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-「米本土空襲」という本-(GHQ焚書図書開封 第16回)

2017-02-19 15:22:40 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第16回
 「米本土空襲」は。ニューギニアのブナ守備隊玉砕、南洋ガタルカナル撤退、アリューシャン列島アッツ島玉砕があった昭和18年に、長距離爆撃機による米国本土空襲を提言していた本である。また、同年には、英米仏の植民地ビルマ、フィリッピン、カンボジアを日本が独立させた年でもあった。終戦後、連合国によってアジア各国は独立したというのはうそである。終戦までに、植民地はことごとく解放され、シンガポール、ボルネオを除いて90%は日本軍によって独立していたのである。終戦と同時に欧米が再植民地化したが、独立機運は高まる一方で、戦後ほどなくして再度独立を認めたのである。
 昭和18年当時の飛行機製造技術では日本から米国本土攻撃をして戻ってくることのできる航続距離(2万キロ以上)を持つ飛行機の製造は不可能であった。しかし、昭和18年11月の「大東亜会議」の報復として長距離爆撃機B29(航続距離6,600キロ)が製造されたことから、その後の航空機決戦の行く末を予言していた提言ともいえる。高射砲(射程6,000メータ)の弾の届かない高度1万メートルを飛ぶB29は、青空をゆっくりと泳ぐ白魚のように見えたと言われている。
 ドイツに対してはナチスの蛮行に対する戦争目的があったが、日本に対しては戦争目的もなく、大義名分もなかった英米。あえて言えば、日本のアジアの植民地解放に対する、英米の反アジア植民地解放しかなかった。
南京陥落後、大宅壮一、木村毅、杉山平助、西条八十、草野心平、林芙美子、石川達三ら120人のジャーナリストが現地に出かけているが、誰一人として南京虐殺を目撃した人はいなかった。
 アングロ・サクソン民族のもつ優越感と自己民族以外を人間と思わない絶滅作戦の残虐性の一端は、その後イラク戦争にも引き継がれた。
参考文献:「米本土空襲」野依秀市 『GHQ焚書図書開封2 第十二章 677/790~741』




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