新聞を読んでいると何とも悲観的な気分になってしまうことが多いものだが、そんな記事を引用しながらとりとめのない話をしよう。
7月2日、欧州連合統計局が発表したユーロ圏の5月の失業率が11.1%となり、統計上比較可能な1995年以降で最悪を更新したとの報道があった。
ユーロ圏では南欧を中心に失業率の悪化が続き、失業者は1756万人に達し、前年比で182万人増加した。
特に、EUに金融支援をしたスペインでは5月の失業率が24.6%となり、特に若年層(25歳以下)では52.1%に達した。少なくとも2人に1人が仕事に就けない状況に陥っているのだ。
片やわが国の状況はどうだろう。少子化を反映して若年人口は大きく減少している。企業がこれまでと同じ水準で採用を維持していれば人手不足になり、就職活動は楽になっていたはずだが、実際には構造的変化や景気循環の影響により、人口が減少する以上に上質な雇用機会が減ったことで就職難が続いている。
樋口美雄慶大教授(7月3日付、日本経済新聞経済教室)によれば、15歳~24歳の男子人口は2010年までの15年間で31.2%も減ったが、正規雇用はこれを上回る52.9%も減ったという。
学卒後の25~34歳層においても同様で、この年齢層の男子人口は同期間に51万人減ったが、正規雇用は128万人も急減した。
一方、非正規雇用の割合は15年前には2.5%であったものが、今では11.5%にまで上昇しているという。
日本は、そして世界は、これからどうなっていくのだろう。
ため息ばかりが先に立ってしまうけれど、若い世代が素朴に夢を持って自身の人生設計を語ることのできる、ごくごく当たり前の社会づくりの構想ができないものだろうか。
私の尊敬する知人で税理士のMさんが、「グローバル化というのは、熱い経済と冷え切った経済を混ぜ合わせてぬるま湯にするようなものだから、これが進展したからといってこの先景気のよくなるはずがない」と言っていたのを思い出す。妙に納得したものだ。
世界の人口70億人のうち、年間所得が2万ドルを超える層は約2億人であるのに対し、年間わずか3000ドル以下の低所得層は実に40億人を超えるという。
富裕層と呼ばれるのは、そうしたピラミッドの頂点にある砂粒のような数の人々なのだ。
企業はより低廉で長時間労働にも耐えうる労働者を求めて根なし草のように世界を巡る。その地域に根を張って産業を育むとか雇用を守ろうとの志も責任感も意欲もなく、後には荒れ果てた土地だけが残されるだろう。インターネットやコンピュータの発展がそれを可能なものとして後押しし、生産性向上の名のもとに人々から働き口を奪っていく……。
日本の地方都市の街並みがどこも同じような顔になってしまったように、やがて世界もフラット化し、均質化して、世界中の何でもが手に入るがその土地ならではのものが何もないといった、のっぺりとして無機質な社会になりつつあるのだろうか。
1に雇用、2に雇用、最も重要なのは雇用政策だと言ったのは何代前の総理大臣だったっけ? そうした政策の芽がどれだけ育ったというのか。
創業して40年以上経過した企業では社員が高年齢化し平均して雇用が減少しているという。その一方、創業して間もない若い企業は倒産のリスクも高いが雇用を増やしている、ということは昨年の中小企業白書にも書かれていた。
先述の樋口教授の寄稿論文のなかに、あるスーパーマーケットでは、正社員を増やし、そのことで人件費は上昇したが、それ以上にその人たちの能力発揮で売り上げが伸び、利益が増えたという事例が紹介されている。
いらぬ政争に明け暮れしているゆとりなどないはずだ。若い世代の起業を促し、雇用を創出し、正社員を増やすために、法と規制と財政投資によって企業を誘導する、それとともに海外からの投資を呼び込むような規制緩和にも取り組む、そうした多面的なあらゆる手立てをもって内需を拡大していくような政策を政府は講じるべきなのではないだろうか。
そこにもう一つ、文化政策が何よりも重要であることを忘れてはならないだろう。
フラット化した世界にあって、その国、その地域、その土地のアイデンティティを育み、表わすものは文化にほかならないのだから。
団塊の世代がすでに高齢者と呼ばれる年代になり、10年後には後期高齢者となる。
シンガーソングライター(懐かしい呼称だ!)の吉田拓郎はその世代の代表であり、僕ら世代にとってはあこがれのお兄さんだった。
その拓郎の歌を思い出す。
古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう……
7月2日、欧州連合統計局が発表したユーロ圏の5月の失業率が11.1%となり、統計上比較可能な1995年以降で最悪を更新したとの報道があった。
ユーロ圏では南欧を中心に失業率の悪化が続き、失業者は1756万人に達し、前年比で182万人増加した。
特に、EUに金融支援をしたスペインでは5月の失業率が24.6%となり、特に若年層(25歳以下)では52.1%に達した。少なくとも2人に1人が仕事に就けない状況に陥っているのだ。
片やわが国の状況はどうだろう。少子化を反映して若年人口は大きく減少している。企業がこれまでと同じ水準で採用を維持していれば人手不足になり、就職活動は楽になっていたはずだが、実際には構造的変化や景気循環の影響により、人口が減少する以上に上質な雇用機会が減ったことで就職難が続いている。
樋口美雄慶大教授(7月3日付、日本経済新聞経済教室)によれば、15歳~24歳の男子人口は2010年までの15年間で31.2%も減ったが、正規雇用はこれを上回る52.9%も減ったという。
学卒後の25~34歳層においても同様で、この年齢層の男子人口は同期間に51万人減ったが、正規雇用は128万人も急減した。
一方、非正規雇用の割合は15年前には2.5%であったものが、今では11.5%にまで上昇しているという。
日本は、そして世界は、これからどうなっていくのだろう。
ため息ばかりが先に立ってしまうけれど、若い世代が素朴に夢を持って自身の人生設計を語ることのできる、ごくごく当たり前の社会づくりの構想ができないものだろうか。
私の尊敬する知人で税理士のMさんが、「グローバル化というのは、熱い経済と冷え切った経済を混ぜ合わせてぬるま湯にするようなものだから、これが進展したからといってこの先景気のよくなるはずがない」と言っていたのを思い出す。妙に納得したものだ。
世界の人口70億人のうち、年間所得が2万ドルを超える層は約2億人であるのに対し、年間わずか3000ドル以下の低所得層は実に40億人を超えるという。
富裕層と呼ばれるのは、そうしたピラミッドの頂点にある砂粒のような数の人々なのだ。
企業はより低廉で長時間労働にも耐えうる労働者を求めて根なし草のように世界を巡る。その地域に根を張って産業を育むとか雇用を守ろうとの志も責任感も意欲もなく、後には荒れ果てた土地だけが残されるだろう。インターネットやコンピュータの発展がそれを可能なものとして後押しし、生産性向上の名のもとに人々から働き口を奪っていく……。
日本の地方都市の街並みがどこも同じような顔になってしまったように、やがて世界もフラット化し、均質化して、世界中の何でもが手に入るがその土地ならではのものが何もないといった、のっぺりとして無機質な社会になりつつあるのだろうか。
1に雇用、2に雇用、最も重要なのは雇用政策だと言ったのは何代前の総理大臣だったっけ? そうした政策の芽がどれだけ育ったというのか。
創業して40年以上経過した企業では社員が高年齢化し平均して雇用が減少しているという。その一方、創業して間もない若い企業は倒産のリスクも高いが雇用を増やしている、ということは昨年の中小企業白書にも書かれていた。
先述の樋口教授の寄稿論文のなかに、あるスーパーマーケットでは、正社員を増やし、そのことで人件費は上昇したが、それ以上にその人たちの能力発揮で売り上げが伸び、利益が増えたという事例が紹介されている。
いらぬ政争に明け暮れしているゆとりなどないはずだ。若い世代の起業を促し、雇用を創出し、正社員を増やすために、法と規制と財政投資によって企業を誘導する、それとともに海外からの投資を呼び込むような規制緩和にも取り組む、そうした多面的なあらゆる手立てをもって内需を拡大していくような政策を政府は講じるべきなのではないだろうか。
そこにもう一つ、文化政策が何よりも重要であることを忘れてはならないだろう。
フラット化した世界にあって、その国、その地域、その土地のアイデンティティを育み、表わすものは文化にほかならないのだから。
団塊の世代がすでに高齢者と呼ばれる年代になり、10年後には後期高齢者となる。
シンガーソングライター(懐かしい呼称だ!)の吉田拓郎はその世代の代表であり、僕ら世代にとってはあこがれのお兄さんだった。
その拓郎の歌を思い出す。
古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう……