瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

跳躍

2006年02月17日 | 読書日誌
◆『存在することのシンプルな感覚』より

「それ(スピリット)は始めがあって終わりのある時間の流れのなかには入らない。それはすべての時間を支え、すべての場所を支えるものであり、どのような部分性もなく、歴史を押したり、引っぱったりするものではない。‥‥

それはわたしたちを常に前へと引っ張るが、それ自身は常に退く。そのために常に全体性と部分性を同時に与えるのである。この瞬間における全体性は、次の瞬間における全体性の部分である。世界は常に、いかなる瞬間においても、完全であると同時に不完全である。こうして世界決して充足することのない充足を運命づけられている。‥‥

しかし個人の発達で、一定の段階に達した時点では、「無形」のものへの急激な跳躍がいつでも起こりうる。発達が高次に達するにつれて、跳躍はよりたやすく、起こりやすいものとなる。しかし「無形」のものそれ自体は跳躍の結果でもなければ、それによって現れるものでもない。」136(『進化の構造』より)

ここに、個人の発達(成長)と、そこから「無形」のものへの跳躍が語られている。「無形」のものは、時空を超え、それを支えるがゆえに、時間の中のいかなる努力の結果として獲得されるものではない。にもかかわらず発達によって、跳躍は起こりやすいものとなる。

心理的成長と悟り、瞑想と悟りとの関係を語りうるとすれば、ウィルバーが語るようなものになるのだろうか。もしかしたら、ウィルバー自身の中にも考え方の変化があったのかもしれないが。
コメント
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