GHQ焚書図書開封 第58回
-戦争という運命を引き受けた知識人の悲劇②仲小路彰の歴史的洞察-
戦争は望んでいなくても、戦争に襲われることを避けられないことがある。その時、避けられない運命とどう戦うか、予め国防をどうするかを考えておくことが哲学者の責務と考えていた仲小路彰。
日独伊三国同盟を巡って、海軍、外務省はソ連のみを仮想敵国に限定、陸軍はイギリス、フランスを含むとして対立。ドイツ提案受け入れの決断ができず、ぐずぐずしていた内に、ヨーロッパ戦線が拡大し、独ソ不可侵条約締結(日本はドイツと組んでのソ連封じ込めが不可能となった)。
情勢は一変し、平沼騏一郎首相は、「国際情勢は複雑怪奇」と言って政権を投げ出す始末。
日清、日露戦争の結果が、良くも、悪くも世界情勢(ロシア革命、第一次世界大戦、アメリカの対日政策の急変)に影響を及ぼしていることを自覚していなかった日本政府及び日本国民。
戦争の目的は、植民地民族の解放にあった。そのために、三国同盟を速やかに結び、コミンテルンと対決するとともに、アジアにおける西洋列強の侵略と干渉を排除する。とりわけ、その元凶ともいえるイギリスのアジアにおける勢力を排除する。であったはずだった。
仲小路彰は、雑誌「戦争文化」が発禁処分を受けた後、今度は「すめら学塾」を立ち上げ行動を開始した。これには、高嶋辰彦、末次信正、富岡定俊が参画した。
山本五十六の真珠湾攻撃、西太平洋への戦域拡大に批判的だったスメラ塾長末次信正海軍大将、富岡定俊海軍大佐は日本周辺と南太平洋に軍を集中させ、潜水艦で守る漸減邀撃作戦(ザンゲンヨウゲキサクセン)を主張した。海軍内部は対米戦略などを巡って分裂状態になっていたのである。
しかし、末次信正海軍大将は予備役兵となり二度と漸減邀撃作戦は実行されることはなかった。この背景には、米内光正との不仲があったとされている。
仲小路彰の戦争中盤以降の指導内容は、連合艦隊は、西へ進んで南アジア諸国とインド、中東のイスラム諸国の解放にむかうべきである。戦争目的は植民地解放だが、戦術的には石油戦争。中東の石油を抑えれば、アメリカは手出しできないというものであった。愛知教育大学の北村良和氏によると、現在の日本は、ローマにやられたカルタゴの運命と酷似しているとのこと。2回目のポエミ戦争で領土と軍備を奪われ、押し付けられた憲法を忠実に守り、無理難題に耐え、最後に、耐えきれなくなって立ち上がったときには、戦う力も既に尽きており滅亡するしかなかった。
参考文献:「戦争文化」戦争文化研究所
■「我かく信ず」(昭和20年8月18日)
大東亜戦争はいかにしても回避できぬ歴史の必然であり、諸民族の背後にあって相互を戦わせるなんらかの計画があったこと、そしてそれはアメリカを中心とする金融と軍需産業のメカニズムで、日本はその世界戦略に対するアジアの防衛と、自存自衛のためにやむなく干戈をまじえたまでで、我が国に戦争責任もなければ侵略の意図もなかった。ついで、大東亜戦争の第一次目的、大東亜宣言で述べられた目的は戦局とは関わりなくすでに達成され、日本の成功はいかにしても否定しがたい、なぜなら真の勝敗は武力戦の範囲を超えていて、今次戦争の目的は大東亜の復興、防衛、世界の植民地の解放にあった以上、これはすでに達成され、しかも敵方の大西洋憲章からポツダム会議に至る目的にも、つまるところ大東亜宣言の理念に帰するのであるから、勝敗とは関係なく、日本の創造的行動は成功したと言っていい。ヨーロッパ戦線も悲惨な運命を経過し、我国は原子爆弾が投下され全地球は地獄さながらの修羅場と化した。人類と国家をこれ以上衰亡させるのはそもそも大東亜戦争の目的にそわない。なんとしても本土戦場化は回避しなければならない。さもなければ、敵の悪魔的方法で、大和民族の純粋性は壊滅させられる。国体を護持し、皇室に類を及ぼすことは絶対避けなければならない。
そこで、いまや和平工作が必要となるが、利得や対面にとらわれず思い切って不利な条件をも甘受すべきである。日本軍の満州を含む大陸からの全面撤兵、太平洋諸島の領土放棄、兵力の常駐はこれからの世界ではもはや有利のならない。今日の産業は有力なる武器を生み出せないので、むしろ全面的改廃を進めるべきで、大艦隊や歩兵主力の陸海軍はすでに旧弊で、次の対戦には不適切であり、むしろ不利である。大軍縮はおろか軍備撤廃まで恐るにおよばない。ここからかえって新しい創造が生まれる。そもそも今回の戦争では作戦の指導者に欠陥があった。一見不利な和平条件を突きつけられても、現在の日本の誤れる旧秩序、誤れる旧組織を全面交代させるのに役立つならこれは最良の道として選ぶべきである。
大東亜戦争の終結は世界史的に見る場合、絶対に敗戦にあらざることを徹底化し、むしろ真に勝敗は今後国民の積極的建設の有無によって決せられる。。
■【帝國政府聲明】原文
昭和16年12月8日午後0時20分
大日本帝国政府発表
恭しく宣戦の大勅を奉載し、茲に中外に宣明す。
抑々東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するは、帝国不動の国是にして、列国との友誼を敦くし此の国是の完遂を図るは、帝国が以て国交の要義と為す所なり。
然るに殊に中華民国は、我が真意を解せず、徒に外力を恃んで、帝国に挑戦し来たり、支那事変の発生をみるに至りたるが、御稜威(みいつ)の下、皇軍の向ふ所敵なく、既に支那は、重要地点悉く我が手に帰し、同憂具眼の十国民政府を更新して帝国はこれと善隣の諠を結び、友好列国の国民政府を承認するもの已に十一カ国の多きに及び、今や重慶政権は、奥地に残存して無益の交戦を続くるにすぎず。
然れども米英両国は東亜を永久に隷属的地位に置かんとする頑迷なる態度を改むるを欲せず、百方支那事変の終結を妨害し、更に蘭印を使嗾(しそう)し、佛印を脅威し、帝国と泰国との親交を裂かむがため、策動いたらざるなし。乃ち帝国と之等南方諸邦との間に共栄の関係を増進せむとする自然的要求を阻害するに寧日(ねいじつ)なし。その状恰も帝国を敵視し帝国に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり。
凡そ交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為にして、それ自体黙過し得ざる所とす。然も両国は更に余国誘因して帝国の四辺に武力を増強し、帝国の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり。
帝国政府は、太平洋の平和を維持し、以て全人類に戦禍の波及するを防止せんことを顧念し、叙上の如く帝国の存立と東亜の安定とに対する脅威の激甚なるものあるに拘らず、堪忍自重八ヶ月の久しきに亘り、米国との間に外交交渉を重ね、米国とその背後に在る英国並びに此等両国に附和する諸邦の反省を求め、帝国の生存と権威の許す限り、互譲の精神を以て事態の平和的解決に努め、盡(つく)す可きを盡し、為す可きを為したり。然るに米国は、徒に架空の原則を弄して東亜の明々白々たる現実を認めず、その物的勢力を恃みて帝国の真の国力を悟らず、余国とともに露はに武力の脅威を増大し、もって帝国を屈従し得べしとなす。
かくて平和的手段により、米国ならびにその余国に対する関係を調整し、相携へて太平洋の平和を維持せむとする希望と方途とは全く失はれ、東亜の安定と帝国の存立とは、方に危殆に瀕せり、事茲に至る、遂に米国及び英国に対し宣戦の大詔は渙発せられたり。聖旨を奉体して洵(まこと)に恐懼感激に堪へず、我等臣民一億鉄石の団結を以て蹶起勇躍し、国家の総力を挙げて征戦の事に従ひ、以て東亜の禍根を永久に排除し、聖旨に応へ奉るべきの秋なり。
惟ふに世界万邦をして各々その處を得しむるの大詔は、炳(へい)として日星の如し。帝国が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亜興隆の基礎を築かむとするの方針は、固より渝(かわ)る所なく、又帝国と志向を同じうする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を糾し、新秩序の建設に邁進するの決意は、愈々牢固たるものあり。
而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。
今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり。全国民は今次征戦の淵源と使命とに深く思を致し、苟(かりそめに)も驕ることなく、又怠る事なく、克く竭(つく)し、克く耐へ、以て我等祖先の遺風を顕彰し、難儀に逢ふや必ず国家興隆の基を啓きし我等祖先の赫々たる史積を仰ぎ、雄渾深遠なる皇謨(こうぼ)の翼賛に萬遺憾なきを誓ひ、進んで征戦の目的を完遂し、以て聖慮を永遠に安んじ奉らむことを期せざるべからず。
参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード:C12120377700
件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700
引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、Karion168のブログ(Karionのつぶやき)
■【終戦の詔書】現代語訳
朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非情の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝(なんじ)ら帝国国民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。
そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。
先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。
しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。
こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。
朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。
帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(ごだい)(玉音は「ごない」。五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてならない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。
しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。
朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。
よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。
御署名(裕仁) 御印(天皇御璽)
参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード : A04017702300
件 名 : 御署名原本・昭和二十年・詔書八月十四日・大東亜戦争終結ニ関スル詔書 (終戦の詔書)
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000042961
-戦争という運命を引き受けた知識人の悲劇②仲小路彰の歴史的洞察-
戦争は望んでいなくても、戦争に襲われることを避けられないことがある。その時、避けられない運命とどう戦うか、予め国防をどうするかを考えておくことが哲学者の責務と考えていた仲小路彰。
日独伊三国同盟を巡って、海軍、外務省はソ連のみを仮想敵国に限定、陸軍はイギリス、フランスを含むとして対立。ドイツ提案受け入れの決断ができず、ぐずぐずしていた内に、ヨーロッパ戦線が拡大し、独ソ不可侵条約締結(日本はドイツと組んでのソ連封じ込めが不可能となった)。
情勢は一変し、平沼騏一郎首相は、「国際情勢は複雑怪奇」と言って政権を投げ出す始末。
日清、日露戦争の結果が、良くも、悪くも世界情勢(ロシア革命、第一次世界大戦、アメリカの対日政策の急変)に影響を及ぼしていることを自覚していなかった日本政府及び日本国民。
戦争の目的は、植民地民族の解放にあった。そのために、三国同盟を速やかに結び、コミンテルンと対決するとともに、アジアにおける西洋列強の侵略と干渉を排除する。とりわけ、その元凶ともいえるイギリスのアジアにおける勢力を排除する。であったはずだった。
仲小路彰は、雑誌「戦争文化」が発禁処分を受けた後、今度は「すめら学塾」を立ち上げ行動を開始した。これには、高嶋辰彦、末次信正、富岡定俊が参画した。
山本五十六の真珠湾攻撃、西太平洋への戦域拡大に批判的だったスメラ塾長末次信正海軍大将、富岡定俊海軍大佐は日本周辺と南太平洋に軍を集中させ、潜水艦で守る漸減邀撃作戦(ザンゲンヨウゲキサクセン)を主張した。海軍内部は対米戦略などを巡って分裂状態になっていたのである。
しかし、末次信正海軍大将は予備役兵となり二度と漸減邀撃作戦は実行されることはなかった。この背景には、米内光正との不仲があったとされている。
仲小路彰の戦争中盤以降の指導内容は、連合艦隊は、西へ進んで南アジア諸国とインド、中東のイスラム諸国の解放にむかうべきである。戦争目的は植民地解放だが、戦術的には石油戦争。中東の石油を抑えれば、アメリカは手出しできないというものであった。愛知教育大学の北村良和氏によると、現在の日本は、ローマにやられたカルタゴの運命と酷似しているとのこと。2回目のポエミ戦争で領土と軍備を奪われ、押し付けられた憲法を忠実に守り、無理難題に耐え、最後に、耐えきれなくなって立ち上がったときには、戦う力も既に尽きており滅亡するしかなかった。
参考文献:「戦争文化」戦争文化研究所
■「我かく信ず」(昭和20年8月18日)
大東亜戦争はいかにしても回避できぬ歴史の必然であり、諸民族の背後にあって相互を戦わせるなんらかの計画があったこと、そしてそれはアメリカを中心とする金融と軍需産業のメカニズムで、日本はその世界戦略に対するアジアの防衛と、自存自衛のためにやむなく干戈をまじえたまでで、我が国に戦争責任もなければ侵略の意図もなかった。ついで、大東亜戦争の第一次目的、大東亜宣言で述べられた目的は戦局とは関わりなくすでに達成され、日本の成功はいかにしても否定しがたい、なぜなら真の勝敗は武力戦の範囲を超えていて、今次戦争の目的は大東亜の復興、防衛、世界の植民地の解放にあった以上、これはすでに達成され、しかも敵方の大西洋憲章からポツダム会議に至る目的にも、つまるところ大東亜宣言の理念に帰するのであるから、勝敗とは関係なく、日本の創造的行動は成功したと言っていい。ヨーロッパ戦線も悲惨な運命を経過し、我国は原子爆弾が投下され全地球は地獄さながらの修羅場と化した。人類と国家をこれ以上衰亡させるのはそもそも大東亜戦争の目的にそわない。なんとしても本土戦場化は回避しなければならない。さもなければ、敵の悪魔的方法で、大和民族の純粋性は壊滅させられる。国体を護持し、皇室に類を及ぼすことは絶対避けなければならない。
そこで、いまや和平工作が必要となるが、利得や対面にとらわれず思い切って不利な条件をも甘受すべきである。日本軍の満州を含む大陸からの全面撤兵、太平洋諸島の領土放棄、兵力の常駐はこれからの世界ではもはや有利のならない。今日の産業は有力なる武器を生み出せないので、むしろ全面的改廃を進めるべきで、大艦隊や歩兵主力の陸海軍はすでに旧弊で、次の対戦には不適切であり、むしろ不利である。大軍縮はおろか軍備撤廃まで恐るにおよばない。ここからかえって新しい創造が生まれる。そもそも今回の戦争では作戦の指導者に欠陥があった。一見不利な和平条件を突きつけられても、現在の日本の誤れる旧秩序、誤れる旧組織を全面交代させるのに役立つならこれは最良の道として選ぶべきである。
大東亜戦争の終結は世界史的に見る場合、絶対に敗戦にあらざることを徹底化し、むしろ真に勝敗は今後国民の積極的建設の有無によって決せられる。。
■【帝國政府聲明】原文
昭和16年12月8日午後0時20分
大日本帝国政府発表
恭しく宣戦の大勅を奉載し、茲に中外に宣明す。
抑々東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するは、帝国不動の国是にして、列国との友誼を敦くし此の国是の完遂を図るは、帝国が以て国交の要義と為す所なり。
然るに殊に中華民国は、我が真意を解せず、徒に外力を恃んで、帝国に挑戦し来たり、支那事変の発生をみるに至りたるが、御稜威(みいつ)の下、皇軍の向ふ所敵なく、既に支那は、重要地点悉く我が手に帰し、同憂具眼の十国民政府を更新して帝国はこれと善隣の諠を結び、友好列国の国民政府を承認するもの已に十一カ国の多きに及び、今や重慶政権は、奥地に残存して無益の交戦を続くるにすぎず。
然れども米英両国は東亜を永久に隷属的地位に置かんとする頑迷なる態度を改むるを欲せず、百方支那事変の終結を妨害し、更に蘭印を使嗾(しそう)し、佛印を脅威し、帝国と泰国との親交を裂かむがため、策動いたらざるなし。乃ち帝国と之等南方諸邦との間に共栄の関係を増進せむとする自然的要求を阻害するに寧日(ねいじつ)なし。その状恰も帝国を敵視し帝国に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり。
凡そ交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為にして、それ自体黙過し得ざる所とす。然も両国は更に余国誘因して帝国の四辺に武力を増強し、帝国の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり。
帝国政府は、太平洋の平和を維持し、以て全人類に戦禍の波及するを防止せんことを顧念し、叙上の如く帝国の存立と東亜の安定とに対する脅威の激甚なるものあるに拘らず、堪忍自重八ヶ月の久しきに亘り、米国との間に外交交渉を重ね、米国とその背後に在る英国並びに此等両国に附和する諸邦の反省を求め、帝国の生存と権威の許す限り、互譲の精神を以て事態の平和的解決に努め、盡(つく)す可きを盡し、為す可きを為したり。然るに米国は、徒に架空の原則を弄して東亜の明々白々たる現実を認めず、その物的勢力を恃みて帝国の真の国力を悟らず、余国とともに露はに武力の脅威を増大し、もって帝国を屈従し得べしとなす。
かくて平和的手段により、米国ならびにその余国に対する関係を調整し、相携へて太平洋の平和を維持せむとする希望と方途とは全く失はれ、東亜の安定と帝国の存立とは、方に危殆に瀕せり、事茲に至る、遂に米国及び英国に対し宣戦の大詔は渙発せられたり。聖旨を奉体して洵(まこと)に恐懼感激に堪へず、我等臣民一億鉄石の団結を以て蹶起勇躍し、国家の総力を挙げて征戦の事に従ひ、以て東亜の禍根を永久に排除し、聖旨に応へ奉るべきの秋なり。
惟ふに世界万邦をして各々その處を得しむるの大詔は、炳(へい)として日星の如し。帝国が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亜興隆の基礎を築かむとするの方針は、固より渝(かわ)る所なく、又帝国と志向を同じうする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を糾し、新秩序の建設に邁進するの決意は、愈々牢固たるものあり。
而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。
今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり。全国民は今次征戦の淵源と使命とに深く思を致し、苟(かりそめに)も驕ることなく、又怠る事なく、克く竭(つく)し、克く耐へ、以て我等祖先の遺風を顕彰し、難儀に逢ふや必ず国家興隆の基を啓きし我等祖先の赫々たる史積を仰ぎ、雄渾深遠なる皇謨(こうぼ)の翼賛に萬遺憾なきを誓ひ、進んで征戦の目的を完遂し、以て聖慮を永遠に安んじ奉らむことを期せざるべからず。
参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード:C12120377700
件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700
引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、Karion168のブログ(Karionのつぶやき)
■【終戦の詔書】現代語訳
朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非情の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝(なんじ)ら帝国国民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。
そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。
先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。
しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。
こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。
朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。
帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(ごだい)(玉音は「ごない」。五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてならない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。
しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。
朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。
よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。
御署名(裕仁) 御印(天皇御璽)
参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード : A04017702300
件 名 : 御署名原本・昭和二十年・詔書八月十四日・大東亜戦争終結ニ関スル詔書 (終戦の詔書)
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000042961
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