GHQ焚書図書開封 第80回
-支那政治の裏を描く本当の歴史- -
「民族戦」長野朗著に書かれた支那の戦争(北方軍閥VS南方軍閥)風景はまるで笑い話のようだ。また、領土観についても、外国に占領されている土地は一時他人に貸しているように思っている。いずれ、綺麗にしてもらって返してもらえばいいといった感じだ。
西洋人に蔑視されていた支那人。西洋人には敵意をもっていなかったが(白人崇拝)、西洋人と同じように偉ぶっていた日本人には憎しみをもっていた支那人。
日英独伊露の治安の良い租界に住みたがる支那人。
租界に逃れた支那人で家のないものが10万人。立派な道路ができると寝床代わりに利用するし、マラリアの免疫力をもっているので蚊に食われても平気でいられる。
1911年辛亥革命で中華民国ができると、孫文がアメリカにいる間に袁世凱が溥儀を退位させ、皇帝になるべく総統に就任したが、1916年死亡。
そのあと軍閥が割拠し、中央(北京)政府の黎元洪(大総統)、段棋瑞(国務総理)、馮国省璋(副総統)、張作霖らと、反北京政府の蒋介石、孫文との戦い(北伐)。
中央政府のやり口が気に入らない時に開かれる督軍会議は賭博開帳。張作霖は賭博も強かったとのことだ。
張作霖は、関東軍とソ連及び国民党並びに張作霖の部下にも命を狙われていた。
支那人同士の戦いは商売のようなもので、犬も食わぬ夫婦喧嘩に似ている。従って、関わりをもつと碌なことはない。
支那のことを深く研究している人のことを聞かない日本政界、財界、学界が支那に対する政治的判断を誤らせている。
この本の著者は、段棋瑞や張作霖にも会っておりその人柄までも把握していた。張作霖の爆殺についても、東京裁判史観により河本大作によるものとする説で固定化してしまっているが、真相は謎である(謎解き「張作霖爆殺事件」加藤康男)。
参考文献:「支那三十年」長野朗 謎解き「張作霖爆殺事件」加藤康男
2015/02/11 18:00に公開
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