う。何年先なんてまったく考えなかった、無限の人生が広がっているように思っていたのかもしれない。当時、60歳とかといえば、たいへんな老人で、そうした老人を見ながらも、自分もそのようになるのだなんて思いもしなかつた。

 目の前に広がることの総てが新しく、自分をかり立てていた。考えてみると毎日成長を続け、次々に新しいものに触れ、しかもそれらを受け入れていた。それが出来たのが若さだったのでしょう。多くのことを学び受け入れていたから、時間が必要だったし、長い間という思いが残るのかもしれません。

 老年期に入って、時の経つのが早いと感じるのは、逆に学ぶべきことが少なくなったからでないでしょうか。また、新しいものを受け入れる人間としての収納力も狭くなり、内実として、スリムな、時の流れに対する抵抗力の無いものへと変わったからではないでしょうか。

 忘れることは、全く変な捕らえ方をしてみれば、器の収容力がなくなっているということで、いわば、人間という器が、器としての機能を失いかけている、喪失というときつすぎるけれど、スリムになって、いわば軽々と時を過ごしているから時間が早いということになるのではないでしょうか。

 子供のときに、はるか遠く、そんな自分が来ることを思ってもいなかった自分になっている。子供のときは無限だった時間が、今は後何年と先を読むことすら出来る。古来稀といわれた歳はとっくに過ぎて、現在の平均寿命に到ったことを改めて感謝しなければならない。少ない人生を長くするのは、忘れることに逆らいながら、新しいことにどんどん挑戦するしかない、今の時間が重たく感じられる生き方をしよう・・・。

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