瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

宗教集団を判断する目安    

2006年02月08日 | 読書日誌
◆『存在することのシンプルな感覚』より

「その(宗教)集団は、この教えの自由で合理的な探究を許すだろうか。それとも自分たちの原則を批判的に分析することすら阻止しようとするだろうか。自分たちの方法や教えをほかの道と比較し、評価することに積極的だろうか。それらが(その宗教集団が本物であるか否かを判定する)目安である。」224(『スピリチュアル・チョイス』)

宗教集団や指導者、あるいはその取り巻きグループを判断するとき、私自身、上のウィルバーの目安とほとんど同様の目安をもっている。グルといわれるような人物を判断するとき、上のような意味での批判的な探究を許されないなら、即座に私はその人物の元を去るだろう。

私自身にとって自分が歩む道をほかの道と比較し、評価することはぜひとも必要なことなのである。盲信や独断・偏見は自分が歩む道とは反するのである。私がもっとも苦手なのは、自分自身が信じる教義や立場を絶対視して、それを人に押し付けようとする態度である。教義や信念やドグマ以前に事実と体験がある。事実や体験に対してつねに開らかれていたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする