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-和辻哲郎「アメリカの国民性」(三)-(GHQ焚書図書開封第176回)

2022-07-19 04:45:23 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第176回

-和辻哲郎「アメリカの国民性」(三)-

このフランクリンの態度は、土人殺戮に於けるホッブス的原理の活用と同一の事態を示している。アングロ・サクソンは土人に所有権の概念なく、従って土地譲渡の契約が彼らに無意義であることを十分承知していたのである。しかも彼らはこの契約を結び、そうして契約違反を待って殺戮を行なった。この手続きが彼らには必要なのである。この種の心情はフランクリンにも根強く存している。

 彼は17,8才のころ菜食主義を実行したことがあるが、魚のフライを揚げる匂いをかいでしばしば煩悶した。そこで、鱈の胃袋から小さい魚の出てきたことを思い出し、魚同士が食い合っているのなら、自分が魚を食って悪いわけはないという理屈をつけ、腹一杯鱈を食った。『理性ある動物たることはまことに好都合なものである』したいと思うことはどんなことにでも理由を見出し或いは作ることが出来る』-この心情は彼の政治家としての成功をも助けている。戦争絶対反対のクェーカー教徒が、火薬費の支出に反対してその代わりに『パン、粉、小麦、または他の穀類』の費用を可決したとき、知事は平気で火薬を買い、其の儘ですんだ。このやり方に興味を覚えたフランクリンは、大砲を買う金を要求するときにfire engine(消防ポンプ)買い入れ費を要求すればよいと云った。大砲はfire engine(火器)に違いないからクェーカー教徒も反対し得ないというのである。その後土人との戦争で司令官に任命された時、彼は隊付の牧師が祈祷や説教に兵士等の出ないことをこぼした。その兵士等がラム酒の支給の際には必ず出席しているのを知っているこの司令官は、牧師に忠告した。『祈祷のあとで酒を分けることにしては如何です。』この妙案で兵士等は皆祈祷に出席するようになった。フランクリンはそれに付け加えて云う、『軍律による処罰よりも、かかる方法がよい。』11:30

 我々はここに原理によって行動するというアングロ・サクソンの態度の真相を見出し得ると思う。アメリカの独立宣言はアメリカの国家の原理を表現したものとであるが、その独立宣言もまた右の視点からのみ十分に理解せられるであろう。

 宣言は、『すべての人は平等に作られている』 (All men created equal)という有名な句をもって始まる。そうしてこの句は地球上のあらゆる人に平等の権利を認めるかの如き印象を与えている。ベルグソンの如き哲学者すら、この句をそういう風に解釈する。彼によれば西洋の古代でも、また東洋に於いても、おのが民族以外の人を差別扱いにした。然るに基督教の四海同胞主義は初めて人権の平等と人格の神聖さを確立した。そうしてそれを十分に実現したのがアメリカのピュリタンの人権宣言である、と。然るにアメリカのピュリタンは前述のごとくアメリカの土人に所を得しめようとは決してしなかったのである。またまた彼らと共に人権の平等を宣言した南部諸州のアングロ・サクソンは、アフリカから攻略してきた多数のニグロ奴隷の上に立っていたのである。のみならずその後のアメリカの国是は、東洋の諸民族を差別扱いすることを特徴としている。即ち前述の如き意味の人権の平等をアメリカ人は豪も認めてはいないのである。実際またこの独立宣言は、

 本国のアングロ・サクソン人に対して植民地のアングロ・サクソン人が一切の特権を拒否し権利の平等を主張したに過ぎなかった。

 『あらゆる人』と云われているのは、アングロ・サクソン民族内部のあらゆる人に過ぎなかった。しかもそれを前述の如き意味に解せられ得るような言葉で以って表現していたのである。従って彼らは人権の平等をふり廻しながら平然として土人を殺戮し、依然としてニグロ奴隷を鞭打ち得たのである。23:00

がアメリカ人と雖もこの矛盾に気づかぬ筈はない。そこに都合の弁護として伝えているのがホッブスの人権平等説である。この説もまた『あらゆる人は平等につくられている』という句を以って始まり、そうしてその『あらゆる』は地球上のあらゆる人を意味することが出来る。しかしこの人権の平等は戦争状態と同義であって、平等の慈悲を意味するのではない。この立場に立てば、自然法に基づき正義の名に於いて土人の殺戮、奴隷の使用をなし得るのである。そのための手段は「契約」であり、またそれに基く『法律』であった。

ベルナール・ファィは法律に対する嗜好をアメリカ人の重要な特性の一つに数えている。が同時にその法律が、父祖伝来の行為の規範なのではなく、厳しい自然との闘争の中から新しく作り出されたもの、従って個人の自由な活動を出来るだけ阻害しないものであることをも指摘している。各人の物質的生活の便宜のために法律が作られるという考えがここでは実現されたのである。が我々が特に指摘したいのは国内法の特質よりもむしろ他の民族に対する契約や法律の使い方である。ラム酒の効力を用いて土人と契約を結んだあの態度は、この後のアメリカの外交政策に一貫して現れて云ってよいであろう。39:26

 我々は90年前にペリーが江戸を大砲で威嚇しつつ和親条約の締結を迫ったことを忘れてはならぬ。もしそれを拒めば、平和の提議に応ぜざるものとして、手段

を問わざる攻撃を受けたであろう。大砲に抵抗するだけの国防を有せなかった当時の日本は、人々の憤激にも拘わらず、和議の提議に応ぜざるを得なかった。もしその後攘夷を実行したならば、契約を守らないという不正の立場に追い込まれる筈であった。この手口は更にワシントン条約に於いて繰り返されている。当時の名目は世界の平和のための軍備縮小である。即ち依然として平和の提議である。

しかし、実質は日本の軍備を戦い得ざる程度に制限することであった。しかも、それは米英の重工業の力の威圧の下に提議された。もし日本が拒めば、平和の提議に応ぜざるものとして、米英の軍備拡張を正当化することになる。当時の日本は重工業の力がなお不十分であったためか、或いは政治家の短見の故か、この仮面をつけた挑戦に応じ得なかった。この弱味につけ込んで更に支那問題に関する条約を押しつけられた。欧州大戦争日本が支那と結んだ条約は、武力の威嚇の下に強制されたという理由で無効とされた。アメリカが日本と結んだ最初の条約は大砲の威嚇の下に強制されたものであるが、それは知らぬ顔で通している。

とにかく平和の名の下に不利な条約を押しつけ有利な条約を抹殺したのである。そこでアメリカは、満州事変以後の日本を契約違犯で責め立てた。正義の名によって日本を閉めつけ、日本をして自存自衛のために立たざるを得ざらしめた。この平和や正義の名目のホッブス的な性格を理解していないと。彼らの宣伝に引っかかる恐れがある。欧州大戦争以来、日本ではこの点に少なからぬ油断があったと思う。

参考文献:「日本の臣道 アメリカの国民性」和辻哲郎、「天皇と原爆」西尾幹二

2018/10/24 18:00に公開



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