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-匪賊になって生き延びた中国逃亡兵-(GHQ焚書図書開封第30回)

2017-03-08 13:53:45 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第30回
-匪賊になって生き延びた中国逃亡兵-
 支那は、清朝以前から、疫病発生、イナゴ害、水害、旱魃、餓死、森林がなくなるなど、荒れ放題で、法の支配なく、匪賊(盗賊団)が跋扈し、内乱を絶え間なく繰り返してきた。
清朝時代は、太平天国の乱(1851年)で人口4億の内1/5が死亡、回乱では10%の4000万人が死亡している。文化大革命までに150件以上の動乱があり、現在でも、年間10~20万件の暴動が発生している。
日本は、人道的、道義的介入をした結果、愚かにも裏切られ、支那の内乱に引き込まれたのである。一方、欧米は、利口にもそこから逃げ出した。
督戦隊が逃亡する味方の兵を銃殺。死体の山の奥へと逃げ込む兵。人間の肉を食べた野犬を食べる餓狼の兵士。
軍服の下に平服を着て常に逃亡の用意をしていた支那兵。日本軍は連戦連勝(日本兵:支那拉兵=1:10)
支那は多政府(汪兆銘:日本、蒋介石:米英、毛沢東:ソ連)で国家の体をなしてなかった。
支那人にとって「租界」だけが安全地帯であった。
食物を求めて赤十字の旗の立っているテントを襲い略奪を繰り返す敗残兵。彼らは、傷病兵収容所専門の匪賊と化した。
参考文献:「アサヒグラフ(敗走万里)」支那事変1周年記念特別増大号、「敗走千里」陳登元


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