自転車が故障したため、ここ10日間ほど駅から職場の間を歩いている。往復40分くらいか。その間サティを心がけている。思考が入ってくることはしばしばあるが、だいたい思考している自分に気づく。思考に巻き込まれていかず、気づくこと。それが大事なのだと思う。
昨日書いたように一方に心に突き刺さる棘のような苦痛がある。しかし他方には「充実」がある。与えられた日々の課題を結果に左右されず淡々とおこなっていくという態度からくる「充実」といえるかもしれない。
時間の中で、さらに多くを、今日よりもさらによい明日を、求めつつ生きていく意識構造そのものが問題なのだろう。そうやって求め続けても、結局最後には自我の死が待っている。時間の中で求めるものはすべて消え去っていく。未来に向かって「もっと多くを」と求め続けることを止めて、今なすべき行為に一瞬一瞬満ち足りていくところに静かな喜びがある。
昨日書いたように一方に心に突き刺さる棘のような苦痛がある。しかし他方には「充実」がある。与えられた日々の課題を結果に左右されず淡々とおこなっていくという態度からくる「充実」といえるかもしれない。
時間の中で、さらに多くを、今日よりもさらによい明日を、求めつつ生きていく意識構造そのものが問題なのだろう。そうやって求め続けても、結局最後には自我の死が待っている。時間の中で求めるものはすべて消え去っていく。未来に向かって「もっと多くを」と求め続けることを止めて、今なすべき行為に一瞬一瞬満ち足りていくところに静かな喜びがある。