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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

「遊びの杜」に遊ぶ

2009-10-20 | 演劇
 映画「ヴィヨンの妻」を観たその日の夜、オフィスパラノイアの今昔舞踊劇「遊びの杜」を観劇。(作・演出:佐藤伸之。於:靖国神社特設舞台)
 古事記をはじめ、日本書紀、今昔物語、宇治拾遺物語、御伽草子、さらには小泉八雲、太宰治などの作品から、「貧乏神と福の神」「幽霊滝」「博打うちの息子の婿入りの譚」「ろくろ首」「大井光遠の妹の強力の譚」「鳴釜」という6つの物語を舞台化、これに序として創作舞踊「三番叟」を加えた構成である。

 ジャパニーズエンターテイメントというフレーズがパンフレットにあるように、日本的なものにこだわった舞台づくりを続ける主宰の佐藤氏とこの集団のコンセプトは、昨今の比較的若い演劇人のなかでは極めて異例ともいえる特徴と明解さを有しているといえるだろう。
 その舞台の出来も高い水準を示していると評価できるものだった。振り、殺陣、所作、工夫を凝らした演出、セリフ術など、どれも長年の集団としての積み重ねが実を結びつつあると感じる。今後の方向性が何だか妙に気になりながらも、楽しみな集団なのである。

 役者陣の中で、とりわけ秋葉千鶴子さんの語りはいつもながらに端整な佇まいと相まって美しく、観客を劇世界に引き込む力を持っていた。
 ゲスト参加の「ひげ太夫」の2人の女優は私にとって初見ながら、舞台の床を跳ねるそのしなやかな音を聞けば力量のあることは十分に感じられる。

 そうしたなか、今回私が特筆したいのは伊藤貴子の存在感である。
 これまで10年以上関わって、断続的に見続けてきた彼女の舞台の中で、今回ほどはじけて、たくましく、可愛く、お茶目に遊ぶ彼女を観たことはないように思えるほどだ。
 これが代表作というにはまだまだ早いのかも知れないけれど、これからが本当に楽しみな成長ぶりである。

 さて、以上述べたように全体的に高いレベルにあることは間違いないのだが、さらに欲を言うならディティールをもっと大事にすることだろう。神は細部に宿るのである。
 ちょっとした言い間違いや気の抜けた部分が全てを台無しにしかねない。
 三番叟では扇の扱いでちょっとしたアクシデントがあったようだし、アンサンブルの乱れもあった。
 以前、和泉流狂言師の野村万蔵がコンドルズの近藤良平と三番叟を競演した話を書いたが、劇場パンフの対談のなかで、近藤氏が「振りを間違うことはないのですか?」と訊いたのに対し、万蔵氏は笑いながらではあるが「間違っちゃいけないんです」と答えている。
 当たり前のことではあるが、これは実は相当に厳しいことを言っているのである。
 その昔、貴人方の前で舞った演能者に間違いは決して許されなかったであろう。それはすなわち死を意味していた。
 そうした厳しさを自然のものとして身に着けた時、本当の役者が生まれ、芸術としての舞台が顕現するのだろう。
 (大げさな物言いはお許しいただきたい。ひとのことはいくらでも言えるのだ。わが身を振り返れば恥ずかしくてならないのだけれど。太宰だったら少しはハニカメと言って怒ったかも知れない)

 さて、今回は台風が舞台設営の日を襲い、設営と撤去を繰り返したのだと聞く。そんな苦労を経て創り上げた舞台は本当に美しいものだった。
 ライトアップされて浮かび上がる神池と庭園の木々を借景とした舞台は、古来私たちの精神に深く眠る物語と感応しながら、忘れがたい記憶を観客の心に刻んだに違いない。

ヴィヨンの妻

2009-10-20 | 映画
 すでに1週間ほども前のことになるけれど、今月12日、映画「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ」を観たので記録しておきたい。
 ご存知、太宰治の原作をもとに根岸吉太郎が監督し、第33回モントリオール世界映画祭最優秀監督賞を受賞した作品である。
 同名の短編小説のほか、いくつかの作品からの引用をもとに田中陽造が脚本を書いている。
 松たか子が主人公の妻役を凛とした美しさで映画全体を包み込むような大きな存在感を示し、その夫で放蕩三昧の小説家大谷(浅野忠信)と心中沙汰を起こすバーの女給・秋子を演じた広末涼子も新たな境地を見せる。
 飲み屋の夫婦を演じた伊武雅刀と室井滋も実によい味わいを出していた。
 総じて、男優陣の存在感の希薄さに比べ、女優たちの印象が際立つと思えるのだが、その濃淡のタッチは根岸監督の周到な計算によるものだろう。
 松の演じる佐知は、どこまでも明るく健気に、男の手前勝手な甘えやだらしなさを受け入れつつもひたすら尽くしぬくように見せながら、最後にはその男どもを食いつくし、したたかに肥え太る女王蟻のようにも見える。

 さて、太宰治と最も近しい立場にいた編集者・野原一夫氏の著書「回想 太宰治」によれば、太宰と最期をともにした山崎富栄さんは「ヴィヨンの妻」の奥さんのことを「倖せだと思うわ」と言っていたそうだ。
 「だって、あの奥さん、大谷をあたたかく包みこんで、甘えさして」
 「それじゃあ、倖せなのは大谷のほうだ」
 「あら、大谷を倖せにできたら、その奥さんも倖せなんじゃないの」
 「あなた、えらいんですね。しかしあんな女房、どこにもいやしないさ」
 「どこかにいます。きっと、どこかにいるわ」

 それはこの自分なのだと富栄さんは言いたかったのだろうか。

 ところで、「ヴィヨンの妻」の第一章を太宰は口述筆記したようだ。彼の書く文章の語り口の絶妙さは誰もが認めるところだが、生来の天才であるとはしても、多くの人々を魅了し惑わせたその才能はどのようにして養われたものなのだろうか。
 ちょうど、ある作家の作品集への解説文を太宰が口述筆記させているところに居合わせた野原氏は次のように書いている。

 「三十分か、四十分か、その時間は記憶していない。なんの渋滞もなく、一定のリズムをたもちながら、その言葉は流れ出ていた。私は目をつぶってその言葉を追っていた。はじめ私は、不思議な恍惚感に捉われていた。それは、美しい音楽を聴いている時の恍惚感に似ていた。やがて、胸をしめつけられるような感じに襲われ、そして、戦慄が私のなかを走った」

 このほかにも多くの作品を太宰は口述しながら奥さんに筆記させたそうだ。

 「『駆込み訴え』のときは、炬燵に当って杯をふくみながらの口述であったが、淀みも、言い直しもなく、言ったとおりを筆記してそのまま文章であった。
 『書きながら、私は畏れを感じた。』と奥さんは書いておられる。」

 あれほど勝手に生きた太宰を奥さんは愛していたのだろうか。分からないが、才能に惚れていたという月並みな見方もできるようだ。
 あるいは、「文化」と書いて「ハニカミ」とルビを振らざるを得ないような含羞のポーズに憎めなさを感じていたのかも知れない。
 いつもいつも飲んだくれてばかりいたような印象のある太宰治だが、彼は仕事用に別に一部屋を借りて、そこに弁当を持って通勤していたと「回想 太宰治」には書かれている。
 「太宰さんはそこに朝の九時すぎに出勤し、午後の三時頃まで仕事をした。まじめな勤め人の几帳面さである。書けても書けなくても、朝、机に向かうのだと言っていた。」
 「明るい昼間、醒めた意識で書く、その心構えをくずさなかった。興が乗ってきて筆がすべりすぎると、そこでストップをかけるのだ、とも言っていた。ものを書くということを、よほど大事にしていたのだと思う。」

 太宰の比類のない才能は、ある面、ストイックなまでの努力と原稿に向かう膨大な時間の積み重ねによって培われたものなのだろう。

 さて、再び映画であるが、原作と同様の時代背景を設定しながら、原作と異なる印象はやはり現代向けの味付けによるものなのだろうか。
 小説において大谷の存在はもっと巨大で、食うや食わずの時代を生き抜くずぶとさやこすっからさ、犯罪の匂いを纏っているようだ。
 また、飲み屋に集まる客にしても誰もが闇市に跋扈するような犯罪者であるに違いなく、映画でのようなのどかな明るさからは程遠い。
 妻夫木聡の演じた工員にしても、あんなふうに純情一途な青年などではない。それは原作で確認していただきたいが、私が連想するのは、太宰が大きな標的とした志賀直哉の短編「灰色の月」に出てくる工員ふうの青年である。
 終戦直後のやさぐれた野良犬のような目つきで、餓死寸前の欲望にぎらぎらしながら、その反面何もかもを放擲したような捨て鉢な気分の時代。
 そうした背景のなかでこそ「ヴィヨンの妻」は一層輝くように思える。