seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

中流危機

2022-09-22 | 雑感
9月18日に放映されたNHKスペシャル「“中流危機”を越えて『第1回 企業依存を抜け出せるか』」を見た。

まず、いわゆる中流層の平均賃金がいかに低下したかという数値に驚かされる。世帯所得の中央値は、この25年で約130万円減少したというのだ。

この番組は、技術革新が進む世界の潮流に遅れ、稼げない企業・下がる所得・消費の減少、という悪循環から脱却できずにいるこの国の現状を踏まえ、厳しさを増す中流の実態に迫り、解決策を模索する……というのが主眼であるらしいのだが、その大きな要因が“企業依存システム”、社員の生涯を企業が丸抱えする雇用慣行の限界だった、としていることにまず大きな違和感を抱いてしまった。

そもそも番組タイトルの「企業依存」という言葉自体に少なからぬ抵抗を感じてしまうのだが、誰もが企業を離れて転職を重ねながらキャリアアップできるわけではない。
私は雇用に対して古い意識と価値観を持ち、そこから脱却できないタイプの人間と言われても仕方ないのだが、企業にはやはり雇用主としての責任があるだろうと思ってしまう。
 
この番組は続く第2回目でも同じテーマを深掘りするようなので、この問題に対しどのような解決策を提示するのかまだ分からないのだが、1回目を見た限りでは、何を問題視し、焦点を当てようとしているのか、どうもピントがずれていると思わざるを得ないのだ。

従来の雇用慣行は本当に切り捨てるべきなのだろうか。企業依存は本当に悪いことなのだろうか。
内部人材の能力を育て引き出すのではなく、能力の高い人材を外部から登用することが本当に解決策になるのだろうか。
根本的問題は果たしてどこにあるのか。

社会全体が負のスパイラルに陥り、企業が人間を切り捨てる方向に向かわざるを得ないような体制になったのは、そうなるような政策を政府が取ったからなのだ。
その結果として現状があるのであれば、やはり政治の間違いと無策ぶりは告発しなければならないだろう。

人材育成はすべての基本である。人が育たなければイノベーションも起こらない。業績もあがらない。
企業にとって人材育成は最大のミッションであると言い切ってもよいのではないか。企業理念の根本に置くべきテーマであると私などは考えてしまうのだが、それはお花畑的発想だと断じられてしまうのだろうか。

企業が衰退し、人を育てる力も余裕もなくなってしまっているのなら、それを補完する機能を政府がしっかりと将来への投資として制度設計すべきなのだ。
働く人々へのセーフティネットの構築は急務であり、スキルアップのためのシステムづくりは喫緊の課題である。

そしてそれは今からでも決して遅くはないのだ。

「赤と黒」を読みながら考えたこと

2022-09-20 | 読書
スタンダールは小説のなかで政治を描くことについて、どのような考えを持っていたのだろうか。
「赤と黒」の第2巻22章のなかに次のような言葉が出てくる。

「……想像力の楽しみのただなかに政治をもちだすのはコンサートの最中にピストルを撃つようなもの」(野崎歓訳)

スタンダール自身は政治などとは無縁でいたいという考えを持っていたようで、上記の言葉も本心から出ているように感じるのだが、これに対し、想像上の対話における出版者は、この「赤と黒」の作者に向けて次のように言うのである。

「……だが、あなたの登場人物たちが政治の話をしないとすれば(略)それはもはや1830年のフランス人とはいえないし、あなたの本だって、もはやあなたが自負していらっしゃるような鏡ではなくなってしまう……」

スタンダールがわざわざこんな対話を作中に埋め込んでいるのは何故だろう?
もちろんこの小説中の作者が言うように、せっかくの面白い小説で読者を楽しませようとしているときに政治をもちだすのは、すべてを台無しにする暴挙だ、と言いたいわけではなく、一応そんな素振りを見せはしましたが、出版社がこんなことを言うものですからという免罪符を自らに与えつつ、読者に納得してもらうための詐術と考えるのが妥当だろう。

スタンダール自身の本心はともあれ、いまや政治の力学があらゆる人間を巻き込んでしまっている以上、人間と社会を映し出す「鏡」たる小説のなかで、そうした政治のありように光を当てないわけにはいかないということである。
そしてそれを描くことにスタンダールは極めてあざやかな力量を発揮したのだ。
政治的な力学や駆け引きが主人公の運命にただならぬ影響をもたらし、物語の光彩をより輝かせる。まさにそれが「赤と黒」や「パルムの僧院」が現在においても現代的な文学となり得ている所以と言えるのかも知れないのである。

以上はしかし、物語が、芸術が政治をあくまで材料として扱い得た時代の話である。
とりわけ顕著なのは20世紀に入ろうとする時代以降かと思うのだが、プロパガンダなるものがなりふり構わず政治が芸術を利用し始めたのだ。
そうしていつの間にか文化芸術そのものが政治のしもべとして利用される具材となり果ててしまっているのではないだろうか。このことに私たちはもっと敏感にならなければならないだろう。

これはどこの国を問わず言えることだろうが、国威発揚であったり、国の魅力を発信するという名目であったり、理由づけは様々だが、政治が文化芸術やスポーツを利用しつつある現状にはどうにも胡散臭いものを感じてしまう。
クールジャパンしかり、オリンピックしかり、それらは今や政治そのものと化してしまった感がある。

一方、その利用される側も、生き残りのために自ら身を捧げるようなしぐさをする場面のあることも事実である。
挙句の果てに、売れる芸術や稼げる文化が重要視される風潮が生まれてくる。

本当に大事なものは何か。自らに深く問いかける時である。

東北へのまなざし

2022-09-18 | アート
会期末が迫っているということで、東京ステーションギャラリーで開催中の「東北へのまなざし」展を見に行った。



昭和のはじめ、1930年代、40年代において、先端的な意識をもった人々が相次いで東北地方を訪れ、この地の建築や生活用品に注目した。
こうした東北に向けられた複層的な「眼」を通して、当時、後進的な周縁とみなされてきた東北地方が、じつは豊かな文化の揺籃であり、そこに生きる人々の営為が、現在と地続きであることを改めて検証するもの、と展覧会のチラシには書かれている。

ドイツの建築家ブルーノ・タウトや民藝運動を展開した柳宗悦、考現学の祖として知られる今和次郎や「青森県画譜」を描いた弟の今純三の仕事などが紹介されていて、それぞれに興味深いのだが、その中で、特に私の目当てだったのは東北生活美術研究会を主導した福島出身の画家吉井忠の仕事だった。

吉井忠ははじめ前衛的な作風をめざしたが、のちに「土民派」と称するように人々の生活にねざした姿を描くようになった。
1936年から37年にかけて渡欧、ピカソの「ゲルニカ」を日本人として最も早く見たとも言われている。帰国後、池袋西口一帯にあった長崎アトリエ村に居を構えた池袋モンパルナスを代表する画家の一人であり、戦後は西池袋の谷端川沿いにアトリエを構えた。

展覧会場の「吉井忠の山村報告記」と題されたコーナーでは、太平洋戦争のはじまった1941年から終戦の前年頃にかけて東北地方を訪れた記録やスケッチなどが数多く展示されている。
氏の画風や絵に向かう考え方の変化はこうした東北の人々の生活にじかに接する中でより確固としたものになっていったのだろうか。

氏は戦後1952年に設立された豊島区の美術家協会にも所属されていて、私事ながら私も仕事の関係で何度かご自宅に伺い、展覧会に出品する作品を預からせていただいたりしたことを懐かしく思い出す。
氏は1999年に91歳で亡くなったのだが、関連でいえば、2006年3月にその1回目が行われた街ぐるみの文化事業である「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」では、娘さんの吉井爽子氏と熊谷守一の二女・熊谷榧氏の展覧会が立教大学の太刀川記念館や構内を使って大々的に開催されたのだった。
それももう16年も昔のことになる。

吉井忠の書いた「東北記」など、東北に関する研究や記録は近年になってようやく全貌が明らかになりつつあるという。
まだまだ注目すべき美術家なのである。



おいしいごはん、って?

2022-09-17 | 読書
高瀬隼子氏の小説「おいしいごはんが食べられますように」(芥川賞受賞作)はかなり前に掲載された雑誌で読んだのだったけれど、感想を言葉に出来ないまま時間が経ってしまい、そのことが気になっていた。
とても面白く一気に読んだのだったが、そのまま消化してしまうことが出来ずに胃の中でもっとしっかり咀嚼せよと食べたものが主張している、そんな感じなのである。

人間は生まれてきた時から《死》が運命づけられているのと同様、《ごはん》を食べることからは誰も逃れられない。その意味で《死》と《ごはん》は同義なのかも知れない。このことは思いのほか深い哲学的テーマを内包した小説であることを示しているようにも感じるのだ。

本作は、食品や飲料のラベルパッケージの製作会社で全国に13の支店がある、その一つである小さな職場内の人間関係を描いている。
ところで、どんな《ごはん》をおいしいと感じるかは人それぞれであって、個々の価値観によって大きく異なるのだが、その《ごはん》というフィルターを通して職場の人間関係が立体的に描かれるのがこの小説なのである。秀逸な作品だ。

職場には実にさまざまな人がいて、ある時は反目したり、同情したり、同調したり、抑圧したり、悪口を言ったり言われたりと、その時々の反応が人間関係を綾なして職場を居心地良くしたり、居たたまれない環境を生んだりする。
もちろん、それはそこにいる人間個々の性格や生育過程で身にまとった生活習慣のようなものが、相手との関係で化学反応を起こすようなものかも知れないのだが、この小説では、登場人物一人ひとりの《ごはん》に対する感じ方の違いが、その人間をシンボリックに表現しているという点に私は面白さを感じたのだったが、これは的外れだろうか?

たとえば主要な登場人物の一人、「二谷」であるが、彼は「おれは、おいしいものを食べるために生活を選ぶのが嫌なだけだよ」と言い、おでんを食べたいと思っても、そのためにおでん屋まで行くのは、自分の時間や行動が食べ物に支配されている感じがして嫌と言い、コンビニがあるならそれで済ませたい、と考える人間だ。

私自身、若い頃はこの「二谷」と同様の考えだったこともあり、思わず頷いてしまったのだが、このほかにも、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの」と言った高貴な人のように、《ごはん》とケーキを同等以上のものと考えて、職場での評価を取り戻そうとばかりにお菓子作りにいそしむ人がいれば、それを嫌悪する人もいる。
人間関係の間には常に《ごはん》が介在し、それがシンボリックな役割を果たすのである。

さて、この小説では、登場人物が一人称、三人称と入れ替わりながら語られるのだが、それが奇妙なズレとなって客観と違和を読み手に同時に感じさせる。
二谷以外の人物がみな「○○さん」とさんづけで呼ばれるのも不要な親密感を拒絶する効果を生んでいるようだ。乾いたユーモアが人間関係の冷徹な腑分けを包んで絶妙である。

ところでこの「おいしいごはんが食べられますように」というのは、自分のためのおまじないのようなものだろうか。誰かが誰かのために発する祈りのようなものなのだろうか。
よくよく考えれば、不思議な言葉だなあと感じてしまう。

あるいはそれは、どこか高いところから、職場の人間関係に右往左往し、疲れてしまった人間たちに同情して《ごはん》の神様が投げかける呟きなのかも知れない。

思い出したくない夢の話

2022-08-18 | 日記
最近、眠りの浅い日が続いていて、そんな時に夢を見ることが多い。
つい先日は、過去の自分がしでかした、それこそ穴があったら入りたくなるようなある失敗を夢の中で繰り返した、というか、思い出してあたふたとしてしまった。
その日の午前中いっぱい、そのことを思い出しては自己嫌悪に陥っていたのだが、不思議なことに、夕方になってよくよく考えてみると、それが一体どんな出来事で具体的にどのような失敗だったのかをすっかり忘れているのである。

ああ、失敗した、困った、という確かな感触だけがあって、そのぬるっとしたイヤな手触りに追い立てられるような気がしていたのだが、それが実際にどんなことだったのかを完全に忘れてしまっているのである。

これをどう考えればよいのだろう。
人間は忘却する動物だということなのか。忘れるからこそ生きながらえるということがあるのかも知れない。あるいは、実際には何も起こらなかったし、そんな大それた失敗は何もしていないのに、どこかで見聞きした映画やドラマでの出来事を単に自分のこととして刷り込んでしまったことが夢枕にあらわれたということなのかも知れない。それだけのことなのだ。

家族にもそんな話をして、この悪い夢を他愛のない一夜の笑い話として処理しようとしたのだった。
ところが、である。こうしてここまで書いたところで突然思い出してしまったのである。

あの出来事は夢などではなかった。
それどころか、あれは心に深い傷を残すほどの完全な失敗としか言いようのないもので、その場で収拾がつかなくなり、追い詰められた私がどうやって収まりをつけたのか、今では思い出したくもない暗黒の記憶なのである。
どうやら自分のなかでは思い出に蓋をして決着をつけたつもりになっていたようなのだ。それが何かのきっかけで夢の形をとって顔を出したということなのか。
もちろん、それがどんな出来事だったのかをここで明かすわけにはいかない。それは私の名誉に関わることだからである。

……とまあ、こんなささやかな夢の話から始まるミステリードラマを構想することはできないだろうか。

誰にも言えないある秘密を抱えた主人公が、夢の中でその秘密に復讐される話である。
その秘密が何なのか、ドラマが終わるまで分からないままなのだが、疑心暗鬼に陥った主人公は、周りの誰もかれもがその秘密をタネに自分を亡き者にしようとしているという妄想に憑りつかれてしまい、最も親身になって心配してくれていた友人を衝動的に殺してしまう。
彼は刑務所の独房の中でようやく安息の時を取り戻すのだったが、今度はその友人の亡霊の影に脅かされることになる。彼はその影に向かって叫ぶのだ。自分の隠された秘密を。
……気がつくと、彼はとある病院のベッドの上にいて、自分が殺したはずの友人や医師の前で自分の犯した罪について告白をはじめる。その話を聞きながら、友人と医師はそっと目くばせするのだった。
それは友人と医師がたくらんだある犯行の現場を目撃した主人公が、そのことをすっかり忘れてしまっているばかりか、彼自身がその犯罪に手を染めたと思い込んでいることを確信した合図でもあった。
その友人たちにとって、主人公の彼はまだまだ利用する価値のある操り人形なのである。



こんな話は目新しくもないし驚きもないと思われる向きも多いことだろう。
しかし、昨今の要職にある人々の記憶喪失ぶりや、改ざん、捏造、はぐらかし、責任転嫁、フェイクの垂れ流しなどの体たらくを見るにつけ、このドラマが何らかの教訓にはならないものだろうかと思うのだけれど、どうだろう。
だって、本当のことを言わないままでいるって、とてもつらいことでしょう?

「千羽鶴」を読む

2022-08-14 | 読書
読書というものは不思議なもので、むかし途中で投げ出したまま、どうしても読めなかったものが、ちょっとしたタイミングで読み直したらとても面白かったという体験は誰もが思い当たることではないだろうか。
私にとって、川端康成の「千羽鶴」がまさしくそうで、それこそ大昔、中学を卒業して高校に入学する前という中途半端な精神状態の時に読み始めたのだが、ついに読み切れずそのままになってしまっていた。

もっともこの小説をその年齢で理解しろというのがそもそも無理なことだろう。今頃になって再会できたのはかえって良かったのかも知れないのだ。

登場人物は、三谷菊治という会社勤めをしているらしい20代半ばと覚しき青年を中心として、彼を取り巻くのが、かつて菊治の父の愛人だった茶の師匠栗本ちか子であり、ちか子が仲立ちする形で紹介され、のちに菊治の妻となる令嬢ゆき子、さらにはちか子の後に父の愛人となり、父の死後、ちか子が主宰する茶会での再会後、菊治と道ならぬ関係となる太田夫人とその娘文子である。
その彼らの織りなす愛憎劇を志野と織部の茶器が静かに見つめる、というのが大まかな構成である。

愛と欲、未練と諦念の入り組んだ人間関係のなかを行き来する茶器は、何百年もの間、数多の人の手に渡り、愛されながら、人々の運命をその冷たくもあり、なまめかしくもある肌理のうえに映し出し、見つめてきた。
その茶器をある種の狂言回しとして、菊治と彼を取り巻く女たちの運命が描かれる……。

茶器は茶器そのものとして、ただそこに在ることで、それを所有し、触れる人間の懊悩や欲望をしずかに映し出す。その冷然とした光にあぶり出された自身の宿命に抗いきれない人間たち。
ある者は自ら命を絶ち、ある者は姿を消そうとし、ある者は断ち切れない思いを抱えたまま、引き裂かれた愛のはざまに沈み込んでいく。

太田夫人と娘の文子、菊治の妻となるゆき子らの姿はどこか抽象的であり、無機質な美しさを有した現実離れしたものとして描かれるのだが、そこに対置されるのが茶の師匠、ちか子である。

下世話で現世的な知恵と狡猾さを持ち、好悪や身のうちにわき起こる憎悪の感情を隠そうともせずに他人の心の中にまでずかずかと入り込んで平然としたその姿は、川端の筆によって見事なまでの実在感を与えられている。
ちか子の存在は、シテが舞う厳粛な能舞台に乱入した狂言師のような滑稽さをまとっているが、その姿が生々しい現実感を伴って描かれるほどに、彼女に翻弄されるような主人公たちの美しさはより抽象度を増すように感じられるのだ。

「千羽鶴」は5つの短篇からなり、その続編「波千鳥」は3つの短篇で構成されている。
それらは昭和24年から数年にわたっていくつかの雑誌に分散発表された作品がまとめられて長編となったもので、こうした連作形式は「雪国」や「山の音」にも共通する書き方である。
戦後のこの時期にはすでに書き下ろしで長編を発表する方法もあったはずなのだが、川端にとってはこの連作方式が体質に合ったものだったのだろうか?

それはそれとして、本作は創作ノートが盗難に遭うという不幸によって中断を余儀なくされたものとのことだ。
この先、菊治とゆき子夫婦と姿を消した文子の運命がどのように展開するのか、そしてそれを川端がどのように構想していたのか、興味は尽きない。

今日は何の日?

2022-08-04 | 日記
今朝6時頃に目が覚めて、ぼんやりラジオを聴いていたらNHKで「今日は何の日」というコーナーをやっていて、いついつの今日はこんな出来事がありましたという紹介をしていたのだが、その中で、渥美清(以下敬称略)の亡くなった日というアナウンスが聞こえてきた。
26年前のことで、享年68歳だったというので驚いてしまったのだが、そんなに若かったのかというのが率直な感想である。

渥美清といえば「男はつらいよ フーテンの寅」を思い出すが、その最晩年の姿は病気のせいもあって痛々しく、もっと齢を取っていた印象だったので、まだ68歳だったということには虚を衝かれたようでうろたえてしまった。

ちなみに今年は川端康成の没後50年でもあるのだが、川端は沖縄が日本に返還される前の月に亡くなっている。享年72歳で、ノーベル賞受賞の時には68歳だったのだ。
当時の映像を見るともっと齢を召されていた印象だったので、そのギャップにはいささかたじろいでしまう。

ちょっと話は飛躍してしまうけれど、先日、吉田拓郎が“一旦”卒業宣言というのをやって、テレビでは、kinki kidsと吉田拓郎がMCを務めて人気だった「LOVE LOVE あいしてる最終回・吉田拓郎卒業SP」というスペシャル番組が放映されていた。

吉田拓郎といえば、多くの世代に多大な影響を与えたばかりか、日本のポップス界にも測り知れない功績を残しているシンガーソングライターだが、その彼は今年76歳になる。

今から26年前、渥美清が亡くなった年の10月に「LOVE LOVE あいしてる」が始まったのだが、川端康成の没年である1972年に吉田拓郎は「結婚しようよ」や「旅の宿」を大ヒットさせ、一躍メジャーな存在となっている。
さらにその2年前、三島由紀夫が割腹自殺を遂げた1970年に吉田拓郎は「今日までそして明日から」を歌い、すでに知る人ぞ知る存在だったのだ。

何かを言いたいのではなく、何か新しいとこが見つかるわけでもないのだが、こうして比較することで補助線が引かれ、これまで見えなかったものが見えてくるようにも思える。
それが面白いのだ。



今夏は異常気象が続いている。
猛暑日がこれほど続くのも記録的だというし、東北・北陸地方ではかつてないほどの大雨に見舞われている。無事を祈るばかりだ。
そんななか、今日は久しぶりに散歩に出た。歩きながらいろいろなことを思い出す。
思い出しながら歩くのだ。吉田拓郎の歌が聞こえてくる。



高校演劇

2022-08-03 | 演劇
今年の夏、全国高校総合文化祭演劇部門(全国高等学校演劇大会)に出場した東京都立千早高校演劇部の「7月29日午前9時集合」がヤングケアラーをテーマにした作品ということで話題を呼んでいた。
7月26日付毎日新聞の小国綾子氏のコラムで紹介されていたが、その他の新聞や演劇専門家の間でも話題になっていた。以下、一部引用させていただく。

舞台は夏休みの教室で、9月の文化祭に向け、高校生男女3人が不登校気味の仲間を案じつつ、演劇の脚本選びをしているという設定。
その合間の会話の中に、テーマであるヤングケアラーに関する話題が織り込まれる。遠いところにある問題のようでいて日常的でもあるその問題は、他人ごとのようでありながら、ごく身近にいる仲間の問題でもある。

その中で発せられる男子生徒の独白が印象的である。

「……新聞を見ても自分のことのような気がしない。ニュースを見ても自分と結びつかない。大変なことがあったとしてもぼくたちは相談しようとも思わない。解決するとも思っていない。(略)相談するって選択肢も持てない。本当はつらいとか苦しいとか言えばいいのかもしれないけど、それすら思い浮かばない……」

実にリアルである。ことさらに訴えかける身振りや作劇はなく、現状をただ提示することによって、ヤングケアラーの状態にある子どもたちの抱える問題の根深さがより浮き彫りになるようだ。
こうした脚本は、演劇部員たちが日ごろの学校生活のなかで会話を見聞きし、集めた言葉が下敷きになっているという。

あらためて演劇の持つ働きや役割について考えさせられる記事である。
演劇は、日常の中に潜む問題の芽を浮き彫りにし、再構築するなかで客観的な視座を提示する。
それを受け止めるのは観客なのだが、たとえ劇場に行くことが出来ず、こうした記事を読んでこの舞台のことを知った私のような読者にも何らかの力を及ぼすだろう。
最近よく耳にする言葉でいえば、「バタフライ・エフェクト」のような変化を社会に及ぼすかも知れない。

新聞の片隅の記事やSNSでの発信などにより、思いもよらない形での影響をもたらすことも含めて、そのすべてが《演劇》の持つ力なのだろうと思う。

見えないものを想像すること

2022-07-06 | 読書
ロシアによるウクライナへの侵攻が始まってからすでに4か月半が過ぎようとしている。その情勢は日々報じられるけれど、そうした情報の何を信じればよいのか分からなくなることがある。
戦場における人権侵害と思われる事象が頻発し、それをウクライナ側は非難し、西側諸国の報道もそれに同調し、ロシアの非道ぶりを糾弾する。これに対しロシア側は即座に反論、これはウクライナ側が自らの犯罪を押し隠すための情報操作だと主張したりする。

もとより侵攻を仕掛けたロシアに非があるのは明らかであり、心情的にもウクライナ側の情報を信じたくなるのは道理だが、果たしてどこに真実があるのか、それを真摯に見極めることを諦めてはならないのだろう。
どちらかが100%正しく、どちらかには1%の真実もないと軽々に断定するのは、それこそ真実を見誤ることになってしまうのかも知れないのだ。

人の数だけ真実があると、したり顔でいう識者のいるのも事実だし、すべての情報は操作されていると真面目な顔で陰謀論まがいの意見を言う人もいる。
しかし、人の数だけ真実があると言ってしまった瞬間に私たちは思考停止の罠に落ち込んでしまっているのではないだろうか。

開高健の長編小説「夏の闇」が刊行されたのは1972(昭和47)年3月で、今からちょうど50年前のことだ。
著者自身が第2の処女作という本作は、ベトナム戦争で信ずべき自己を見失った小説家の主人公が、ただ眠り、貪欲に食べ、性に溺れる泥沼のような日々の中から、やがてベトナムの戦場に回帰しようとするまでを描いた作品である。

半世紀前のこの年は、冬季札幌オリンピックがあり、米国ニクソン大統領の電撃的な中国訪問があり、連合赤軍によるあさま山荘事件が起き、沖縄が日本に返還された年である。
冷戦のさなかでドイツは東西に分断され、その象徴たる「ベルリンの壁」は厳然とそびえていた。そして、その翌年にアメリカが撤退することになるとはいえベトナム戦争はいまだ終結の見通しがなかった頃だ。

その時代、情報を手に入れる手段は極めて限られていた。今とは隔世の感がある。そうしたなか、小説の終盤近くに主人公は滞在先の街にある通信社の支局を訪ね、かつてベトナムで記者の仕事をしていた伝手で記録ファイルを見せてもらったりしながら戦争の情勢を知ろうとするのだ。

以下、主人公の独白部分を一部引用する。

「……壁の東側にいる人間でなければつかめない現実があるだろうし、西にいる人間でなければつかめない現実もあるだろう。どちらもそれを唯一の本質といいたがる。けれど、壁の上にいる人間でなければつかめない現実というものもあるはずじゃないか。それも本質だ。おれには唯一の本質など、ないね。眼のふれるもの、ことごとく本質だね。もし生きのびられておれが何か書いたらどちらの側もめいめいに都合のいい部分だけをぬきとって自分たちの正しさの証明に使うだろうね。使えないとわかれば嘲笑、罵倒、または黙殺だね。使えるあいだはどちらかからか、どちらからもか、歓迎してくれるだろうが、あとはポイだな。……」

「……二十四日間の攻防戦のうちに反政府側は“臨時政府”樹立を宣言し、大学教授を省長に任命し、人民裁判を開いたと伝えられる。反政府側は数千人殺され、アメリカ兵が数百人殺され、政府側兵士が数百人殺され、市民は約二千五百人殺されたと伝えられる。こういう数字は“数千人”を“数百人”としていいかもしれず、“数百人”を“数千人”としていいかもしれない。あるいはいっさい数字をあげないで、市民は逃げつつ殺され、アメリカ兵はたたかいつつ殺され、反政府兵はたたかいつつ殺され、政府兵は逃げつつ暴行略奪しつつたたかいつつ殺されたといったほうがいいかもしれない。……」

以上、ほんの一部の引用だが、これを読むと50年も前のこととは思えない。言葉を少し入れ替えるだけで、まるで今目の前で起こりつつあることのように思える。
この半世紀の間に、情報網は驚くほどの進展を見せ、平和を維持するための国際的な枠組みも強化されてきたはずなのに、人間の本質は根本のところで何も変わってはいないということなのだろうか。

では、私たちが今起こりつつあることから目を背けず、真実に近づくための手段は何なのだろうか。

ここで「夏の闇」からさらに30年ほども遡った時代、作家トーマス・マンがナチス・ドイツの手から逃れた亡命先でいかに情報を得ようとしていたかを思い出して胸が熱くなる。
以下、池内紀著「闘う文豪とナチス・ドイツ」からの引用である。

「……新聞やラジオの報道によりつつ、もとより半分もうのみにしない。とりわけドイツからの報道が、どれだけ操作され、かたよったものであるか、存分に知っていた。真実に一歩でも近づくためには、さしあたりここにあるものを手がかりにして、ここにないものを思わなくてはならない。……」

あらゆるものを疑いつつも、目の前にあるものを手がかりとして、見えないものを想像する自身の力を鍛え、信じることが何より大切なのかも知れない。

世論調査の「怪」と「解」

2022-06-28 | 日記
友情を失いたくなければ政治の話をするな。
小説のなかで政治の話をするのは音楽会へいって演奏を聞いてるさいちゅうに耳もとでいきなりピストルを射たれるようなものだ。
以上は開高健の小説「夏の闇」のなかに出てくる言葉だが、政治と生活が直結したものである以上、これを避けて通ることは出来ないだろう。
ということで、友情にひびが入らないよう気をつけながら少しばかり政治寄りの話をしたい。

選挙投票日が近づくこのタイミングで新聞・テレビなど各報道機関が行った世論調査の結果が報じられている。
一体この世論調査なるものにどれほどの信憑性があるのだろうとずっと前から気になっていた。加えて言うならば、それを報道することにいかほどの価値があるのだろう、といつも考えてしまう。
まさに世論調査の「怪」なのである。

世論調査の目的は何だろうと考えてみるのだが、一般的には、多くの人々=国民が何を求め、何に期待しているかを調査によって明らかにし、その時点における人々の考えを知る、ということだろうか。それによって、より多くの人々が選挙や政治課題を深く考えるきっかけにしたい、ということも含まれるかも知れない。

しかしながら世論調査はあくまで調査した時点の状態を知るということなのであって、いわば過去のものでしかない。
調査によって未来は予測できないのではないかという疑問が湧く。そこからいかなる結論を導き出そうが、それは幻想を語るようなもので、その後いかようにも変容し得るものなのである。

現に、世論調査の結果と実際の選挙結果は一致しないことが多い。
選挙に行く、あるいは必ず行く、と回答した人の割合に比べて、実際の投票率がそれを大きく下回ることの多いのがその端的な例である。
また、各政党の支持率が、実際の得票率と一致しないことは必ずと言ってよいほどだ。

これは投票日に行われる出口調査なるものとの大きな違いである。
出口調査はかなりの精度を有しているようなのだが、それにしても開票作業の始まる午後9時とほぼ同時に《当確》が出て、万歳三唱する候補者の姿をテレビ画面で見ることほど呆気にとられ、味気ないことはない。茶番を見るようである。

しかし、こうした事象は、事前の世論調査と出口調査との違いを際立たせているとも言えるだろう。
出口調査が、その直前の投票行為に関するアンケートであり、あくまで投票した人が対象である。
これに対し、世論調査はより漠然とした状態で問いかけた人々の願望を数値化したものなのだ。(当然、そこには実際には投票に行かない人の声も多数含まれている)

そうしたなか、調査結果として、一方の勢力が過半数を獲得する勢いだとか、もう一方の勢力は苦戦を強いられている、といった情報が見出しとなって流されるわけだが、これによって実際の投票に影響が及ぶことは容易に想像できるだろう。
もう大勢がはっきりしているなら今さら投票に行っても仕方がないと思うか、それでは頑張ってひと踏ん張りしなければと奮い立つのか、人によっても立場によっても違うだろうが、報道やニュースの見出しは大きな影響力を持つものなのだ。
また、一定期間行われる選挙運動の間に生じた事件や社会情勢もまた微妙に変化し、人々の幻想の揺らぎとなって影響を与えるだろう。
現に昨日あたりから、政権与党の中心にいる政治家の発言によって、年金や高齢者医療の問題が選挙の争点として浮上してきたと言われている。

多くの人々が常に確たる考えを保持し続けているわけではない。
ニュースの切り取り方や、SNSで発信されるフェイクもどきの情報にも敏感に反応しながら、投票用紙に記入する直前まで人々の感情や社会の空気はブレまくるのである。
実に曖昧模糊とした捉えどころのないものによって投票結果は左右されると言ってよいのだろう。

いつも思うのだが、そうしたあやふやなものをもっと具体的で目に見えるものとして明らかにすることは出来ないものだろうか。

分かりやすい例として言うならば、各政党が示す「公約」をもっと精密に分析することは出来ないだろうか。
素人目には、現状の「公約」なるものの多くは具体性を欠き、かつ、出血している傷口に貼る止血絆創膏のような応急処置的なものばかりではないかと感じられて仕方がないのだ。
現下の物価高に対して、低所得者や年金受給者に給付金や補助金を支給するというのは重要な観点ではあるけれど、あくまで傷口をふさぐ程度の効果しかないだろう。
最低賃金や労働者の給与をアップさせるため、さらには雇用状況や就労環境を改善するための根本的な問題分析やそれに基づく具体的な政策こそが求められているはずなのだ。

このように「公約」を実現度、財源、費用対効果等の観点から分析し、それが今の日本が抱える問題の抜本的な解決にどの程度貢献するかを示したうえで人々に問いかけることは出来ないのだろうか。

さらに言うならば、過去の選挙戦で示された各党、各候補者の「公約」が、その後どの程度実現したか、あるいは反古同然の扱いになっていないか、といった成績表のようなものは作れないものだろうか。
各政党や候補者が選挙の際に示し、約束したものがその後どうなったのかを批判的に分析し、明確にして問いかけるのはジャーナリストの重要な仕事であるはずなのだ。

もう一つ、これは政治家や行政機関の役割なのかも知れないが、調査によって得られる人々の要望、ニーズを、漠然としたものからブラッシュアップし、より具体的な政策レベルあるいは施策レベルにまで磨き上げるにはどうすればよいのだろうか。

単に人々が関心を持つ政治課題が、第1には経済問題である、第2には防衛・安全保障問題である、と大括りにしたところで何も見えては来ない。
経済問題にしても、賃金なのか、雇用の安定なのか、捉え方は一人ひとり違っているはずなのだ。
年金問題といっても、今現在受給している高齢者と、将来本当に年金は給付されるのだろうかと不安に思っている現役世代では捉え方に違いがあるのは当然なのだ。

限られた資源をいかに有効に使うのか、答えはその人の立場によってさまざまである。誰もが喜ぶ方法などないのかも知れない。しかし、そうしたなかでも最大多数の最大幸福をめざして時には苦い水を飲んでもらうよう人々を説得するのが政治なのだろう。

近代マーケティングの父といわれるフィリップ・コトラーが、心理学者G・D・ウィーヴの問いかけを紹介している。
「……なぜ石鹸を売るように人類愛を売ることができないのか」

社会全体がより良く、好ましいものとする政治を行わせるために、マーケティングをどのように活用すべきかという問いかけである。
平和、人類愛、戦争のない世界、貧困の撲滅、飢餓に苦しむ人々のいない世界、暴力のない世界、希望にあふれた世界……、それらを実現するためにマーケティングの手法をいかに活用すべきなのか、ということだ。

必要なのは、調査によって得られたビッグデータを顧客一人ひとりの目線で読み解き、本当に解決して欲しい問題を発見・抽出し、解決方法を見つけ出していくことである。
そこにマーケティングの手法が活用できるのではないかとコトラーは言うのだ。
そのために時間はかかるけれど、個々の政治家が、あるいは行政に携わる人たちが、愚直に人々の声に耳を傾け、ともに意見を交わし、より最適な解に一歩ずつでも近づこうとする不断の努力が求められるのだろう。

世論調査の「怪」ではなく、「解」を導き出すための努力である。

最後に一つ、自動車産業の生みの親ヘンリー・フォードの言葉をメモしておきたい。
「……人々の要望ばかり聞いていたら、私は速い馬を探しにいっていただろう」

後年の自動車社会が本当に社会に幸福をもたらしたかどうかと問われるといささか首を傾げざるを得ないのだが、フォードのこの言葉は、星の王子様の「本当に大切なものは目に見えないんだよ」という言葉とともに時折思い出しては噛みしめたくなる一節である。

人々のニーズを追うだけでは本当に必要なものは見つからない。
要望や願望の上っ面からは、人々が求める根本のところは分からない。
本当に必要なものは何なのか。それを見出し、本当の問題を解決するためにどうすれば良いのか。
答えは私たち一人ひとりがより深く考え、行動することにかかっていると言えそうだ。

ネガティブ・ケイパビリティ

2022-06-22 | 読書
友人たちが私の書いたものにたまに感想を寄せてくれるのだが、最近投稿した「何も決めないという決定」「対立しながら共存する」について、それは「ネガティブ・ケイパビリティ」というジョン・キーツが唱えた概念に近いのじゃないか、と教えてくれた。
そう言われてはっと気がついたのだが、それは確かにそうなのだ。

「ネガティブ・ケイパビリティ」については、小川公代著「ケアの倫理とエンパワメント」の序章と1章に詳しく書かれている。
定義づけとしては、「相手の気持ちや感情に寄り添いながらも、分かった気にならない『宙づり』の状態、つまり不確かさや疑いのなかにいられる能力」ということであり、「短気に事実や理由を手に入れようとせず、不確かさや、神秘的なこと、疑惑ある状態の中に人が留まることができるときに表れる能力」を意味するとある。

さらに本書では、作家で精神科医である帚木蓬生がその著作の中で「人はどのようにして、他の人の内なる体験に接近し始められるのだろうか」という問いに言及していることを紹介している。帚木氏は「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」の中で次のように書く。

「共感を持った探索をするには、探究者が結論を棚上げする創造的な能力を持っていなければならない。(中略)体験の核心に迫ろうとするキーツの探求は、想像を通じて共感に至る道を照らしてくれる」

これらの言葉は、最近話題になったいくつかの文学作品において描かれる登場人物が、自分が抱える癒しがたい痛みや傷について、第三者の一方的な決めつけによってカテゴライズされたり、おざなりでありきたりの理解から発せられる同情や憐みに対して異議申し立てをする姿が描かれていることを想起させる。
それらの作品の中では、当事者の痛みに寄り添うことのない第三者の「想像力の欠如」こそが断罪されるべきであると読者は期待するのだが、その期待が叶えられることはなく多くの場合は宙ぶらりんのままに放置される。作家たちは、想像力を駆使して当事者の苦悩に寄り添いながら、そうした現実の姿をもまた冷徹に見つめるのだ。

まさに、「想像力は他者との共感に至る道筋」であり、「病気や苦悩に寄り添いながら、その状況をじっと見守る営為と、物語を言葉で紡いでいく営為は地続き」なのである。

改めて、「ネガティブ・ケイパビリティ」が、芸術作品を生み出すために必要な能力であるのみならず、仕事上の課題解決や組織のマネジメントにおいてもまた極めて有効で不可欠なものであると感じる。

「役に立たない」ことの意味

2022-06-20 | 日記
散歩をしていると様々なことが思い出されるし、いろいろなことを考えてしまう。
最近はよく昔の若かった頃の恥ずかしい行状が突然甦ってきたりして、自分のことなのにいたたまれない思いをすることがある。
青春期の悪戦苦闘なのだが、そこから自分は何を得たのだったろうか、などと考えてしまうのである。
私がこれまでやって来たことの大半は、世の中の「役に立たない」ことばかりだったような気がするが、そのことに本当に意味はなかったのだろうか。



そんなことを考え、歩きながら、ふと川端康成の「伊豆の踊子」を思い起こしていた。
小説の主人公の「私」は、自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出たのだったが、そうした感情は思春期の誰もが感じるものなのだろうか。

いささか個人的なことを言えば、私が十代の半ばに芽生えたひねくれた感情は、あらゆる権威や押しつけがましい力に対する名づけようのない反発になってその後の人生を大きく踏み外す結果をもたらしたように思う。
人生において「役に立つ」はずの高等教育なるものからは早々にドロップアウトしてしまったし、努力とか修練とかいう、大人たちが親切にも忠告してくれる言葉にはわざとのように反対の道をあえて選ぶような振る舞いに自分を追い立てるようだった。
そうした闇のような時期は誰もが経験することなのかも知れないが、私自身はそこから脱却することがなかなか出来なかったのだ。

それにしても「役に立つ」「役に立たない」とはどういうことなのだろう。
人生をとおして人は何を得ようというのだろう。

「伊豆の踊子」の主人公は、旅芸人の一家との出会いと交流の中でその心をあたたかくときほぐされていき、最後の場面では素直で自然な感情のなかに身を委ね、甘く快い涙を流すのだが、私にとってそれに匹敵するものは何かと考えると、それこそ「演劇」であり、「病気」だったのかも知れないと最近になってよく考えるのだ。

演劇についていえば、結局私は「芝居で食う」ことが出来なかった三流の俳優でしかないし、病気は長く放置したことの「つけ」によって、腐れ縁のように一生付き合う羽目になっている。
自分の努力や心がけだけではどうにもならない世界に私はいるわけなのだが、逆に、そうした不条理な状況の中で悪戦苦闘することの意味というものを改めて噛みしめているのでもある。

スコット・フィッツジェラルドの未完の遺作「最後の大君」(村上春樹訳)の訳者あとがきの中で紹介されているのだが、フィッツジェラルドは娘のスコッティ―にあてた書簡の中で、このように語っている。

「……人生とは本質的にいかさま勝負であり、最後にはこちらが負けるに決まっている。それを償ってくれるものといえば、『幸福や愉しみ』なんかではなく、苦闘からもたらされるより深い満足感なのです……」

……それはあるいはフィッツジェラルドの文学と、そして人生のひとつの要約になっているかもしれない……と、村上春樹氏は書いているが、たとえはじめから勝ち目のない負け戦のような人生でも、少しでもそれに抗おうと苦闘すること自体に価値があるのであり、その苦闘をとおして自分は満足感を与えられるのだ、ということだろうか。
私も同感である。

もう一つ、覚えておきたいエピソードがある。
イタロ・カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」(須賀敦子訳)の最初の章に書かれている言葉である。

「……私たちが古典を読むのは、それが何かに『役に立つ』からではない、ということ。私たちが古典を読まなければならない理由はただひとつしかない。それを読まないより、読んだほうがいいから、だ。……」

そのうえでカルヴィーノは、思想家シオランの言葉を引用し、次のエピソードを紹介する。

「……毒人参が準備されているあいだ、ソクラテスはフルートでひとつの曲を練習していた。『いまさらなんの役に立つのか?』とある人が尋ねた。答えは『死ぬまでにこの曲を習いたいのだ』……」

素敵な話ではないか。
私は、権威づくの押しつけは嫌いだが、こうした役にも立たない習練に嬉々としてうつつを抜かす姿を見るのは大好きである。
私自身もかくありたいと願う。

対立したまま共存する

2022-06-19 | 日記
今朝の新聞の一面に建築家・安藤忠雄氏のインタビュー記事が載っている。
聞き手は池上彰氏で、安藤氏が大阪中之島公園内に設計・整備し、大阪市に寄附するとともに、運営費用については広く寄附を募った「こども本の森 中之島」の話を中心に、子どもの頃から本に触れ、読書することの大切さを語った記事である。

今年80歳の安藤氏だが、10年以上も前に癌が見つかり、胆嚢と胆管と十二指腸を摘出、さらにその数年後にも癌のため、膵臓と脾臓の全摘出手術を受けたという話はよく知られている。
その安藤氏が今も毎日一万歩を歩き、元気に仕事で世界中を駆け回っているというのは奇跡とも思えるが、仕事が彼を駆り立て、元気の源になっているというのは確かなことだろう。何かを失ったら、それを補完する方法を見つければよいだけの話なのかも知れないと、氏の話を聞いているといつの間にか前向きになっている自分に気がつく。

以前手に入れた2015年11月号の「芸術新潮」では安藤忠雄の大特集が組まれていて、折に触れてこれを見返すのだが、いつも刺激を受ける。
今日もページを繰っていて目に飛び込んできたのが、2001年にアメリカのセントルイスに完成した〈ピューリッツァー美術館〉のプロジェクトの話である。

アーティストでコミッションワークを依頼されていたリチャード・セラとエルズワース・ケリーが初期段階から建築計画に参加してきたのだが、それぞれ立ち上がるものに対して自分なりのイメージを持っている者同士の意見がぶつかり合ったことがある。
そうした事態になった時の安藤氏のスタンスはとても共感できるものだ。

「……妥協によって調和させるのではなく、対話によって対立したまま共存する道を探していく。自立した個人と個人が向き合い、しっかりと対話することが肝要です。同じ共同作業でも、それに臨む姿勢によって、できあがる空間の緊張感は大きく変わってくるのです……」

資金を持った人間や自己主張の強い人の意見にただ迎合、妥協して調和の道を探るのではなく、対話とコラボレーションによって最善の方法を見つけ、創造していくことが何より大切だ、ということだろうか。

「二項対立の脱構築」という哲学用語を思い出すのだが、まさに「対立したまま共存する」ことで解決策を見出すことの意義を感じさせてくれる言葉だ。
単に調和を目指し、妥協案を探るだけではどうしても釈然としない部分が互いの心の中に残り、わだかまりとなってしまう。
そうではなく、対立した相互の意見を尊重しながら、アイデアを出し合い、より高次な解決策を発見することで、互いが納得し、より創造的な空間や作品を作ることが出来る。

私たちの人生も社会も政治的な課題も、今世界で起こっている紛争も、まさにこうしたスタンスでの解決の道の模索こそが求められているような気がする。

何も決めないという決定

2022-06-18 | 日記
昨日通院した時の話をして、主治医がはっきりしたことを言ってくれない、まるで禅問答のようだと書いたのだったが、それは何も医師を批判しようという意図によるものではない。おそらくそれは医師として正しい態度なのである。

分かり得ないものの前で人は沈黙しなければならない、というのは有名な哲学者の言葉だが、あらゆる判断の要素があり、そのどれもが正しく、そのどれもが間違っている可能性のあるときに判断を一旦留保するというのは、おそらく望ましい対処なのだ。
もちろん何らかの処置をしなければ目の前の患者が危機的状況になるという場合には異なる対処方法があるのは当然のことだ。

一方で、痛みに耐えかねているような時には、何らかの決定を下して欲しいというのも患者の側からの心理的要請としてあり得ることなのである。
たとえその判断が間違っていたとしても、自分に対して毅然とした裁定を下してくれる医師を頼もしいと感じる心理である。
おそらくこれは、不景気が続いて貧困や格差が広がり、国が経済破綻に陥って行き詰まった場合などに、独裁者が自分たち迷える国民を引っ張って行ってくれることを求める人々の心理とどこかつながっているのかも知れない。

「何も決定を行わないという代替案は、常に存在する」と言ったのはドラッカーである。「意思決定は本当に必要か」を自問せよということだ。
「意思決定は外科手術である。システムに対する干渉であり、ショックを与えるリスクを伴う。よい外科医が不要な手術を行わないように、不要な決定を行ってはならない」のである。

ここでドラッカーは、「2000年も前に、ローマ法は、為政者は些事に執着するべからずといっている」ということを紹介しているのだが、現実には、無能な組織のリーダーに限ってどうでもよいような些事に拘り、改革の名のもとに組織体制や人事を必要以上にいじくりたがるものだ。このことは身の回りの、少し見知った組織(企業や団体)の様子を観察すれば腑に落ちるだろう。

無能な独裁的リーダーほど、どんな些細なことでも自分の耳に入れたがり、どんな細かなことも自分で決定しなければ納得しない。その反面、人の意見には懐疑的で自分の考えに同調しないものを徹底的に排除しようとする。
彼はコミュニケーションなど歯牙にもかけず、自分に異論を唱えるものは容赦なく粛清し、組織を自分好みの体制に作り上げようと、改革という名目で不要な手入れを繰り返す。
その結果得られるものは、泥沼のような組織の弱体化でしかない。

必要なのは情報開示(公開)と観察、徹底的なコミュニケーションに基づくネットワークの構築であり、その結果得られる集合知をもとにした冷静な判断と決定ではないだろうか。

病気の話をしながら、いささか強引に組織改革の話にしてしまったけれど、いずれも組織細胞の病変にかかわることだとすると、これらはどこかで深くつながっているように感じられてならないのだ。

1500勝達成

2022-06-18 | 日記
もう夜半を過ぎてしまったので昨日のことになるが、4週間ぶりに西新宿の街を歩いた。定期的に病院に通う必要があるからだが、多くの勤め人が行き交うこの街が私はどこか好きなのである。
このビル群を眺め、ふらふらと徘徊しながら雑踏の中に身を潜めてみたくなる。そこに妙な安心感を覚えるのだ。



私自身の体調はどうもはっきりしない……、どころか明らかに悪化しているようなのだが、今自分がどういう状態にあるのかが分からないのである。
採血検査、レントゲン撮影のあと、診察室に入り、主治医にこの4週間の身体の具合、どれだけ痛みが酷かったかなど経過を説明する。
医師はもちろんその話をよく聞いてはくれるのだが、その痛みの根本的な原因はという話になると、確定的なことは何も言えないらしく、この可能性もあるが、こちらの可能性も否定できないなどと、途端に禅問答のようになって分からなくなる。
一体この身体の中で何が起こっているのか。

 夏目漱石の「明暗」の中で、主人公の津田が独りごちる「この肉体はいつ何時どんな変に会わないとも限らない。それどころか、今現にどんな変がこの肉体のうちに起こりつつあるのかも知れない。そうして自分は全く知らずにいる。恐ろしいことだ」という言葉を思い出す。実際、そのとおりなのだ。

今日(17日)の新聞では16日の将棋の順位戦で羽生善治九段がプロ入りから通算1500勝を達成したというニュースが報じられている。
1986年1月に中学3年生で1勝目を挙げてから36年かけての快挙ということになる。その10年後の96年には7冠となり、一躍時の人となったのは誰もが知るとおりだ。

その7冠達成時、米長邦雄永世棋聖が経団連において「なぜ、羽生君に勝てないか」と題した講演を行ったことが新聞に載っていたのを覚えている。その時、53歳の永世棋聖はこう語ったのである。

「われわれベテラン棋士は得意の戦型が忘れられない。その戦型で勝った記憶が忘れられない。その戦型はもう通用しなくなっているのに」

当時はバブル経済の崩壊から数年経った頃で、日本経済の先行きは見えず、暗澹たるものだった。米長氏の言葉を、名だたる企業の経営者が、むずかしい顔をしてじっと聴き入っていたという……。

その羽生九段も今や50歳を超えて当時の米長永世棋聖の年齢に近くなり、29年も在籍した順位戦のA級から陥落してしまったし、タイトル戦からも遠ざかって久しい。
時の流れの無情を感じてしまうのも事実だが、私自身は羽生九段には《名人位》こそが相応しいと思っている一将棋ファンなのである。近いうちに必ず復位してくれるに違いないと捲土重来を心の底から願っている。