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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

コロナ禍と演劇

2020-05-25 | 日記
夏日が続いたと思ったら今度は日照時間が極端に短い時期が続いたりと、体調管理に気を遣うこと甚だしい。
そんなこんなでストレスが溜まったせいなのか、街には急に人が溢れはじめたように感じる。スーパーマーケットや書店には人が集まっているし、昼から飲める立ち飲み系の居酒屋は呑兵衛たちで密になっている。週明けの25日にも緊急事態宣言解除との観測が出され、一気に緩みはじめたのだろうか。
そういう自分も図書館や美術館のオープンを心待ちにしている一人ではあるのだけれど…。
一方、劇場や映画館の再稼働の時期をいつにするかは難しい判断だろう。とりわけ劇場の再開時期は、制作に手間も時間も要する演劇という特殊性もあって、1週間後に劇場を開けるからといってすぐさま公演が打てるわけではないのだ。
今後何より課題となるのは、コロナウイルスが完全に収束、終息することが困難であり、ウイルスとの長期的な共生が余儀ないものであるとするならば、感染のリスクをいかに最小にとどめながら、劇場を運営するのかということである。安心して観劇できる環境をつくるためにぜひとも専門家の科学的な所見を聞きたいものだ。

雑誌「世界」6月号に劇作家・演出家の谷賢一氏が「コロナ禍の中の演劇」という論考を寄せている。
その言葉一つひとつに深く頷くしかないが、まさに今、谷氏の言うように演劇業界は焼け野原の中にいる。以下、引用。
「…この焼け野原に追い打ちをかけるのが、世間からの冷たい声だ。演劇界から窮状を訴えてみると、こんな言葉が返ってくる。『好きで選んだ仕事だろう』『演劇なんか、なくたって困らない』……。このような酷く冷淡な言葉を浴びせられ、さらには『河原乞食が、何を偉そうに』というような言葉まで投げつける人もいて、業界は萎縮している。…」

こうした意見、中傷に対し、谷氏は社会における演劇の必要性や演劇という芸術の特性、劇場の重要性を丁寧に説明してゆく。
「…劇場とは会話する場所であり、交流する場所である。そして会話と交流を通じて我々は新たな意識や価値観を得て、社会や日常を変革するエネルギーをもらう。そのために演劇はある。…」

これらの言葉が、果たして演劇人を中傷したり、演劇そのものに無関心な人々に届くのかどうか、それは分からない。
届かないかも知れないし、相手は聞く耳を持たないかも知れない、そもそも対話する気すらないのかも知れない。それでも諦めることなく言葉を発し続けることが必要なのだと思う。
谷氏が言うように、「失うのは一瞬だが、取り返すのには途方もない時間がかかる」のだから。

先週の22日(金)、演劇、音楽、映画の3ジャンルの団体が国に対し、「文化芸術復興基金」の創設を求める要望書と署名を提出し、その後、記者会見が行われた。
これも言葉を届けるための行動の直接的な表れであり、とても素晴らしい。とりわけライブハウスやクラブを含む音楽関係団体と演劇、映画関係団体の人たちが手を取り合い、連携したことの意味は大きい。さらに、これを国の省庁や政治家に直接訴えかけるという動きはこれまでになかったものではないだろうか。
演劇界でも著名で影響力の大きい人が個別に声を上げることも大切ではあるが、それぞれの業界の土台を支えているより多くの人々が連携し、団結することはさらに重要である。
心配なのは、各業界ともこうしたロビー活動や政治に訴えることに不慣れであり、政治的な駆け引きや勢力争いに巻き込まれる懸念はないかどうかということである。
そうしたことのないよう、政治家の皆さんにはこれらの声を真摯に受け止めていただくことを望みたい。